セクサロイドは眠らない

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2004年05月30日(日) よろける彼女を連れて、僕は、タクシーに乗ると、運転手にその場限りの時間を過ごせる場所を告げた。

小さなアパートの集合郵便受けの前でいつも、
「ごくろうさま。」
と、郵便を受け取る彼女。

僕は、笑顔で、ダイレクトメールの束を渡す。

僕は、振り返らない。少しがっかりした顔の彼女を見るのが嫌だから。

--

毎日、毎日。日曜日以外、彼女はそこで待っている。僕が来るのを待っている。

いや、僕が運んでくるはずの何かを待っている。

それが何か、僕には分からない。

年齢は僕と同じくらい。本来なら、その小さな古いアパートの一室で、赤ちゃんにお乳を飲ませながら、夫が帰って来るのを待つのが似合う。そんな優しい笑顔の少女のような人。

僕は、だんだんと申し訳ない気分になってしまって。彼女に渡すものが何もない時も多いものだから、
「すいません、今日は・・・。」
と、おしまいまで言うことができずに、頭を下げる。

「ねえ。」
彼女は笑う。

「そんなに申し訳なさそうにしないでちょうだいね。待っているのは、私の勝手なんだから。」
そんな風に声を掛けてくれたのが、初めて聞いた、彼女の声。

それは、普段、滅多におしゃべりをしないような、そんな人によくあるように、少ししわがれて、小さな声。

「あ、はい。」
急に話しかけられた事に驚いた僕は、慌ててバイクに飛び乗って、その場から逃げ出した。

もっと何かしゃべってあげれば良かったな。と、後悔しながら。

--

「そういう訳で、明日から私、実家に行かなくちゃいけないの。」
少し慌てた口調で、電話の向こうの彼女が言う。

「分かった。朝、空港まで送るよ。」
「うん。」
「落ち着いて、な。大丈夫だから。」
「分かってる。ね。タカシさんも、後から来てね。絶対。」
「ああ。」

大学の頃から付き合っている恋人は、僕と同い年。そろそろ結婚しなくちゃね。そういう会話が出始めたのは、去年のクリスマス。ただし、条件があった。地元の資産家の娘である彼女の親との同居。それが条件だった。彼女の父親が経営する会社に入ることも。

だから、彼女の父親が倒れたという報せは、僕が郵便局を辞める事を示していた。

公務員の三男坊である僕は、彼女の親との同居に何も異論はなかった。彼女の父親は、少々強引なところはあるけれど、面白い話と酒が好きな豪快な男性だったので、むしろ、興味を惹かれてさえいた。その父親が倒れたとなれば、今、彼女と、彼女の母親を支えるのは、僕の大切な仕事だろう。

その瞬間にも、なぜか、僕は、あの女性のことを。ただ、ずっと手紙を待っている女性のことを想っていた。

--

「そう・・・。それは、仕方がないわね。」
「ええ。だから。すみません。僕、今日であなたに郵便を運ぶのが最後になってしまいます。」
「いろいろごめんなさい。」
「なんで謝るんですか?」
「だって。あなた、いつも申し訳なさそうに。」
「そんな顔してましたか?だとしたら、僕は、プロ失格だな。」
「私も、もう、待つのやめるわ。」
「え?」
「手紙ばっかり待って泣くのはやめるのよ。」
「あの・・・。」
「なあに?」
「良かったら、今夜、お酒でも飲みに行きませんか?」
「え?」
「僕、ご馳走したいんです。」
「それって、同情?」
「いや。何ていうか。感謝・・・、かな。誰だって、待っててもらうのはすごく嬉しいことで。あ。いや。待ってたのは僕のことじゃないってのは分かってます。でも、何か、僕を待っててくれてるみたいで、すごく励みになったんで。」
「ふふ。嬉しいわ。何年ぶりかしら。誘ってもらったのは。」
「じゃ、仕事終わったら迎えに来ます。」
「ええ。待ってる。」

--

アパートから出て来たのは、別人だった。化粧の上手い、体にぴったりした華やかなシフォンのワンピースをまとった女性。耳には揺れるタイプのピアス。

「行きましょう。」
「あの・・・。」
「何?」
「いや。綺麗です。びっくりしました。」
「やあね。恥ずかしいわ。」
「あの。イタリアンでいいですか?」
「ええ。」

僕は、彼女の手をそっと掴んだ。彼女の柔らかく小さな手が握り返して来た。

僕は、少し混乱しながら考える。僕が知っていると思っていた女性は一体どこに行っちゃったんだろう?そして、今、隣にいる女性は、僕の知らないところで、笑い方を身につけた女。

--

「とても美味しかったわ。」
「ワイン、もっと飲みますか?」
「いいえ。これ以上飲んだら、倒れちゃうかも。外で飲んだのって、久しぶりよ。」

彼女は、堂々と振舞い、ワインを上手に味わった。それに引き換え、僕ときたら。

「もう、ずっと忘れてたの。誰かと笑うこと。」
「恋人ですか?」
「ええ。そうね。私は、その人の奥さんになってたつもりだった。だけど、明日帰ると言って、何年も帰らなかったの。お金も送って来なくなった。そろそろ働かなくちゃって思ってたのよ。あなたが来なくなるのは、いいきっかけね。」

彼女は、僕を見てはいなかった。何を見ているのか。

僕は、店を出ると、彼女の腰に手を回した。彼女の頭が僕の肩に預けられた。よろける彼女を連れて、僕は、タクシーに乗ると、運転手にその場限りの時間を過ごせる場所を告げた。

--

恋人の田舎で、僕らは盛大な結婚式を挙げた。まだ、車椅子から立つ事ができない彼女の父親は、僕を事業の後継者として会社に迎え入れると言った。

慣れない仕事。慣れない土地。

しがない郵便屋だった僕が、いきなり大勢の人間に指示を出す立場になどなれる筈がない。

少しずつ。妻との距離が開いて行く。

--

三年が過ぎ、僕は離婚して、東京に戻った。

あのアパート。小さくて、古い。

だが、もちろん、彼女はいない。

僕は、彼女が入っていた部屋を借りた。そして、夜の警備の仕事についた。何もやる気が起こらなかった。

毎日、正午過ぎ、ちょうど起きて遅い朝飯を食べた頃、郵便が配達されてくる。配達員は若くて元気な青年だった。名前をユタカといった。

僕は、あの彼女がしていたように、なぜか毎日、郵便を受け取るために郵便受けの前で待つようになった。ユタカとは、時折、アパートでビールを飲み、くだらない話をする仲になった。

「タカシさん、もう、郵便配達の仕事しないんですか?」
「ああ。」
「タカシさん、好きでしょ。この仕事。」
「うん。まあね。でも、いいんだ。」

ユタカは、僕がこのアパートにいる理由や、僕が体験した小さなロマンスを聞いて、うらやましがった。

--

「待つことの切なさは、人を愛することと良く似ている。」

そんなことを、ふと、思った。

--

ある日、ユタカは、いつになくニヤニヤと笑いながら、白い封筒を渡して来た。僕のアパートの部屋の住所の下に、「やさしい郵便屋さんへ」と細い文字が書かれていた。

「何だよ?」
僕は、訊いた。

「こういう仕事がしたくて、僕、郵便局に就職したんっすよ。」
ユタカは笑った。

僕らの小さなロマンスは、このお調子者でおしゃべり好きな青年によって、仲間内に広まってしまったらしい。そして、いつしか、隣の町に越した彼女の元へ。


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