セクサロイドは眠らない

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2004年10月07日(木) 私の舌に触れた時は、頭がおかしくなるかと思った。そのまま、私は、自分からマサヨシの体の上に乗ったの。

彼女は始終震えていた。

「義姉さん、疲れたろう。少し休んだら?」
僕が言っても、彼女は首を振るばかりだった。

色白の彼女の喪服姿は、ぞっとするほど美しかった。後れ毛が行く筋か顔にかかって影を作っているのさえ。親戚が皆、帰って行った後、僕らは二人きりだった。

「あなたこそ、疲れたでしょう。私はいいの。一人にしておいて。」
「そうはいかない。」

僕は、ふらつく彼女の肩を抱いて隣室に連れ出すと、ソファに座らせた。
「兄貴だけじゃなく、義姉さんまで亡くしたくはないからさ。コーヒーでも持ってくるよ。」

だが、彼女にはコーヒーでは駄目だと気付き、ブランデーのグラスを二つ用意した。

「なんで世話を焼くの?」
「兄貴の遺言でね。義姉さんが落ち着くまでは帰らないつもりさ。」

彼女の手にグラスを持たせると、自分のグラスをカチリと当てた。

グラスを何度か空にしたところで、ようやく彼女は落ち着いたようだ。

「分かったわ。好きにしなさいよ。」
彼女の目は、トロリと遠くを見ていた。

「あの人、とうとう逃げ出したのね。私の手の届かないところに。」
「逃げた?」
「ええ。そう。分かってるでしょう?あの人が私のことなんか、ちっとも好きじゃなかったってこと。」

そういって、彼女はゆっくりと話し出した。

--

私とカヨはずっと親友同士だった。小学校の頃から。カヨが隣に引っ越して来た日から、毎日遊んだわ。高校の時、カヨがマサヨシと付き合いだしてから、私とカヨは前ほどには仲良くはできなくなってたけどね。

マサヨシは陸上部だった。毎日毎日、グランドで練習する彼を、カヨと一緒に見てたっけ。

私も、マサヨシが好きだった。だけど、カヨのほうが明るくて、スポーツも得意で、マサヨシとはお似合いだと思ってたから、私は我慢したの。

結局、何かとマサヨシを入れた三人で行動したがるカヨのことが嫌で、私、別の大学に入ったのね。しばらくはカヨのこともマサヨシのことも忘れていた。

だけど、就職してから、偶然カヨに街で会ってね。隣にはマサヨシが立ってた。相変わらず素敵だったわ。結婚するって聞かされた。ショックだったわよ。忘れたと思ってた傷がジクジクと痛み出した感じ。

それで、あることを思いついたの。私と、カヨと、マサヨシの三人での旅行。カヨはもちろん、喜んでオーケーしたわ。東北のほうの小さな旅館で、カヨと私が一緒の部屋でね。カヨ、随分楽しかったのか、お酒飲み過ぎてね。部屋でイビキまでかいて寝ちゃった。私は、カヨが完全に寝てるのを確かめて、マサヨシの部屋に行ったの。マサヨシは、暗闇で、私とカヨを間違えた。まさか本当に上手く行くとは思わなかったわ。マサヨシは、途中まで私をカヨと間違えて抱いて来た。私とカヨ、結構、背格好が似てるのよね。マサヨシの舌が私の舌に触れた時は、頭がおかしくなるかと思った。そのまま、私は、自分からマサヨシの体の上に乗ったの。彼、途中でおかしいと気付いたみたいで、急に冷静な声で、カヨ?、なんて言うから。私、違うわって言った。

明かりを点けた部屋で、私はずっと泣いた。

次の日も、ずっと泣いてたから。カヨも何があったのか分かったみたいね。

マサヨシは何も弁解しなかった。

それで、カヨとマサヨシはおしまい。私は、泣いて泣いて、結局、マサヨシに責任を取るように詰め寄ったの。

怖い話よね。

結婚してからもずっと不安だった。泣いて頼んで、やっと結婚してもらったんだもの。いつか、本当に好きにさせてやるって思ってた。でも、私は知ってたわ。マサヨシが私に隠れてカヨと連絡取り合ってたこと。

