セクサロイドは眠らない

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2003年12月17日(水) 「あんたみたいな男は、セックスが下手だって思ってたのよ。でも、予想外にいい思いさせてもらったわ。」

問題は左手だった。

どうしようか、と、じっと手を見る。

左手は知らん顔を決め込んでいる。僕が左手に頭が上がらないことを、左手は知っているのだ。それが余計腹立たしい。

僕の左手は、まるで僕ではないみたいなんだ。

そんなことをどう説明できるだろう?どんな風に、と訊かれたって、うまく答えられそうにもない。

そんなわけで、僕はあきらめてこの左手と暮らしている。左手を除けば、僕は大した人生を送っていない。人付き合いは苦手な方で、むしろ一人で読書をするほうを好む。

--

最初に気付いたのは、たまたま、かなり年上の女と寝た時だった。

その女と成り行きで寝たのは、仕事でドイツに赴任していた時か。一人旅をしているという女に、最初は歳の違いもあってか興味が湧かなかった。だが、夜、しこたまビールを飲んだ後で気付けば同じベッドに入っていた。それまで、女性と付き合うと言っても結局は深い付き合いにならなかったこともあって、僕という人間は、女性の扱いに不慣れだった。一方の女は、傷心旅行よ、と笑っていたが、随分と多くの男を知っている風情でもあった。それなりに力のある男と一緒にいた時期も長かったような、その女を満足させられる自信などなかった。

「驚いた。」
彼女は、終わった後、煙草に火をつけながら言った。

「何がです?」
「すごく良かったわ。」
「まさか。そんなこと言われたの、初めてだ。」
「あんたみたいな男は、セックスが下手だって思ってたのよ。でも、予想外にいい思いさせてもらったわ。」
「僕みたいな男って、セックスが下手なんですか。」
「気を悪くしないでね。もちろん、あんたが嫌なやつだったら、最初から寝たりしないわよ。だけどね。あんたみたいな、どっちかというと恋さえも理屈から入っちゃうような。失敗が怖くて最初からぶつかるのを怖がるような。そんな男って、結局、受身で待ってるような女の子ばかり選ぶからいつまで経ってもセックスが上手くならないのよ。」
「そうですか。」
「ええ。私みたいな馬鹿のほうが、いろいろ経験できるってことよ。」
「馬鹿とは思いませんよ。」
「やさしいのね。」
「で?今日は満足したんですね。」
「ええ。」

そう言って、彼女は僕の左の手の平に、自分の手の平を合わせる。

「大きいのに、繊細な手。左の方が大きいのね。心臓に近いからだっけ。」
それから、名残惜しそうに僕の左手を頬に当てる。

左手か。

僕は、それでその夜のことが納得できた。

きみか。いい仕事をしたのは。きみがいなければ、多分、この女が言うように僕はセックスで女を喜ばせるようなことはできないんだ。

--

結果的に、その後の人生を、主に左手を利用することで乗り切って来た。女がどうすれば喜ぶのか。左手はよく知っていた。

「目がね。すごいの。」
そう、女の子に言われたこともある。

目?手じゃなくて?

「あれだけ私の体を分かってくれて動いてるくせに、目がね。冷静なの。観察してるみたいなの。それで余計に興奮しちゃうの。」

なるほど。

僕は、左手の仕事を黙って観察する。こう動けば、女の体がこんな風に反応するのか。

そうやって、左手に頼りながら、僕はどこかで気まずく、左手に対して腹を立てていたりもした。

お前が勝手に動くから、だから僕は・・・。

じゃあ、やめようか。

左手がそう言うのも、同時に怖かった。女に事欠かない生活は、左手のお陰なのだ。

--

ある日。

僕は恋をした。

図書館でいつも沢山の本を読んでいる女の子。

お互いに図書館でよく見かけていたせいで自然に仲良くなった。

眼鏡のフレームを触るのが癖で、こちらが見つめると恥ずかしがってうつむいてしまうような。そんな子。僕によく似ていると思った。左手除いた残りの部分の僕と。

デートに誘うまでに半年掛かった。手を繋ぐのに、それからもう半年掛かった。

クリスマス・イブにはこの腕に抱きたかった。

だが、問題が。

左手。

どうしても嫌だった。左手が全ての主導権を握るのが。今はこうやって黙っていて、そのうち僕が女の子とベッド・インするのをじっと待っているにちがいない。それは嫌だ。どうしても。僕は、僕以上でも僕以下でもない、僕として彼女を抱きたいのだ。

悩んで悩んで。

--

夜、夢を見た。

僕は、誰かとしゃべっていた。
「お願いだ。そろそろ僕の生活から去ってくれ。」

黒い影は言う。
「いいのか。」
「ああ。」
「何年もの間、お前が女と上手くやれるように手伝って来たんだがな。」
「それが余計なお世話だった。」
「俺は、知ってるんだ。女がどうすれば喜ぶか。」
「そうだな。」
「いいコンビだと思うよ。お前がやさしくして、俺が喜ばせる。」
「そろそろ自分の力だけでやりたいんだ。頼む。」
「本気か。」
「本気だ。」
「仕方がない。」
「これからどうする?」
「誰か探すよ。俺を必要としている男って、世の中にはたくさんいるんだ。お前もそうだった。最初はお前の方から呼んだんだぜ。」
「知らなかった。」
「それなりの仕事はした。俺を追い出すなら、多少のペナルティは我慢してもらうよ。」
「いいさ。」
「惚れてるんだな。」
「そうだ。」
「グッド・ラック。」
「ありがとう。」

--

久しぶりに会った彼女は、僕の姿を見て息を飲む。
「どうしたの?左腕。」
「ああ。ちょっと。うん。別れた。」
「なぜ?」
「きみを知りたかったから。」
「意味が分からない。」
「少し長い時間をくれるかな。説明はできると思う。」
「いいわ。」
「こんな僕でも、これからも会ってくれると嬉しい。」
「もちろんよ。」
「良かった。きみに嫌われたらどうしようと・・・。」

彼女は泣き出す。

「泣かないで。」
「ごめんなさい。腕のせいじゃないの。」
「じゃあ、どうして?」
「いつも、あなた女の子にモテてたわ。だから、私じゃ駄目なんだって思ってた。」
「そんなこと思う必要なかったのに。」
「ねえ。私ね。あなたの左手を手を繋ぐより、あなたの右手と手を繋ぐほうが好きだったの。ずっと。」
「そう。」
「教えて。いなくなってしまった左手のこと。どうして彼はいなくなったのかしら。」

答える代わりに、僕は残された右腕で彼女の震える体を抱き締めた。


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