セクサロイドは眠らない

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2004年03月22日(月) 綿でできたスポーツブラなんかじゃない。レースがふんだんに使われたかなりセクシーなやつだ。

「じゃあ、パパ、行ってくるね。」
「あんまり遅くなったら駄目だぞ。」
「分かってるって。」

やれやれ。春休みになった途端、この調子だ。

私は、春の休日の昼下がりを家でくつろいで過ごす。梨佳はこの春小学校を卒業して、今は休みを満喫していて、いつもどこかに遊びに行っている状態だ。

離婚した妻は、海外から祝いの品を寄越して来た。もう、離婚してから五年になる。離婚の際、梨佳は迷わず私と暮らすことを選んだ。

娘というのは、いつまでも子供の癖に、知らないところで思った以上に大人になっていたりする。たとえば、彼女が部屋のベランダに干している下着。綿でできたスポーツブラなんかじゃない。レースがふんだんに使われたかなりセクシーなやつだ。友達も皆、こういうのをしているんだという。

「お前に胸なんてあったっけ?」
なんてからかったら、

「ひどーい。パパ、触ってごらんよ。」
と言って胸を突き出してくるものだから、笑って逃げた事もあった。

どんな男の子が好きで、誰からコクられて、だけど友達がその子の事を好きで・・・。

何だってしゃべってくる。全く、大人なんだか、子供なんだか。

私は、一人、秘蔵のワインを出して娘の成長を祝う。

--

ドアチャイムが鳴ったのは、少しワインを飲み過ぎてソファで居眠りしていた時だった。

慌てて身を起こし、玄関に出てみる。

「こんにちは。梨佳、いますか?」
「ああ。ええっと。梨佳の友達だね。」
「はい。」
「ごめんね。今日は、梨佳は他の友達と遊びに行ってるみたいなんだ。」
「そう・・・、ですか。」
「ああ。携帯に掛けてごらん。」
「あの。いいんです。梨佳に借りてた物、返しに来ただけですから。それで、あの、ママがお礼も持たせてくれたんで。」
「ありがとう。じゃあ、梨佳に伝えるだけでいいんだね?」
「はい。」

少女はペコリと頭を下げて、帰って行った。

手元のリボンが掛かった包みは見たことがある。たしか、紅茶の専門店のものだ。思いがけない来客のせいで、すっかり目が覚めた。勢いでグラスを片付け、夕飯の下ごしらえに入った。

--

「そうなんだ。知奈、来たんだ。」
「ああ。お前に電話するように言ったんだがね。」
「また、後で電話しとく。」

梨佳のリクエストで野菜が多めのメニューをつつきながら、私は訊ねる。
「で?今日は何してたんだ?」
「男子のグループとボーリングしてた。」
「しかし、よく遊ぶなあ。」
「いいじゃん。最後、勉強もすっごい頑張ったんだから。」
「いいけどな。中学に入る頃には勉強の仕方を忘れるんじゃないか?」
「うるさいなあ。」

梨佳は、頬を膨らませて。

だが、にこっと笑って、こう反撃してきた。
「ね。パパ、最近デートしてないみたいだけど、どうしたの?」
「え?」
「だからさあ。前、時々女の人から電話掛かってきてたじゃん。」
「ああ・・・。そうだな。もう掛けて来ないだろう。」
「何?ふられたの?それとも怒らせちゃった?」
「うるさいな。パパの問題だろ。」
「いいじゃん。教えてよ。大事な事だよ。」
「まあ、どっちからともなく・・・。ってとこだな。」
「ふーん。」
「気になるか?」
「うん。まあね。やっぱ、パパには変な人と付き合って欲しくないから。」

梨佳は笑いながら食器を片付け、さっさと部屋に入ってしまった。

残された私は別れた女の事を少し思い出してみたりした。何が悪かったのか。多分、お互いの想いが足らなかった。お互いの都合を優先させた付き合いには、どこか踏み込み切れないものを感じていた。だから、別れた。

もう間に合わせの愛では駄目な年齢なのだ。

--

中学に入って。梨佳は部活だの塾だの、と、帰宅が遅くなった。たまに、随分と長電話もしている。私と顔を合わせても、以前のように何でも話をする子ではなくなった。

今日も。まだ帰らない。

彼女の部屋で携帯が鳴っている。めずらしい。命より大事にしている携帯電話だ。

普段ならそんなことをしない私だが、今日は虫の居所が悪かったのか。梨佳の部屋を開け、彼女の携帯を手にすると、そのまま通話ボタンを押した。

「もしもし?梨佳?あたし。ねえ。明日の晩のことだけど・・・。」
「もしもし。」
「え?あ。梨佳じゃないの?」
「梨佳の父です。」
「ごめんなさい。」

電話は切れた。

私は、勢いで携帯の履歴を見た。知奈。ああ。あの子か。他の履歴も見た。知奈とかいう子も。男の子も。たくさんの名前。

私は、今掛かってきたばかりの知奈という子のところに電話をした。

「はい?梨佳?」
「私です。」
「ああ。梨佳のパパ。」
「すまない。梨佳がどこに行ってるか、知らないか?」
「えっと・・・。」
「教えにくいかもしれないが。最近の梨佳の行動がよく分からなくなってるのは、親としてまずい事だと思いますから。」
「あの。今日は知りません。てっきりおうちにいるかと思ったんで。」
「そうですか。じゃあ、何か分かったら教えてください。」

