セクサロイドは眠らない
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2003年11月09日(日) |
「綺麗だとかって、そんなことは何の関係もないわ。綺麗でも、幸福になれるとは限らないもの。」 |
私は、奥様の身の回りのお世話をするために雇われた。奥様は、目が見えない上に車椅子なので、いつも傍にいてお世話をする人が必要なのだ。
若くて美しくてお金持ちなのに、とても不幸な奥様。そもそも、目が見えなくなって、歩くこともできなくなったのは、旦那様が他所に女性を作って却って来なくなったからだと聞いた。
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月に一度、奥様の主治医が奥様の目と足を見にいらっしゃる。
「どうなんですか?もう治らないんですか?」 雇われて間がない頃、私はお医者様にそう訊ねた。
「さあねえ。私には何とも。奥様の目は、何度検査しても異常がないのです。光にだってちゃんと反応している。なのに、奥様は何も見えないとおっしゃる。足だって同じです。」 「ショックのせいですか?」 「さあねえ。どうでしょうか。」
医者は、老眼鏡を外しながら言う。 「まだお若いんですね。」 「はい。」 「奥様を大事になさってあげてくださいよ。」 「もちろんです。」
医者は微笑み、うなずく。それから、奥様が三歳の頃から奥様の主治医として長いお付き合いをして来たと。奥様の気性は知り尽くしていると。そんな話をしてくれた。
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夜、奥様の美しい髪の毛をブラッシングしていると、奥様が急に話しかけてきた。 「恋をしたことがある?」 「私がですか?恋を?」 「ええ。恋よ。」 「ありません。私、奥様みたいに綺麗じゃありませんもの。」 「綺麗だとかって、そんなことは何の関係もないわ。綺麗でも、幸福になれるとは限らないもの。」 「あの・・・。」 私は、奥様が何を言いたいのか良く分からなかったけれど、急に悲しいような、腹立たしいような気持ちになって、手を止めた。
「どうしたの?」 「あの。奥様は、充分にお美しいです。新しい恋だってできます。だから・・・。」 「ふふ。可愛いのね。心配してくれてるの?」 「ええ。だって・・・。神様は残酷です。」 「いいのよ。私なら。新しい恋がしたいわけじゃないんだし。今のままでいいの。」 「今のままでいいなんて・・・。」 「いいのよ。私は充分楽しんでいるわ。あなただっているし。ね。」
私は、奥様の静かな横顔を見てますます悲しくなった。
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雇われて半年目の事だった。
それはとても急だった。
旦那様が屋敷に戻って来たのだ。何といっても、ここは旦那様のお屋敷だ。誰も止められない。旦那様は、女性を連れていた。美しい人だ。見たことがある。今売り出しの女優だ。旦那様は真っ直ぐに奥様の部屋に入って来た。私は驚いて奥様の顔を見た。
「誰?」 奥様は、見えない目をドアの方に向けた。
「私だ。お前の夫だよ。」 「あら。あなた、お久しぶり。」 「元気そうだな。」 「ええ。この子がよくしてくれて。」 「まだ若いな。」 「そうね。一途に私を慕ってくれてるの。」 「そうか。それはいい。」
それから旦那様は私に向き直り、 「妻を頼むよ。扱いにくい女だがな。」 と言った。
「とんでもございません。奥様は素晴らしい方です。お慕い申し上げています。」 と、私はとっさに叫んだ。
旦那様はニヤリと笑った。
「で?何の用事?誰かいるんでしょう?あなたのそばに。」 奥様は、見えない目で旦那様の方に向き直る。
「ああ。今売り出しの・・・だ。」 「あなたの会社のコマーシャルにも出るんですって?」 「そうだ。」
