セクサロイドは眠らない

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2004年01月31日(土) その匂いの原因が分かれば、楠田という女の子のことが何か分かるかもしれないと。そう思ったのだ。

就職浪人である僕がそのコンビニで働き出してから、一年半が経っていた。店長には、いい就職先が見つかればいつでも辞めていいよ、と言われていたが、実際のところ就職活動は思わしくなく、コンビニでは次々と入って来るバイトの子に作業を教えることも多くなってきた。

「あなたみたいな働き者を雇わないなんて、日本の企業は本当におかしいわ。」
なんて、店長の奥さんが言ってくれるけど、僕はただ、黙って微笑むしかない。

この店は嫌いではない。店長夫婦は、子供がいないからか、僕をとても可愛がってくれるしね。

--

新しいバイトの楠田という女を見た時に感じた違和感の理由が、すぐには分からなかった。髪はさっぱりと短く切り、服装もトレーナーにジーンズと、いたって真面目そうな女の子。

店長も、彼女の面接を終えた後で、
「悪い子じゃないけどねえ。どうするかな。」
なんて言ってた。

彼女のバイトの初日、一日一緒にいて、その理由がやっと分かった。

彼女の匂い、だ。

香り、なんてもんじゃない。どこかゴミのような異臭。

店長もすぐ気付いたようだ。彼女を奥に呼んで注意していたから。

次の日。彼女の体からは石鹸の香りが漂っていた。一生懸命に体をこすったのかな。なんて、その少年のような髪型を背後から眺めながら思ってしまう。

それでも、何といおうか。彼女の体の奥からは、やっぱり異臭が漂っているようだった。店長が気付かない事を祈りながら、僕は真剣な顔で仕事を覚えようとする楠田に付き添った。

一ヶ月が経過した頃、僕は、楠田を食事に誘った。楠田は黙って自分の服装を見下ろした。

「他の服、持ってないの?」
「持ってない。」
「そっか。じゃ、買いに行く?」
「ううん。要らない。」
「じゃあ、ハンバーガーショップでもいいかな。」
「ええ。」

僕らは大した話題もなく、ハンバーガーをパクつき、街をぶらぶらと歩いた。

それから、楠田が住んでいるアパートがあるという駅まで送って行った。

「なあ。楠田。今日はすごい楽しかったよ。」
「私もよ。」

どこまでが本心か分からない声で、楠田は答えた。彼女は、そうなんだ。いつだって自分を出さない。

「あとさ。やっぱ、もうちょっと服とか洗った方がいいと思うよ。うん。なんか、こういうの、仕事の延長みたいで悪いんだけど。店長が何か言うのも時間の問題だしさ。僕、楠田と一緒に仕事してたいし。」
「分かった。」

楠田は、もういいでしょう?、というような調子で曖昧に笑ってみせ、後ろを振り返らずに去って行った。

怒ったかな。

怒っただろうな。

余計な詮索を嫌うのが、楠田という女の子だ。

僕は、ちょっと切ない気分で彼女が去って行くのを見送った。

--

「やっぱりねえ。食べ物を扱う仕事だからさ。」
店長は、申し訳なさそうに僕と楠田に向かって言った。

明日には次の人に面接に来てもらうことにしたから、とも。

楠田は黙ってうなずいて、仕事に戻った。

「そういうわけで。な。せっかく仕事覚えてもらったとこだけどさ。」
「仕方ないですね。」
「ああ。いい子なんだけどさあ。何考えてるか、分からないやねえ。」

楠田は、その日も黙々と仕事を終えると僕より一足先に帰ってしまった。

最後に声を掛けようと思っていたのに。

バイト、首になって大丈夫なんだろうか。いつも同じような格好で、新しい服を買ったの見た事ないけど、お金に困ってるんじゃないだろうか。

それから、こっそり、履歴書のファイルをめくって、楠田の住所を探す。

時間が取れたら訪ねてみよう。

僕に何ができるというわけでもないけどさ。

--

楠田のアパートは、それはそれは古い木造のアパートだった。

僕が訪ねると、楠田がいつものトレーナー姿で顔を覗かせた。
「なあに?」
「あ。あの。辞めちゃったの急だったから。」
「いいよ。もう。」
「ちょっと話、しない?」
「話すこと、ない。」
「ああ・・・。そう・・・。」

