セクサロイドは眠らない

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2003年12月20日(土) 「なんとなく分かりました。世間は、離婚した女が一人でいるのを見ると黙っていられないものみたいですわね。」

「あら。芹沢さん。」
彼女がこちらを見て大きな声で私を呼ぶので、耳まで赤くなった。

「ああ。こちらが職場でしたか。」
「ええ。そうなんですよ。今日は何か?」
「あ。あの。いえ。妻の。そう。妻のクリスマス・プレゼントでも選ぼうかと思いまして。」
「まあ。そうですの。素敵ですね。」
「こういう場所に来るのは初めてですから、緊張しちゃって。」

私の体からはどっと汗が噴き出す。

彼女とは、バドミントンのクラブで知り合った。あまり話した事はなかったが、華やかで、いつも場を明るくする存在だった。私は、もう、40を過ぎた中年の独身。趣味と言えるものはバドミントンぐらいしかなく、口下手で、人付き合いが苦手。そんな私が、最近はクラブに出て来ない彼女を気にして、以前耳にしていた彼女の職場までやってきてしまったというわけ。

セレクトショップというらしい、その店は、女性の服やバッグやアクセサリーなどが展示されていて、独身男性の私には入りにくい雰囲気だった。だから、咄嗟に出たのだ。妻のプレゼント、なんていう言葉が。

「男性の方にもどんどん来ていただけたらと思ってるんですよ。芹沢さんみたいに、奥様のプレゼントされるの、大事ですわ。」
「いや。ええ。あの。こういうバッグはどういう時に持つんですか?」
「そうですね。こういうタイプ、最近は人気ですのよ。ちょっと光ってるでしょう?夜のお出かけに持つといいんですよ。たとえば、クリスマスに奥様と二人でデートなんて、どうかしら。」
「ああ。ああ。いいですねえ。」

私の頭には、彼女とデートするシーンが浮かび、更に汗が滲み出る。ハンカチを取り出し、額を拭く。

「最近、クラブに来ませんが、どうしたんですか?」
ようやく、訊きたい事を口にする。

「あら。気にしてくださってたんですか?」
「ええ。まあ。あれだけ熱心になさってたんですから。」
「まあ、いろいろありましてね。」
「別に、無理に聞こうとは思いませんから。すみません。」
「いいんです。芹沢さんが気にしてくださってるって分かって、なんだかとても嬉しいですわ。ただ、少し個人的なことですから、ここでは言いにくくて。」
「そうですか。」
「良かったら、もうすぐ休憩時間をいただけるんで、お茶でも飲みませんか?お時間あります?」
「ええ。あ、あります。」
「じゃあ、その時に。」
「このバッグ、戴きます。」
「まあ。ありがとうございます。じゃあ、プレゼント用にお包みしますわね。」

彼女のテキパキとした仕事ぶりが気持ちよく、私はその姿に見とれた。

--

私の緊張は更に高まった。彼女と向かい合って座るだけで、心臓がドキドキして、手の平にもじっとりと汗をかいた。

「私ね。離婚したんです。二ヶ月前に。で、今まではアルバイト気分でやってたお仕事も、もっとちゃんとやらせていただくことにして。」
「そうだったんですか。それじゃ、バドミントンどころじゃありませんね。」
「それとね。クラブの市川さん。あの方が、ちょっと私にしつこくするんで。それもあって。」
「市川さんというと、あの、大柄な。」
「ええ。そうです。あの方、私が離婚したのを知ってから、ちょっとうるさくて。自分だって奥さんがいるくせにね。」
「許せませんね。」
「いいんです。なんとなく分かりました。世間は、離婚した女が一人でいるのを見ると黙っていられないものみたいですわね。」
「だからって、あなたが自分を責めることはないですよ。」
「ありがとう。」
「また、来ます。話を聞くぐらいですが。」
「嬉しいですわ。でも、あんまりご迷惑かけられませんし。あ。でも、今度は奥様を連れて来て、一緒にごらんになってくださいね。そうしたら、私も好みが分かりますから、アドバイスなんかもできますわ。」
「そ、そうですねえ。」
「あらいやだ。私ったら、商売っ気出して。ここ奢ります。バッグを買ってくださったお礼です。」

彼女は、明るく笑うと、私の切ない気持ちを残してさっさと席を立った。

--

私は夜、日記に向かう。

「X月X日

 規子さんと話をした。二ヶ月ぶりに会えて、安心して涙が出そうになって困った。日記よ。お前は笑うかい?妻がいるなんて、嘘をついてしまった。妻どころか、心を割って話せる人もいない男だ。私は。

 お前には、何もかも隠さず教えている。もし、私に妻がいるとしたら、日記よ。お前だよ。だが、私は、妻の他に愛している人がいる。悪い男だな。ははは。」

--

「あら。芹沢さん。バッグ、いかがでした?」
「気に入ってもらえたみたいで。大層、喜んでました。」
「良かったわ。あのバッグが似合う場所には連れて行ってあげましたの?」
「いや。それがまだで。その。あれに似合うアクセサリーが要るかと思いまして。」
「ありますわ。パールのネックレス。イヤリングもセットでありますの。」
「じゃあ、見せてください。」

それから、前回と同じ。喫茶店で、コーヒーを。

「奥様、何というお名前?」
「妻ですか。ええと。規久江です。規則の規に、久しいと書いて。」
「あら。私と、規の字が一緒ですわ。」
「そうですか。」
「ねえ。どんな方?」
「ええっと。話をよく聞いてくれます。もっぱら聞き役ですわ。」
「私と反対ね。」
「そうですね。」
「でも、何だか分かります。芹沢さんが静かな声でお話しされると、私なんかもついつい引き込まれてしまって。うっとりしちゃうんです。」
「私は話下手ですよ。」
「そんなことないですわ。なんていいますか。重みがありますもの。クラブでも、芹沢さんが口を開くと、みんな耳を傾けていた。声も低音ですごく素敵。みんな憧れてたんですよ。私生活もおっしゃらないでしょう?謎めいてて。」
「買いかぶらないでください。」
「デートできるなんて、幸せ。クラブのみんなにも、奥様にも、申し訳ないわ。」

