セクサロイドは眠らない

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2004年10月08日(金) 一人ではいられない人だった。私も、彼にしがみつく。彼の指が少々乱暴に私の乳首をまさぐるから、私は悲鳴を上げる。

妙に緊張した面持ちで言った。
「結婚しよう。」

結婚?

私は驚いて何も言えない。

「ああ。結婚だ。」
「だって、奥様が・・・。」
「離婚するよ。」

彼は少し険しい顔。

「駄目よ。」
私は首を振る。

「いつまでもこんな風に隠れて付き合うのは嫌なんだ。」
「私もそうだけど・・・。」

社長と秘書が不倫するなんて、よくある話だ。まだ彼は40を少し過ぎたばかり。私と結婚したところで、いずれまた浮気をするだろう。私達は遊び。結婚なんて・・・。

なのに、私は泣いていた。涙が次々溢れた。
「本当なのね?」
「ああ。本当だよ。」

気持ちを抑えて3年。先のない付き合いだと思っていた。

「少しだけ時間がかかると思うけど、待ってくれるかい?」
「ええ・・・。もちろん。」

私達は、唇を重ねた。

--

私達は上手くやっていたと思う。

誰にもばれないようにしてきた。

正直にいって、彼はとてもハンサムだった。それに比べて、私は地味で、秘書室勤務のスタッフの中でも一番目立たないぐらいだ。

だから驚いた。最初に抱かれた時は、彼の気まぐれだと思った。だが、彼は私を大切にしてくれた。

私と社長との関係を知られれば、私は勤めを続けられなくなるだろう。

だから、彼はとても慎重だった。電話もメールも手紙もなし。ただ、彼の肌のぬくもりだけを信じて、3年間を捧げて来た。

--

「もう少し時間がかかりそうだ。妻とは毎晩話し合ってるんだが・・・。」
彼は、疲れたようにつぶやいた。

「無理しないで。」
「ああ。」
「ねえ・・・。」
「ん?」
「あのね。こんなこと訊いて怒らないで。奥様って、どんな方?」
「妻か・・・。派手な女だ。」
「私と正反対ね・・・。」
「気になるのか?」
「そりゃ・・・。気にならないといったら嘘になるわ。」
「妻との間には子供もいない。資産も随分持ってる。彼女は、一人でだってやれる女さ。」
「もう一つだけ。教えて。」
「ああ。いいよ。」
「前にもこんなことがあったって。噂で聞いたわ。あなたが、浮気をして。離婚寸前までいったって。」
「・・・。」
「怒らないで。」
「ああ。そうだ。確かにあったよ。」
「ごめんなさい・・・。噂なんか信じて。」
「いいんだ。不安なんだろう?分かるさ。」
「・・・。」
「結局、僕が捨てられたんだよ。妻は離婚を承諾したんだ。だが、女のほうが行ってしまった。」
「・・・。」
「これでいいかい?」

彼は、哀しい瞳をしているように見えた。

「ごめんね。」
私は、涙が止まらなくなった。

「また、泣く。」
彼は、私を抱き締めた。

「浮気している男が言うと陳腐な台詞だけどさ。僕を信じてくれよ。」

私は、彼の胸に顔を当てたままうなずく。

--

彼は、ネクタイを緩めながら言う。
「妻がきみに会いたいってさ。」
「え?」
「きみに会うことが離婚の条件だそうだ。」

私は、彼の奥さんのことを想像してみる。指にたくさん指輪をはめた、化粧の濃い女。

「会えばいいのね。」
「ああ。そうだ。会うだけでいいそうだ。」
「分かったわ。」

彼は、憂鬱そうな顔。

「大丈夫よ。私、何を言われても平気。」
「そうじゃなくて・・・。」
「じゃあ、何が心配なの?」
「ともかく、妻とはあまり長い時間一緒にいないほうがいい。」
「分かったわ。」