ドアを薄く開けてしゃべる楠田の背後からは、何か強烈な匂いが漂って来る。

「いいよ。上がって。その代わり、気分悪くなっちゃうかもよ。」
楠田は、あきらめたような顔になった。

僕は。

その匂いの原因が分かれば、楠田という女の子のことが何か分かるかもしれないと。そう思ったのだ。つまらない好奇心。

楠田の部屋は、ゴミの山というほどではないが、かなりひどい有り様だった。何ヶ月も前から放っておかれた、カップ麺の容器。山と積まれた服。

「女の子の部屋じゃないみたいでしょ。」
「ああ。うん。どっちかというと僕の部屋もこんなもんだよ。」

僕は、あははと笑って見せた。

ここで、楠田の部屋を見て。僕はどうするつもりだったのだ。最近よく聞く、片付けられない症候群の女の子の一人だ。

「あのさ。ここ、ほんと、男の人の部屋だったんだよ。」
楠田は、冷蔵庫からビールを取り出して僕に渡す。

「ふうん。恋人かなんか?」
楠田が初めて自分から何かを話そうとしているのを感じて、僕はできるだけいい聞き役になろうと決めた。

「うん。恋人。」
「そっか。」
「だった・・・。」
「別れたの?」
「ううん。」
「じゃ、どっか行ったの?」
「うん。遠く。もう、絶対戻ってこれないところ。」

そこまで言って、楠田は、目じりをちょっとだけ指で押さえた。

「うまく信じられなくてさ。彼の残したものと一緒にいたくて。」

ああ。

それで。

「こんな部屋で。バイトも首になるって分かってて。でも・・・。」
「そっか。」
「でも、安心すんだー。仕事ないでしょう?したら、ずっと、この部屋でこうやってじっとしてて、怖くないんだ。」

でも、それは・・・。

と言いかけて、僕は黙る。

その後は、もらった缶ビールを飲み干すと、立ち上がった。

「また来るよ。」
その声は、もう、楠田には届かないかのように、楠田はぼんやりとしていた。

--

それから、時々楠田の部屋を訪ねたが、楠田には会えなかった。鍵も掛からないような部屋を残して出掛けるなんて、楠田は違う仕事でも見つけたのだろうか。

--

ある日。

楠田の部屋の中は空っぽになっていた。

きれいさっぱり。

僕は、混乱してそこにしゃがみ込んだ。

楠田の匂い。正確にはゴミの匂いだけが、うっすらと漂う部屋で。

--

半年後、その彼女は、髪を美しくセットして、綺麗な爪で、僕から缶ビールを買った。

値段を告げる僕に、彼女は言った。
「久しぶりだね。」

僕は驚いて目を上げた。

楠田だった。

いや。違う人間かもしれない。上品な香りを漂わせるその女。

僕は慌てて、言う。
「ああ・・・。ね。もうちょっと待ってて。時間取るから。ちょっと話さない?」
「うん。」

確かに楠田だった。だが、すぐには気付かないほど変わっていた。

「お待たせ。」
「そんなに待ってないよ。」

楠田の唇に綺麗に塗られた口紅がストローを咥える。

「どしたの?」
「うん。家に戻ったの。ま、連れ戻されたんだけどね。」
「あの部屋は?」
「父が綺麗にしてくれて。引き上げたの。」
「そっか・・・。」
「婚約もしたの。」
「ああ・・・。」
「ね。私さ。とても人生を無駄にしてたわ。つまらない過去に縛られて。」
「そうかな。」

違うよ。僕だって、きみと過ごした夏に縛られて。

「また電話してくれる?」
「いいけど。もう僕なんて用事ないだろう?」
「お仕事、紹介できるかもしれないの。彼の会社で。」

ああ。そういうこと?それがきみの恩返し?

僕はもう、何もしゃべる気もなくなって、楠田の携帯電話の書かれた紙を適当にポケットに突っ込む。

変な話だが、ゴミの匂いが懐かしかった。

--

その後、一度だけ。僕は楠田に電話した。相変わらず、つまらない好奇心。

だが、出たのは男の声だった。

彼女は亡くなったと言う。自殺だった。

「失礼ですが、どんなご関係だったのでしょうか?」
父親らしい、しわがれた声は悲しげだった。

「いえ。ちょっと、バイト先で一緒だったものですから。」
僕は慌てて切る。

それから、少しだけ泣いた。

覚えるほどに眺めた楠田の電話番号の紙。本当は、もっと早く電話するべきだったのだろう。なのに・・・。

--

ゴミが山積みされている場所を通ると、楠田がいるような気がする。

そこかしこで彼女を思い出す。

あの部屋こそが楠田の生きる理由だったのに。今なら分かるのに。


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