セクサロイドは眠らない

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2003年12月16日(火) 「俺は慣れないよ。絶対。いつまでも、いつまでも、お前が帰って来てくれたらいいって思い続けるよ。」

「お。カコ。終わりか?一緒に帰るか?」
「社長、珍しいですねえ。こんな早い時間に。」
「ああ。たまにはな。年末はゆっくりするんだ。来年は忙しくなるからなあ。」
「社長って、ほんと仕事好きですもんね。」
「それしかないもんなあ。」
「ちょうど良かった。ちょっと話したいことがあって。」
「じゃあ、どっかで飯でも食うかな。」
「おごりですか?」
「ああ。」
「やたっ。」

そんなわけで、いつ言おうかと迷っていた事を話すきっかけを得て、私は高橋と一緒に夜の街を歩いた。高橋というのが私の会社の社長で、37歳。独身。8年前に独立して、社員を7人ほど使ってパッケージソフトの開発をしている。私は、その会社で経理をやっている。

週末でもあるし、忘年会のシーズンということで、なかなか入れるお店がない。ようやく和食の店を見つけて、そこへ入った。

「なあ。カコ。お前も長いよなあ。最初からだもんな。」
「そうですねえ。」
「幾つになる?」
「そんな事、訊くんですか?やだなあ。29歳になりました。」
「そうか。」
「随分といい歳でしょ?」
「そういわれても、女の子の歳はよく分からないんだけどね。」
「最悪ですよ。29歳なんて。」

高橋は、さっき道端で渡されたカラオケ屋のチラシを見ながら、
「そうか。そろそろクリスマスなんだなあ。」
とつぶやいた。

「そうですね。私は、嫌いなんですけどね。この季節。」
「どうして?」
「予定がないから。」
「なんだ。寂しいな。」
「社長は?」
「俺は実家に帰る。」
「実家?」
「うん。妹が結婚するんだ。」
「妹さん、お幾つですか?」
「えーっと。33だったかな。先を越されたよ。」
そう残念でもなさそうに、高橋は言う。

「で?カコの話ってのはなんだ。給料上げろってか?」
「そういうんじゃないですよ。」
「ま、お前も男ばっかりの職場でよく頑張ってくれてるからなあ。」
「仕事、辞めたいんです。」
「え?」

高橋は、箸を止めて私を見る。

「結構まえから考えてたんですけど。このところ、社長が忙しそうだったもんですから。」
「そうか。いや。なんか困ったな。今お前に辞められると大変かも。」
「引き継ぎはちゃんとしてから辞めます。」
「来年はちょっと大変な年なんだよな。」
「また何か考えてるんですか?」
「うん。まあ。ちょっと。」
「そっか。」
「だけど、急だなあ。」
「ええ。」
「理由はなんだ?結婚か?」
「いえ。」
「じゃあ、給料がいいところに変わるのか?」
「そういうんでもないんですけど。」
「話してくれるかなあ。」
「うん。何だかね。何にもなかったんです。私。クリスマスも、今年も何にもなくて。会社の人でも誘ってくれてたら辞めるつもりはなかったんですけど。ずっと、会社のマスコットみたいにして可愛がってもらって。だからそれに応えようと思って、私なりに会社のために頑張ってきたと思うんですけどね。気が付いたら、なんか、何にもないなって思って。」
「お前がそんなこと思ってたなんて知らなかったな。」
「だって。そんな話、会社でするわけないじゃないですか。」
「ちょっとショックなんだよ。カコはいつだって楽しそうだったし。美人でしっかり者で。だから、何もなかったなんて言われたらちょっと辛いなって思うわけよ。ま、勝手なこと言わせてもらうなら、会社を支えていく仲間としてお前も同じ気持ちだと思ってたからさあ。」
「私の問題だと思います。なんだか流されてここまで来て。」
「そっか。まあいい。飲めよ。」
「はい。」

そういう高橋の箸は、さっきからずっと止まったままだ。

「で?どうするの?これから。」
「海外行こうと思ってます。」
「海外?」
「はい。ずっと、仕事終わったら英会話とか習ってたし。」
「知らなかったなあ。」
「TOEICも、920点取ったんですよ。」
「へえ?お前、すごい頭良かったんだなあ。」
「会社と、英語。それだけなんです。私の人生。」
「それだけって。美人だし、頭いいし、って。無敵じゃん。」
「でも、そういう事じゃなくて。外から見てどうとかじゃなくて。自分がどうしたいか、ちゃんと考えて来なかったんですよね。だから、英語って決めて、いつかそれで自分を試そうって思ってたんです。」
「そっか。」