彼は、私を抱き締めて、何度も何度も口付ける。ねえ。痛いよ。骨が折れちゃうよ。私、どこにもいかないから。

なのに、彼は、私がどこかに飛んでしまうかもしれない小鳥のように、腕にしっかりと抱きかかえるのだった。

彼だって不安なんだろう。職場では厳し過ぎる上司だったが、素顔は一人ではいられない人だった。

私も、彼にしがみつく。彼の指が少々乱暴に私の乳首をまさぐるから、私は悲鳴を上げる。

--

彼の奥さんと会う日。私は、いつもより少しだけはっきりと化粧をした。気持ちで負けたくないと思った。

彼には、話が終わったら電話を入れるようになっている。

都内のホテルの一室で、私の心臓は破裂しそうだ。

大丈夫。私には、若さと、それから彼の愛があるから。

その時、彼女が入って来た。

「待たせたかしら。」
かすれた声。ささやくような、セクシーな声。

見ると、そこには美しい女。

艶やかな黒髪がウェイブし、白い肩にかかっている。

化粧は薄く、ぷっくりとした唇にはグロスだけ。

「今日は、無理を言ってごめんなさいね。」
彼女は微笑んだ。

「いえ・・・。あの・・・。」
こんなに美しい人とは思わなかったから、緊張して話せない。

「リラックスしてちょうだい。別に、取って食べたりしやしないから。」
「ええ・・・。」
「会ってみたかった。それだけよ。それぐらいいいでしょう?10年も一緒にいた人がどんな女性を選んだのか、見たいって思うぐらい。」
「あの・・・。ごめんなさい。私・・・。あの・・・。そんなつもりじゃなくて。」
「分かってるわ。」

彼女の豊かな胸が、洋服越しにも分かる。女だって、その柔らかな胸に触れてみたいと思うぐらい、形のいいバスト。それから、肌は白くて、血管が透けて見えるぐらいで。なんていやらしいのだろう。服を着て、体を覆っていても、彼女の体は魅惑的で、女の私ですら興奮するぐらいだ。女性に興奮したことなど、生涯で初めてのことで、私は戸惑う。

「楽にしてちょうだい。」
彼女は、ベッドに腰を下ろした。

「あの・・・。辛いですか?」
なんてひどい質問。

「離婚がってことかしら?」
「ええ。」
「どうかしら。離婚なんて言い出されたのは、初めてじゃないし。あら。ごめんなさいね。あなたを傷付けるつもりはないの。ただ。男の人って。ねえ。遊ぶことぐらいはあると思ってたから。それで責めたことはないのよ。」
「平気なの?」
「平気?まさか。愛っていうのとは違うけれどね。彼、もう、弟みたいなものよ。でも、女としてはどうかしら。どんな人を選んだのかって、興味あるわ。」

彼女が、ゆっくりと言葉を選びながらしゃべる様子を、私は息苦しくなって正視できない。

彼女がこちらを真っ直ぐ見ると、顔をそらさずにはいられない。

女として。

そうだ。正妻と愛人という立場を除いても、私はこの女性と真っ向から闘う気など持てない。

「ねえ。あなたこそ。あの人でいいの?」
「・・・。」
「正直に言ってちょうだいね。」
「愛してます。」
「そう、良かったわ。あの人をお願いね。」

彼女は、私に近寄り、腕にそっと触れた。いい匂いがした。

その肌に触りたいと思った。

--

「遅かったな。心配したよ。」

やっと彼に電話できたのは、明け方だった。

「ねえ。私、あなたとは結婚できないわ。」
「どうして?」
「だって。ねえ。あんな綺麗な人だとは思わなかった。」
「それと、僕達のことと、どう関係があるんだよ?」
「あるわよ。大ありよ。」
「分からないな・・・。」
「あんな綺麗な人と比べられるのよ?この先、ずっと。あの人には勝てっこないわ。」
「どういうことだよ?何かあったのか?」
「何もないわ。何にも。」

私は、ただ、打ちのめされていた。彼女の美しさに圧倒され、深い敗北感を感じていた。私は怖かったのだ。彼と結婚したら、生涯、彼女の美貌という亡霊に付きまとわれてしまうことが。私は、問い続けることになる。どうして、あんな美しい人を捨てて私を選んだの?彼に問い続けて、結局は、彼をうんざりさせてしまうにちがいないのだ。

その圧倒的な美にあっさりと降伏するとともに、私は、彼への激しい感情を吹き飛ばされてしまったのを感じていた。その妻の、夫に対する妙に冷静な感情を見た時、私はとても恥ずかしくなってしまったのだ。

「はは・・・。そうか。前もそうだよ。いつだってこうなんだ。妻に会わせると、こうなる。なんなんだよ。」
彼は、電話口でわめいている。

子供のようにわめいている声が響く携帯電話を、そっと耳から離す。


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