だからね。カヨが結婚した時は本当に嬉しかった。これでもう、マサヨシはカヨとこそこそすることはないって思った。これでやっと幸せになれるってね。そう思ったの。

でも、そうじゃなかったんだな。私と彼の間に子供でもいたら良かった。でも、結局はできなかったのね。不妊治療にも付き合わせたわ。私を愛してないから子供ができないんだって、随分マサヨシにわがまま言った。

今思えば、わがままを言うことで愛を確かめてたのね。そのうち本心が出て、私と別れたがるっていうんじゃないかしらってね。だけど、彼、いつだってわがままを聞いてくれてた。それが余計に悲しかった。

結局、子供ができないって分かった時は、私は半狂乱になったわ。カヨのほうが後から結婚したくせに、あっという間に子供を作っちゃって。随分と不愉快だったわ。マサヨシさんにも、早く赤ちゃんを抱かせてあげたかった。彼、子供好きだもの。

五年経っても、子供はできなかった。

私、そのうち、彼を殺すんじゃないかと思うようになったの。彼のことがどうしても信じられなかった。残業で遅くなった時も、仕事の関係でお酒を飲んで帰る時も、いつだって、彼がどこで何をしているか知りたくて、携帯を持ってもらって電話ばかりかけてた。それでも、彼のことが信じきれなくて。いっそ、一緒に死のうとか。そんなことばかり思うようになったの。あの人を殺せば、完全に私のものになるって。最近じゃ、そんなことばかり思ってたわ。

その矢先よね。

交通事故で死んじゃうなんて。それも、ハンドル切り損なって、自分から電信柱にぶつかっちゃうなんて。

どうかしてるわ。

--

「あの人、きっと私から逃げ出したのね。」
そう言って、彼女は、あはは、と笑った。

僕は、そんな義姉に言った。
「兄貴、義姉さんのこと心配してたよ。」
「心配?」
「ああ。あんな風にしてしまったのは自分だって。」
「同情されてたのね。」
「同情・・・。いや。もっと違う感情。いつだって、心配してた。」
「うんざりだったのよ。私に付きまとわれて。」
「手紙が来たんだ。」
「いつ?」
「事故のちょっと前。」
「なんて?」
「このままだと、彼女が犯罪者になってしまうかもしれないって。そんな可哀想なことできないって。」
「うそ。」
「本当だ。事故なら、保険金が出るとも書いてあった。」
「嘘よ。嘘。心配しててくれたのなら、どうして一人で行ってしまったの?私が一人じゃ生きられないってこと知ってるくせに。」
「僕に付いていてやるように、書いてあった。落ち着くまではどうなるか分からないからって。」
「そんなこと・・・。馬鹿よ。いなくなってしまったら、駄目じゃない。心配なんて、そんな・・・。」
「兄貴、本当に義姉さんのこと、愛してだんだよ。」

僕は、彼女が泣き叫ぶそばで何もしてやることはできなかった。

夜通し泣いて、朝が来て。

フラフラと彼女は立ち上がった。目を離すと、僕の後を追うかもしれないからと。兄が書いた手紙の内容を思い出す。僕じゃ、駄目だったんだ、とも。彼女を幸福にしてやれなかった、とも。

頼むよ、って書いてあった。

なあ。兄貴、俺、何を頼まれたらいいんだよ?

「どこ行くの?」
僕は、訊ねる。

「分からないわ。」
彼女はぼんやりした声で。

「義姉さん。」
「・・・。」
「兄貴が高ニで、僕が中三。兄貴と同じ陸上部に入りたくて、高校に見学に行ってた時、一人の女の子がいたんだ。グランドの隅で、兄貴が走るのを、ただじっと、キラキラした目で追いかけてた。夕日が落ちて来て、グランドには、兄貴と、その女の子だけで。いつまでも、いつまでも。僕、その女の子は最高に綺麗だと思った。あの日、僕は恋に落ちたんだ。」
「何が言いたいの?」
「僕には、あの日の女の子は、あの日のまま心に焼き付いて。いつか僕にも、あんな風に恋してくれたらいいなって思って・・・。」

僕は、彼女を後ろから抱き締める。

そうやって見てるだけで幸福だったんだよ。

彼女の幸福が、僕の幸福だったんだよ。

細く震える肩に、そうつぶやく。


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