それまでニヤニヤしていた旦那様は、急に真顔になって、 「なあ。芝居はやめろよ。見えるんだろう?」 と言った。
「何のこと?」 「知ってるよ。お前の目も、足も、芝居だってことはな。」 「何を言ってるのかしら?」 「お前が俺への当てつけに芝居してるってことだよ。」 「知りませんわ。」
旦那様は、傍らの女優を引き寄せ、その顎を手で持ち上げて接吻を。もう片方の手は女優の腰に回されている。
女優は、うっとりとされるがままになっていた。
なんてひどい。妻の前で愛人となんて。奥様の見えない目が宙をさまよう。奥様の目が見えない事だけが救いだ。私の心は怒りで震えた。
「なあ。お前のせいだ。俺はいつだって悪者だ。今更取り繕ったって、周りはみんなお前の味方だ。」 「離婚して差し上げればいいんでしょう?」 「ああ。その方が、いっそ・・・。」 「いいえ。離婚なんてしませんことよ。」
旦那様は、今度は青ざめた顔で。乱暴にドアを開け、部屋を出て行った。残された女優は慌てて後を追った。
私は泣いていた。
「どうしたの?」 奥様が訊いて来た。
「何でもありません。」 私は慌ててエプロンで涙を拭いた。
「泣かないでちょうだい。ね。私のために泣くなんて意味のないことよ。」 「でも・・・。」 「本当に、あなた可愛いのね。」 「奥様はもっと幸福な生活を手に入れるべきです。」 「いいのよ。私はこのままで。」
奥様はいつもの静かな微笑みを浮かべ、 「さ。寝る前に飲み物を持って来て。」 とだけ。
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今日は休暇だ。
私は、紙切れを握り締め、そこに向かう。
そこではパーティが開かれ、大勢の男女が酒を飲み過ぎて騒いでいた。
「おや。きみはこの前の子だね?」 旦那様がすっかり酔った足取りで出て来た。
「二人で話したいんです。」 「分かった。」
静かな部屋で、少し酔いの醒めた旦那様と向かい合う。
「で?何かな?随分と怖い顔だ。」 「奥様と別れてあげてください。」 「それを言いに?」 「ええ。」 「彼女がそう言ってるのか?」 「いいえ。私が勝手に来ただけです。」 「そうか。彼女はきみのこと、随分上手く手なづけたもんだな。」 「違います。」 「いや。いいんだ。ねえ。きみはまだ若いから分からないんだろうが。僕は妻を愛している。」 「ならどうして奥様のところに戻らないんですか?」 「いや。それは違う。彼女が僕を追い出したんだ。あの演技でね。目と足の演技でね。それで僕はあの屋敷にいられなくなった。」 「演技?」 「そうさ。まったく大したもんだ。僕がちょっとした浮気を繰り返していた事に業を煮やした彼女の演技だよ。あれで使用人も世間も、みんな彼女の側についた。」 「それだって、元はといえばあなたが悪いんじゃないですか?」 「そうさ。僕も若かった。だがね。彼女も若かった。些細な事から始めた演技が、もう、やめられなくなった。彼女は一生あのまま、目が見えないふりを続けることだろうよ。」 「分かりません。」 「ああ。分からないだろうね。」 「そんなのが愛情ですか?」 「ああ。愛情だよ。僕は、愛人を作って彼女を苦しめる男の役をする。それが僕の愛。」 「そんなの・・・。変です。」 「変かもしれないがね。もう、今更僕らは与えられた役割以外演じられないのさ。」
気がつけば、私は屋敷までの道を戻らずに、知らない道を走っていた。奥様の主治医だって。屋敷のみんなも。知っているのかもしれない。奥様と旦那様の演技を。
おかしいよ。
そんなの。
私は、ただ、息が切れるまで走り続けた。
それから、胸が痛くなってしゃがみ込んだ。
雇われてから、何度も、若いねと言われた。私は、何も知らずに騙されるのが仕事だった。あの若い女優だって利用されただけなのだ。この、馬鹿げた大掛かりな舞台では、演技をしない者が愚か者なのだ。
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