セクサロイドは眠らない
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2011年09月27日(火) |
「それだけのために、きみは生きてきたのかい?」「ええ。それだけのため、という何かがあるから私は生きてこられたのよ」 |
彼女は高校を出てからずっと、その小さな喫茶店を守ってきた。母が病気になるまでは、母の喫茶店だった。病気の母と、少しだけ足の悪い弟と、三人で暮らすぶんの生活費をやっと作れるだけの小さな店だった。借地代を納めるとわずかしか残らないが、それでも三人暮らすには充分だった。
彼女が成人するのを待っていたかのように、母が亡くなった。弟がコーヒーと紅茶担当。彼女が母から教わったとおりのスコーンを焼いて、接客をするのだった。
まだ、日本に元気があった頃は、駅に近い立地のその店をたくさんの人が欲しがった。 「今どき、コーヒーが一杯400円だなんて。ここならもっと取れるでしょう」 とわざわざ助言をしてくれる人もいた。
同じように飲食店を経営する同業者の集まりに行くと、彼女と同じぐらいの歳で、何店も店舗を展開する女性オーナーがきらびやかに笑っていて、 「あなたのところは年商はお幾ら?」 と訊いてくるのであった。
それから長い時間が経って、もう、誰も店を欲しがらなくなっても、相変わらず彼女と弟はそこで静かに店を経営していた。母の代からの常連客もいたし、スコーンの味に惹かれてたびたび訪れる女性ファンも付いた。 縁談話は幾らも紹介されたが、彼女は静かに首を振った。 毎日、店をきちんと整えて回していき、自分と弟が食べれるだけの状況を維持するのに精一杯で、他のことが上手く考えられなかったのだ。
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彼女が35歳の誕生日を迎えた頃から、店に一人の青年が週に一度やってくるようになった。時間は不定期で、いつもハードカバーの小説を抱えて、ふらりとやってくる。スコーンが焼きあがる時間をよく知っていて、焼き上がりの時間に合わせて来るのだった。
彼がやって来るようになって半年が過ぎた頃、初めて彼は彼女に話しかけた。 「美術展のチケットを2枚持ってるんです。良かったら、どうですか?」
感じが良い笑顔と落ち着きが、彼女の警戒を解いた。 が、彼女は丁寧に断った。 月に一度しかない休みは、店の小物を買い付けに行ったり、季節変りの衣類の入れ替えに追われたり。ただそれだけの理由で、「忙しいから」と断った。
それからも彼は感じ良く、彼女を怖がらせないように、デートに誘った。
彼女は、戸惑いながらも、たまに彼の誘いに応じるようになった。
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そんな付き合い方が続いて一年経った時、彼は、彼女にプロポーズをした。
彼は言った。 「実は、僕はこのあたりの土地を所有する地主の息子なのです。来年、僕は、ちょうどこの店がある一区画を管理させてもらうことになっている。最初は、この店もどこかに移転してもらうつもりで、あなたと話をするためにここを訪れました。 でも、少々事情が変った。 あなたとこの店に、このままここに残ってもらいたいと思うようになりました」
彼女の手を取り、そうささやいた。
彼女は、彼を真っ直ぐ見つめて、こう答えた。 「私は、ここでずっと生きてきて、身体全部を使って毎日このお店を回してきました。本当にこまねずみのようにくるくると。 そうやって、お店を続けることが、亡くなった母への約束でした。 倒れないように生きてゆくのが精一杯でした。 あなたは? あなたは、身体全部を使ってどんな世界を動かしていらっしゃるの?」 「僕は・・・。 まだ何も。 でも、あなたと一緒になれば、僕はここいらの土地を回していくさ。この店だって、スコーンで売り出して、二号店、三号店と・・・」
そこまで彼が言うと、彼女は立ち上がり彼の前を立ち去った。
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それから何年も経って、もう、彼も彼女も白髪が混じった歳になって、二人は再び出会った。
彼女が彼から借りていた土地を買い取るために。
「それで?この土地を買って、どうするんだい?僕ら、もう先は短い年齢だよ」 彼が訊ねる。
彼女は微笑んで、 「弟と、その奥様にプレゼントするの。彼らがお店を続けてくれるわ」 と答えた。
「それだけのために、きみは生きてきたのかい?」 「ええ。それだけのため、という何かがあるから私は生きてこられたのよ」
彼の土地はもうすっかり売り払われ、彼女に売却した土地が最後の所有地だった。 「僕は、もう、それだけというものが何もない」 彼は絞り出すように、言った。
「今からでも見つけられるわ。だって、あなたようやく自由になれたんでしょう?」 と、彼女は笑って、少女のように軽やかに彼から離れていったのだった。
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