セクサロイドは眠らない

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2004年03月25日(木) 目が覚めたら、彼は元通りになっているのだ。彼女は知っている。人間はそうやって時々壊れる事が大事なのだと。

彼女は知っていた。彼が優秀な科学者であり技術者であるということを。それは多分、彼女にとって幸福なこと。

彼は、時折生きていくためのこと、たとえば、学会に出たり、テレビに出たりといういろいろの事をするために出掛ける以外は、彼女がいるその屋敷で研究を続けていた。

彼女は、そばにいて、彼から呼ばれるまでじっと待っているのだ。

彼女は、待つことは苦痛ではなかった。だが、それでも彼はしょっちゅう言っているのだ。
「待ってておくれ。いい子だから。」

それは、彼が彼自身に言っている言葉のように響いた。

彼は、時折、何もかもに自信を失って、泣き出す。そんな時は彼女は彼のそばに座って、
「そんなことないですわ。あなたはすばらしい科学者です。」
と言い続ける。

「もう、私は駄目なんだ。才能のかけらもない。」
「そんなことないですわ。あなたはすばらしい科学者です。」
「全部出し尽くしてしまった。私は空っぽだ。」
「そんなことないですわ。あなたはすばらしい科学者です。」
「あいつが私をあざ笑って言うんだ。俺の研究を盗んだなって。ひどいよ。」
「そんなことないですわ。あなたはすばらしい科学者です。」

そうしているうちに、彼は眠ってしまう。

目が覚めたら、彼は元通りになっているのだ。

彼女は知っている。人間はそうやって時々壊れる事が大事なのだと。

「私が壊れたら、おまえだけが治せるのだよ。」
と、言われた事がある。

彼女は、彼の治し方を知らない。ただ、彼が自分で自分を治しているように見えるのに。

彼女は、たくさんの事は知らない。知っているのは、教えられたことだけ。

--

彼女は、彼によって作られた。彼女は自分が人間ではないということを知っている。彼女はロボットだった。

今までに、何度も何度も改良され、目が覚めるとそのたびに、新たに情報が追加され、新しいプログラムが動いているのだと説明される。

「最高の美女だ。」
とも言われた。

何でも、コンピュータがはじきだした、一番素晴らしい顔形にしてあるらしい。だが、ほんの少し、左の目じりが上向きなことと、口元にあるホクロが、彼女の顔に魅力を加えている。左右全く同じなのはいけないんだ、と彼が説明してくれたのを、彼女は黙って聞いた。

「お前を最高の存在にしてあげよう。」
彼は、そう言った。

あらゆる部分が、日々手を加えられ、優美な動き、優れた知性。

だが、彼は彼女を見て、じっと悩んでいる。

「どうしましたの?」
彼女は訊ねる。

「おまえに最後の改造を加えなくては。」
「最後?」
「ああ。完璧だ。見た目も中身も。だが、最後にもう一箇所だけ手を加える場所があるのだよ。」
「では、お願いします。」
「ああ。明日、取り掛かる。そうしたら、お前は、本物になる。完璧になる。本当の女になるのだよ。」

彼の目は少し血走っているように見えた。

「少し眠った方がいいですわ。」
「分かった。おいで。」

彼は、いつも彼女を自分のベッドの傍らに寝かせてくれる。

間もなく、寝息が聞こえ始める。

彼女は、彼のそばでいつものように過ごす。その機械の脳には、「心配」という言葉が、何度検索し直しても浮かんでくる。

彼の呼吸の速さ、血走った目、眉間に寄せた皺。彼女の手を握る、強さ。

--

「じゃあ、始めよう。」
彼は言った。

彼女は彼に従った。

彼が電源を切ると、彼女は意識を失う。

--

彼は震える指を押さえて、彼女の体の一部に最後の改良を施す。

随分と悩んだ。どうしようかと。

だが、完璧な存在にしたかった。

彼とて男である。彼女を置いて町に出た時は女を抱く。顔は醜いが、金はある。場合によっては、彼の名前を知って、体を差し出してくる女もいる。優秀な遺伝子が欲しいとか、何とか言って。

ずっと、愛と、体の問題は別の筈だった。

だが、彼が出張を終えて帰ってくると、愛しい顔が出迎える。

「おかえりなさい。」
と、従順な声。

どうして、この、最愛の女を抱けないのか。日増しにそんな気持ちがつのった。

彼は、彼女にそのための機能を作っていなかった。ただ、知性に優れた究極の女を作りたかった。恋をするとは思わなかった。

だが、彼は、もう彼女を抱きたいという気持ちを抑えられなくなっていた。

だから、最後の改造を施す。

女として彼を受け入れるための器官をつけて、彼女を、今度こそ本物の女にするのだ。

--

「気分はどうかね?」
「いいですわ。」
「まだ本調子じゃないだろう。今日は、このまま体を休めていなさい。」

彼女は、彼の顔を見上げる。

「なんだ?」
「変ですわ。私にいたわりの言葉など。私は機械です。機械に体の心配をすることは無用です。」
「だが・・・。しかし。」

彼はもう、目の前の存在をただの機械とは思えなくなっていた。

「いや。いいんだ。とにかく、あちらの部屋で休んでなさい。私も、徹夜の作業で疲れた。少し眠るから。」
「分かりました。」

彼女は、言われるままに隣室に行った。

彼がいつものように彼のベッドで眠るように言わなかったことに疑問を抱きつつ。

--

彼は、自分自身に絶望していた。

彼女を抱きたい。その一心で、彼女を改造した。だが、自分がやったことの醜さに我慢がならなかった。

汚らわしい。

少年の日、大人を憎んだ。女を憎んだ。彼を愛の対象と見ない人々を憎んだ。

そして、彼は究極の女を作った。

はずだった。

なのに、彼は、彼の愛を受け入れる道具を作っただけだったのだ。

彼は、絶望していた。そして、薬を一瓶飲んだ。

--

彼女は待っていた。ずっと待っていた。だが、何日経っても彼は来なかった。

「お前は、本物になる。完璧になる。本当の女になるのだよ。」
確か、彼はそう言ってくれた。

だから、待った。

「そんなことないですわ。あなたはすばらしい科学者です。」
声を出してみた。

そうしたら、彼が戻ってくるかもしれないと。

「そんなことないですわ。あなたはすばらしい科学者です。」

だが、返事はない。


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