セクサロイドは眠らない

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2004年01月06日(火) 金のない結婚生活に飽き飽きして、父親に頼んで僕を追い払ったのかもしれない。本当のところは分からない。

「桑名君、ちょっといいかしら?」

同期の永田という女だ。

「何?」
「もう、仕事は終わりでしょう?」
「ああ。そうだけど。」
「飲みに行かない?」
「今日はちょっと・・・。」
「ね。いいでしょう?私ね。結婚するの。お祝いして欲しいんだけど。」
「結婚・・・。そうか。知らなかったな。」
「ええ。誰にも言ってなかったもの。」
「お祝いするのが僕なんかでいいのかい?」
「あなたがいいの。」
「なら、付き合う。」

結婚相手が決まった女というのは、どんなに好みからかけ離れていた女であっても、なぜか、男に軽い嫉妬心を起こさせる。気が強くて、同期のどの男達より有能な永田という女に、僕はどことなく苦手意識を持っていたにも関わらず、なぜかひどくくやしい気持ちがしたのだ。

「何が飲みたい?奢るよ。」
「じゃあ。桑名君が普段行ってるお店を教えて欲しいな。」
「残念ながら、僕はそういうのにこだわる男じゃないんでね。安ければどこでもいい。」
「私も安いところ、好きよ。」

そこで手近な店に入った。

「初めてよね。二人でこんな風に飲むなんて。」

永田とどころか他の同僚とだって、僕はこうやって差し向かいで酒を飲んだことなどない。それぐらい付き合いが悪い男なのだ。

「ね。私さ。桑名君のこと、ずいぶんと好きだったのよ。」
「へえ。初耳だな。」
「だって、桑名君、そういうことに無頓着だもんね。」
「そうかな。」
「そうよ。」
「永田が言うなら、きっとそうだ。」
「私じゃなくたって、そういうわ。」

こんな風に誰かとおしゃべりするのは初めてだ。最低限、生活するに必要な会話だけしようとしてきた数年間。

「桑名君ってさ。不思議な人だよね。」
「そんなじゃない。」
「みんな、噂してるんだよ。仕事は黙々とこなしてて無駄口叩かなくて。結構ハンサムなのにさ。」
「よせよ。」
「本当よ。でもね。私、分かったの。なんだかさ。あなたのこと、どんなに好きでいたって、あなたは私のことを決して好きになってくれないってね。なんだか分かったのよ。」
「そうか。」

まずいな。もう、僕は、この女に何でも話したくなってしまった。

「ね。あるんでしょう?桑名君にも、恋の一つや二つ。」
「ああ。まあね。」
「聞かせてよ。私も、言っちゃったんだからさ。」
「そうだな。」
「やたっ。」
「もう、10年も前の話だよ。その当時、付き合ってた子がいた。僕は、22歳で、彼女はまだ高校を出たばかりだった。」
「素敵な人?」
「いや。つまらない子だったよ。嘘つきで。他の男とも遊んでいた。だけど、僕は夢中だったんだ。」
「桑名君のほうが?信じられないわね。」
「僕だって普通の男さ。彼女の体も魅力的だったけどね。いい加減で、わがままで、嘘つきなところさえ魅力的に思えたものだった。僕と彼女は一年ほど付き合って、結婚した。」
「親御さんは反対しなかったの?」
「もちろん、したさ。とりわけ、彼女の親父さんがね。」
「それで、どうしたの?」
「反対を押し切って、一緒に暮らした。それが愛だと思ってた。」
「若かったのね。」
「若かったのさ。」
「喧嘩はしょっちゅうだったよ。彼女は、いつだって嘘をついては外に出て行く。若かった僕は嫉妬に狂って、戻って来た彼女を殴ったこともあった。激しい恋だった。」
「今のあなたからは信じられないわね。」
「まあね。一度だけ、彼女の親父さんと会った事がある。大学教授だった。白髪を綺麗に撫でつけててさ。僕のことを馬鹿にしていたよ。人間として見てくれなかった。彼女もそんな父親を心底嫌ってたんだ。」
「娘が父親を嫌うのなんてよくある話だわ。」
「ある日、その父親から彼女に、将来のことを話し合うから、一度家に帰って来なさいって電話があったんだ。あの時、僕は、ちょっとばかり余裕があるふりをしてね。帰りなさい、って言ったんだ。あれだけ彼女が嫌がってたのにさ。」
「まだ未成年だもの。親に責任がある年頃よ。あなたが年上として帰るように言ったのは正解だわ。」
「だがね。それが間違いだった。2日経っても、3日経っても、1週間経っても。彼女は帰って来なかった。」
「電話はしてみたの?」
「ああ。だけど、彼女の父親が出て、切ってしまう。何度か彼女の家にも行ったが、門前払いさ。すごい屋敷でね。そのうち、離婚届けが送られて来た。」
「サインした?」
「うん。どうしようもなかった。」
「結局、彼女とはそれっきり?」
「そう。」
「じゃあ、全ては彼女のお父さんが仕組んだ事かもしれないね。」
「そうかもしれない。そうでないかもしれない。彼女が金のない結婚生活に飽き飽きして、父親に頼んで僕を追い払ったのかもしれない。本当のところは分からない。だけど、僕は彼女の気まぐれに疲れていたし、彼女の父親から幾らかの金を受け取ってしまった。地位も金もある男に、結局のところは抵抗し切れなかったのさ。あるいは、若い恋というのはその程度のものだと、彼女の父親は僕に教えたかったのかもしれない。」
「それから、もう恋はしないの?」
「そうだな。自然に心が動くのを待っている。だけど、無理に誰かと付き合う気もない。」
「私もそうだったわ。あなたほどじゃないけど。30過ぎまで生きてると、結局、心が動かされることもなくなって、代わりに、絶望のようなものが膨らんで来るのね。私って、こういう女だから、なまじの男の人じゃ、そばに来てくれないしさ。」
「婚約者は?」
「恋ではなかった。気がついたら、私を支えようとしてくれた男だった。そういう人でいいんだなって、30過ぎたから思えたのよ。」
「なるほど。いい話だ。」
「桑名君も幸せになれるといいわね。」
「まあね。でも、無理してなれるもんじゃないしさ。」
「でも、知らなかったなあ。桑名君、結婚してたことがあったなんてさ。」
「特別さ。普段、人に言ったことはない。結婚祝いの代わりだよ。」
「ありがとう。」

その時、永田の携帯電話が鳴った。

永田は、電話に出ると途端に嬉しそうな顔になった。二言三言交わして。

「彼からなの。そろそろ行くわ。今日は付き合ってくれてありがとう。」
「ああ。彼によろしく。」
「ええ。」

永田は、綺麗だった。結婚に不安なく飛び込んで行ける女特有の輝きに包まれていた。僕はあらためて、彼女の美しさになぜ今まで気付かなかったのだろうと思った。男というのは、そういうものかもしれない。誰かがいいね、と言えば、自分も欲しくなるという。

そろそろ僕も、重い腰を上げる時だ。今年はいい年になるといい。

そう思って店を出た。


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