昨日の夜、大学で知り合った男友達と飲んだ。 今まで深く話したことはなかったが、昨日はお互いびっくりするくらいいろいろな話をした。 お互いの彼女のことや近況。彼のおかーちゃんが亡くなった。頭が真っ白になった。でも気の毒っていう気分はなかった。 私は、この間公園で話しかけてくれたおじさん(神経の病気の)のお見舞いに行くのを(入院したらしいので)、まだ躊躇していることを相談してみた。
もうだいぶまえなんだけど、難しい(と思われる)話や、理屈が好きな私は、様々な理論話をえんちゃんにしていた。 そうしたら、 「あくちゃんは視野がせまい」 と言われた。 自分では、厚顔無恥ながら、広いと思っていたもんだから面食らった。 なんでも私は、自分がこれだ!と思う意見をはっきり持ってるように見えて、相手を萎縮させている。
というわけで、彼女がいうには、私は、 「もっといろんな人と話したほうがいいよ。しかも、話を聞く側で。」 というわけで、それを素直に挑戦することにした。
人に会って話したい。というのは今までも思っていた事だけど、常になんかぎこちなくて緊張していた、と思う。 ひとつひとつのお茶会や飲み会を大切にするのはいいんだけど、それに「賭け」すぎていたというか。勝負下着(?)みたいに…。
とくに女の人と話すときね。
正直いえば下心と不信の半混ざりだな。かっこよく思われたいとか、気に入られたいとか、そのためには何をどう話せばいいか、とか無駄な脳味噌を使うわけです。こうして客観的に見ればただの阿呆なんだけど。自分ほんとろくでもない人間っすよ。 オナニーマシーン(バンド)じゃないけど、どんなにどんなにがんばっても、しょせんおいらどまり。爆笑。 世の中にこんな可笑しい喜劇があるだろうか。
昨日は友達の、おとついは他の友達の、話を聞いてみる事にした。気軽にお昼に誘うという非日常的な行動などを起こした。 意識してウンウンうなづいていて、質問をする自分がいた。そうしてみると、彼らとの間の空気が変わってみえた。錯覚か!?幻覚か!?
閑話休題。
つまりは、お見舞いの事なんです。 そのおじさんと知り合った時、私は動揺した。 よだれを垂らして喋ろうとする彼は、ご飯を食べながら眺めていられる様子ではなかった。
「社会から切り離され、無視される」という状況がどういうものか私には分かってない。世界には、同性愛者とかアイヌ民族とかカルト集団に属する人間とか不登校とかSMとかいろんなマイノリティがあるけど、それはそれで集団をなしていて、別に一人ぼっちになってしまうわけではない。
彼の目の中に、ずるい強者である自分の姿を見て怖くなった。
|