それからまた、彼女は仕事と言って慌てて立ち上がる。

「じゃあ、またデートの報告、楽しみにしてますわ。」
そう言い残して。

--

「X月X日

 日記よ。お前の名前は、規久江だ。咄嗟に浮かんだんだ。規子さんのことばかり考えているから、同じ字のつく名前になってしまったよ。そういうわけで、今日からお前は規久江だ。なんだか変だな。本当に、お前が妻のような気分だ。

 今日は、幸福だった。彼女、私のことをそれなりに好ましく思ってくれている気がした。もちろん、店の客の機嫌を取ってるだけかもしれないが、それでもいいんだ。離婚した女性が生きるためにたくましくなるのは仕方がない。却って、いじらしい気持ちがするよ。妻がいる男としては、デートに誘ったりできないのが残念だが。」

--

年末。仕事が休みに入った午後、ぼんやりと街を歩く。うまい言い訳が浮かばないまま、最近は彼女の店に立ち寄れていない。

「芹沢さん!」
「ああ。規子さん。」
「今日、お店はお休みさせてもらったんです。」
「そうですか。」
「今日は?お一人?」
「ええ。」
「最近、来てくださらないのね。」
「すみません。」
「あの。何か買わないといけないって思ってるなら、違いますわ。芹沢さんはお友達ですもの。顔見たらほっとするんです。」
「私も規子さんの笑顔を見るのは好きです。」
「・・・。」

ふと横を見ると、彼女の頬が寒さのせいか赤く染まっていた。

「奥さんがいらっしゃる方だから、あまり甘えないようにって思ってるんですけど。芹沢さんとお話しできるだけで嬉しいんです。」
「私は、話が下手ですよ。」
「なんていうか。嘘がないんですね。いつも、本当のことをちゃんと伝えようとしてくれる。そういうところに、じん、ってするんです。」

私は嘘つきですよ。そう言おうとするが、言葉は喉に張り付いたまま。

彼女は急に立ち止まり、ごそごそとバッグから包みを取り出し、私に差し出す。
「クリスマスプレゼント。ずっと渡そうと思ってたんです。」
「何ですか?」
「手袋です。余計な事をしてごめんなさいね。」
「いや。嬉しいです。」
「良かったわ。年内に渡せて。」
「大事にします。」

彼女は呟く。
「ずっと好きでした。もし芹沢さんが独身だったら・・・。」
「え?」
「何でもないです。ごめんなさい。もう行かなくては。実家に寄ることになってるんです。」

彼女は、笑顔を残したまま、冬の雑踏に消えて行く。

--

「X月X日

 日記よ。規久江よ。やはり、お前は所詮はただの日記だ。いくらお前に気持ちを綴っても、この心はざわざわと落ち着かない。私は嘘つきだ。人はなぜ、嘘をつくのだろう。自分が可愛いから。その嘘は、彼女の勇気を前に揺らぐ。ひどいものだ。最低だ。」

--

規子は、疲れてしまった。

東京を出て郷里に帰ろう。そう決意するのに、随分と時間が掛かった。好きな男に気持ちを伝えることができたら、思い残すことはない。そう考えていたのに、気持ちは、伝えた途端に、また溢れてくる。

ドア・チャイムが鳴る。

開けると、見知らぬ女性。

「どちらさま?」
「芹沢です。」
「あら。規久江さん?」
「ええ。」
「どうぞ。上がってちょうだい。ごめんなさいね。引越しの準備で。」

紅茶のカップを前に、訪問者はただ、黙っている。

「芹沢さんを引っ張りまわしてごめんなさいね。」
規子は女が怒っているのだと思って、慌てる。

「いえ。いいんです。」
「話し相手になってもらってたんです。離婚して不安定になってて。でも、それはひどいことだとも思ってました。芹沢さん、奥様のこと大切になさってるから。」
「いいんです。芹沢は、あなたの事が好きです。」
「あなたのこと、何でも聞いてくれる人だって。」
「私は、聞くだけです。何もできない。」
「でも、聞いてもらえるのって、大事ですわ。」
「どこか行かれるんですか?」
「ええ。田舎に。ここは疲れました。」
「いいんですか?本当に?芹沢が悲しみます。」
「いいんです。甘えてばかりもいられないから。」
「今、あなたがいなくなったら、彼は・・・。」
「おっしゃる意味が分かりませんわ。」
「私は、妻ではありません。ただ、彼の心を知る者です。」
「奥様じゃないの?」
「ええ。人間の女でさえ、ない。見てください。どこか、あなたに似ていると思いませんか?」
「そう言われたらそうですわ。」
「名前も、姿形も、あなたの真似です。そして、もう、消えようとしている。彼の前で、私は無力です。聞いてるだけでは駄目なんです。彼の心を揺さぶるのは、あなた。」
「いなくなるんですか?」
「ええ。名前をもらった。語りかけてもらった。私はそれで少し幸福でした。でも、もう、私の役割はおしまい。」

女は、掻き消えてしまった。

見覚えのある光沢のあるバッグやパールのネックレスだけがそこに残されていて、規子はそれをそっと手に取る。

奥様の忘れ物を預かってるんです、そう電話で言えばいいのだろうか。それとも、もっと違うことを?言いたいことが沢山ありすぎて、なのに、何から切り出せばいいのか分からない。


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