セクサロイドは眠らない

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2003年11月21日(金) 「なのに。他の人と結婚するって。なんだか、腹立って。最後の時間を上手く過ごせなくて。彼に置いてかれて。」

仕事を早めに終え、私は急いでいた。雨が激しく、傘を差していてもスラックスの裾が濡れてしまう。

皆、急ぎ足で歩いている歩道に、一人の女性が立っていた。傘も差さず。みな、少し体をねじりながら除けている。私も同様にその女性を避けようとして。振り向いて立ち止まる。その女性のことを良く知っていたから。
「どうしたんだ?こんなところで。びしょ濡れじゃないか。」
「課長・・・。」
「皆の邪魔になってる。さ。行こう。」
「嫌です。」
「どうして?」
「だって・・・。」

頬を伝うのは、涙なのか雨なのか。

しかし、私は少し乱暴に彼女の腕を掴み、歩き出す。

「待って。ねえ。待ってったら。」
彼女は叫ぶ。

とりあえず、手近な喫茶店に飛び込む。彼女は僕の部下で、普段は明るい女性だ。

「どうしたの?」
「すみません。個人的なことなんで。」
「そうか。だが、あの場合、見過ごすわけにはいかなかった。」
「分かってます。」

彼女の体は小刻みに震えていた。

「寒いか?」
「ちょっと。」

だが、震えているのは、彼女の体ではなく心だろう。

「もう会えないって言われたんです。それで、私。」

コーヒーでは彼女の体はとても暖まりそうにない。

「おいで。」
私は、伝票を掴み、レジに向かう。

「どこへ行くんですか?」
「ホテル。」

私は、黙って彼女の手を引いて歩き始める。

ビジネスホテルが立ち並ぶ道に差し掛かる。
「適当に入るよ。最近のホテルは設備がいい。服だって乾かせる。」
「はい。」

小奇麗なホテルを適当に選び、フロントに向かう。

私は思う。

これで、花束が買えなくなるな。

--

「落ち着いた?」
「ええ。」
「シャワー、浴びてきなさい。」
「でも・・・。」
「大丈夫。変なことはしない。それより、このままじゃ風邪をひく。」
「分かりました。」

素直にうなずくと、彼女は立ち上がる。

シャワーの音が響き始めたところで、私は部屋を出て、ホテルを出たすぐのところにあるコンビニでビールのパックを買う。

私は、また、思う。

これでケーキが買えなくなるな。

--

彼女がバスタオルを巻いた体でベッドの縁に腰掛けている。

「ビール。飲むだろう?」
「はい。」

もう、声も落ち着いていて、震えは泊まっている。

私は、ビールを差し出しながら、自分の分も手にする。

「ありがとうございます。」
彼女は小さな声で礼を言う。

「まったく。びっくりするじゃないか。君らしくもない。」
「ほんとですよね。私もびっくり。」

彼女はビールをぐいっと飲んで、へへっと笑う。

ああ。いつもの彼女だ。元気だけが取り柄で。男性が多い部署で、ただ一人の女性。みんなのマスコット的存在だ。

「大学の時、バイトで知り合ったんです。バイト先のマネージャで、私に仕事を教えてくれたりして。もう、五年ぐらい。ずっとあの人のことだけを考えて生活してたんです。」
「・・・。」
「なのに。他の人と結婚するって。なんだか、腹立って。最後の時間を上手く過ごせなくて。彼に置いてかれて。」
「なあ。」
「はい?」
「お前、幾つになったっけ?」
「25です。」
「若いなあ。」
「若くないですよ。全然。」
「いや。若いよ。うん。悪い意味じゃなくて。」

いつのまにか、彼女が私のすぐそばまで移動して、寄り添うような格好になっている。

「でもね。分かってたんです。私。彼に甘えてたって。私よりずっと大人で。無理言って会ってもらって。本当は対等には扱ってもらえてなかった。妹っていうか。で、彼も弱くて、私が頼んだら拒めなくて。」

私は、ビールには口をつけず、二本目の煙草。

「ねえ。課長。私のこと、今晩抱いてくれませんか?今日だけ。彼の代わりに。駄目ですか?」
「・・・。」
「明日からは普通にして。今日のことは全部忘れますから。ね。だから。」
「駄目だ。」
「どうしてですか?奥さんのことが気になりますか?それとも、私が魅力的じゃないから?」
「いや。きみは魅力的だ。」
「だったら・・・。」
「それはできないよ。」

私は立ち上がり、もう一枚大きなバスタオルを彼女の肩に掛ける。

「服、乾いたか見てきてやるから。」
「課長。」
「今なら、まだ、そんなに遅くない。な。」

私は、彼女を残し部屋を出る。

--

戻って来た時には、彼女は少しばかり明るい表情。

「早く着替えなさい。待ってるから。」
もう一度部屋を出る。

--

ホテルから出ると、もう雨は止んでいる。

「ねえ。本当のこと教えてください。課長、本当はどうだったの?私を抱きたくなかった?」
「うん。かなり迷ったけどね。でもさ。明日。」
「明日?」
「ああ。明日。いつもみたいに部署のみんなと笑って仕事がしたい。もちろん、きみとも、いつもみたいに冗談言い合って笑って仕事がしたかった。その幸福とは引き換えにできなかったんだ。」
「分かります。多分、私も。」
「そうか。じゃ、明日もしっかり仕事してくれよな。」
「やだ。ひどい。」

私達は、笑う。

まだ電車がある時間だったが、心配だったから彼女をタクシーに乗せる。
「真っ直ぐ帰るんだぞ。」
「はーい。」

私は走り去る車が消えるまで、そこで見送る。

それから、慌てて。今なら終電に間に合う。走った。

私は走りながら計算する。

今渡したタクシー代で、レストランの食事代が飛んでったな。

--

自宅の玄関前で、私は大きく息を吸う。玄関の向こうでは、妻が起きて待っていることだろう。

11回目の結婚記念日。花束も、ケーキも、レストランの食事も、今日は何もない。

きっと、きみは、僕が一番恐れる笑顔で、ドアの向こうにいるだろう。

一晩中。僕は、一晩かけて君をなだめる。朝を迎える頃、僕は、勝ち誇った君を前に、従順なしもべとなることだろう。なぜなら僕は君にぞっこんだから。

そうして、あらためて、仲直りのキスと結婚生活の継続に、乾杯をすることだろう。


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