私は、携帯を切った。

--

「じゃあ、今、あなたの家に泊まってるって言うんですね?」
私は、知奈という娘に言った。

「はい。しばらく帰りたくないって。」
「あなたの家にも迷惑を掛けてしまう。」
「うちはいいんです。お姉ちゃんが大学生になって、家出てったから。部屋空いてるし。」
「だが、しかし・・・。」
「ねえ。梨佳のパパ、お願い。父親には言えないこととかもあるから。」
「まだ中学ですよ。」
「私が、毎日報告しますから。」

私は、知奈という娘の顔を見た。どこにでもいるような、顔。梨佳と似たりよったりの髪型や装飾。綺麗だが、町の雑踏の中では見分けられないような。

「・・・分かりました。」

その日から、知奈という娘と連絡を取り合う。時には、梨佳の服や持ち物を渡すために、知奈に会いに行った。

「どうです?梨佳は最近。」
「元気にしてます。」
「まだ帰る気はないんでしょうか?」
「ええ・・・。多分。」
「何が悪いのかな。」
「え?」
「いや。男親だけじゃ、何がまずいのかな。」
「さあ・・・。私が梨佳だったら、おじさまみたいなパパ、ラッキーだと思うけどな。」
「あなたは?お父さんは?どうしてますか?」
「単身赴任です。」
「そうですか・・・。」

--

それから数日後。私は、マクドナルドでアルバイトをしている梨佳を見つけた。

店でちょっとした口論をした後、私は、梨佳を連れて家に戻った。

梨佳の片頬は赤くなっている。私が平手で叩いたのだ。

「まったく。何を考えてるんだ。お前は、まだ子供なんだぞ。」
「子供、子供って言わないで。」
「お前の友達関係とかも、まったく分からん。なんでそんなに繋がりたがるのだ。どうして、いつもいつも、携帯で繋がってなくちゃならんのだ。」
「孤独だから・・・。」
「安っぽい孤独だな。」

梨佳は、うつむいていて、長い髪が顔を隠していた。

「今日、これから、知奈さんのところに行って、お礼とお詫びを言いに行こう。」
私は、梨佳にそっと言った。

梨佳は首を振った。

「どうして?」
「パパにしたら、どうだっていいことかもしれないけど・・・。」
「だから、何が?」
「知奈よ。」
「何が言いたい?」
「パパの事が好きなの。」
「・・・。」

その瞬間、私は混乱する。なぜ、知奈とかいう子の事が問題なのか。

「ねえ。私、知奈に協力するって言ったの。」
「何を?」
「だから。パパといろいろ話をする機会を作ってあげるって。」
「そんなもの・・・。」
「そんなものって言わないで。あたしたち、真剣だったんだから。」
「とにかく・・・。」
「とにかく、じゃないわ。パパ。あたしたち、一生懸命考えたの。」
「だから、帰って来なかったのか。」
「他に方法を思いつかなかったんだもの。」
「つまらん。」
「つまらなくないよ。」

梨佳は泣いていた。

私は、分からなかった。知奈という子の、熱っぽい瞳を、たった今思い出した。話をしている時の、どこか居心地悪い感じを。だが、私は、考えないようにしていた。娘の友達の大勢の中の一人。そうして、名前もすぐ忘れるつもりで。

だが、突如、知奈という少女が私を不安にさせる。次に会う時、私はどう彼女の視線を受け止めればいいのか?あるいは、彼女が私以外の男に恋をするまで、逃げ回るか。

「お前一人で行っておいで。知奈さんのところから荷物を引き上げて。」
「パパ・・・。」
「一言言っておいてくれないか。知奈さんに。私がそのうち、お礼に食事に誘いたいからって。」
「・・・。」

梨佳は、大人の女のように、うなずいた。

--

「今日は、お誘いありがとう。」
車に乗り込んで来た少女の香りは今までの花の香りと違う、少しクールな香りだった。

無表情を装っている顔の、瞳だけが熱く私を見ていた。

逃げ出したくなる。少なくとも、しばらく前に終わった付き合いとは、似ても似つかぬ。あの時は、お互いに傷つかぬようにするのに気を取られ過ぎていたというのに。

恋というものは。

ある日突然、それまで知っていたはずの相手と自分の役柄がガラリと変わる瞬間。友達同士とか、上司と部下とか、大人と子供とか。そういった言葉では片付けられなくなる瞬間。

少女の手の震えに、自分の手を重ねたくなる瞬間。


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