高橋は、冷酒を頼み、
「ほら。飲め。」
と、勧めて来る。

高橋は酒が回って来たのか、目のふちが少し赤い。

「えらいよ。カコは。」
「社長だって。ずっと会社引っ張って来て、いつもやりたいことで一杯で。うらやましかったです。」
「こういう話、もっと早くすれば良かったな。」
「いいんですよ。今だから言えたんだし。ずっと楽しかったから、こんなこと考え出したのって最近だし。」
「いつ帰ってくるんだ?」
「いつって。まだ行ってもないですから。でも、最低一年ですね。」
「一年か。」
「ええ。」
「向こうで恋人が出来ちゃうかもな。」
「あはは。それ、いいですね。ほんと。クリスマスも毎年一人で。男の人に囲まれて仕事してても、ずっと待ってばっかりで誰も声掛けてくれなくて。」
「そりゃ、カコが美人だから、声掛けにくかったんだろ。」
「いつだって、社長に認めてもらうのが目標でした。でも、いくら頑張っても、私にはプログラムも作れない。みんなが気持ちよくやれるようにサポートするのが精一杯で。」
「みんな、カコに頼ってたからさ。カコがいなくなったら大変だろうな。」
「すぐ慣れます。」
「いや。慣れないよ。」
「今だけです。そう言ってくれるのは。」
「俺は慣れないよ。絶対。いつまでも、いつまでも、お前が帰って来てくれたらいいって思い続けるよ。」
「じゃあ、そう思っておきます。」
「いや。ほんとに。いなくなるなんて思わなかったから、感謝の気持ちとかもちゃんと言ってなかったし。」

それ以上言われると泣きそうだったから。
「そろそろ出ましょうか。」
と、慌てて言う。

街中がイルミネーションでキラキラと輝いている。

「ずっとちっちゃい頃にさ。俺、犬もらったんだよね。クリスマスプレゼントに。弟とか欲しかったから、すごい嬉しくて。なのにさ。なんか、野球とかしたいじゃん?だから、散歩とかも母親に押し付けて。だけど、そいつは俺が好きだから、いつも俺が家に帰ったらすごい尻尾振ってくれて。」
「仲良かったんだ。」
「うん。なのにさ。犬が5歳ぐらいの時かな。腹が膨れて。なのに体は痩せて。病気で死んだんだ。」
「そうなんだ。」
「なんか。いっつも遅いのな。その時になって、もっと遊んでやれば良かったって。あいつは真っ直ぐこっちを見てたのに。俺は視線合わせるのが恥ずかしくてちょっと目をそらしてたっていうか。」
「きっと気付いてましたよ。ワンちゃんも。」
「うん。そうだといいなって。だけどさ。なんか言わなかった自分がかっこ悪いっていうか。」
「社長のそういうとこ、なんか好きなんですけどね。」
「でも、言う時は言わなくちゃな。」
「そうですね。」
「なあ。カコ。また、戻って来いよ。絶対。会社のお前の机、ずっとそのままにしとくから。あ。いや。会社じゃなくても。俺んとこに。」
「私、そのワンちゃんみたいな存在?」
「いや。そうじゃないけどさ。今日、お前と話しててカッコいいなって思った。だから、カッコ悪いのはいつも俺なんだよ。」
「よく分からないけど。」
「うん。それでもいい。とにかくさ。24日は、お祝いしてやるよ。お前の。出発の。」
「妹さんは?」
「どうでもいい。お前の方が大事だからな。」
「あはは。なんか。嬉しい。」
「帰って来いよ。絶対。」
「さあ。どうかな。」
「いや。絶対帰って来い。」
「考えておきます。」
「返事は?」
「24日に、とりあえず。」
「分かった。」

本当は、会社を辞めるという決断は少し早まったかなと思わないでもないけれど、もう引き返せない。友人が言ってたっけ。「男ってのは、いつも女が腹を決めて後戻りできなくなってから肝心のことを言うのよ」ってね。


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