セクサロイドは眠らない

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2003年11月07日(金) 「どうすればいいの?モデルをするためには。お話をすればいいのかしら?それとも、服を脱げば?」

彼女がいつものように上の空で僕の前を通り過ぎる。少しきつい香水が僕の鼻を突く。

「あの。」
思い切って声を掛ける。

「なあに?」
別段驚きもせず、彼女は優雅に振り返る。

「モデルになっていただきたいんです。」
「モデル?」
「ええ。」
「いいけど。何のモデルかしら?絵?写真?それとも、詩とか小説かしら?」
「どれでもないんです。」
「私を口説きたい時は、みんな回りくどい事を言うのよねえ。」
「コンピュータプログラムです。」
「プログラム?初めて聞くわね。そんなものにモデルが必要なんて、初めて聞くわ。」
「説明が必要なら・・・。」

彼女は微笑んで言った。
「いいわよ。勝手になさい。コンピュータなんて、私はちっとも分からないから。説明なんかされても困るだけ。それより、どうすればいいの?モデルをするためには。お話をすればいいのかしら?それとも、服を脱げば?」
「いいんです。こうやってあなたがいつも散歩で通るこの道で、あなたを不躾に見つめるのを許していただければ。」
「それだけ?いいの?他の人はもっといろんな事を言うわ。きみをもっと知りたいといって。」
「必要ないです。むしろ、あなたを深く知ってしまえば、あなたは僕の一部になってしまう。それじゃあ駄目なんだ。あなたが僕の前に現われた時の驚きが僕の創作意欲をかき立てるんですから。」
「分かったわ。変わった人ね。」
「ありがとうございます。」
「その代わり、作品が出来たら教えてちょうだいね。」
「ええ。あの。それから、名前を教えてください。」
「ジャスミンよ。」

彼女が行ってしまうのを、僕はじっと見送る。

それから、急いで自宅に戻り、パソコンに向かう。

--

僕は急いでいた。彼女がそのうち、散歩をしなくなるのを知っていたから。彼女の目を見たら分かる。何もかもが終わってしまった目をしていた。

次の日、散歩ですれ違った時には、もう、彼女は僕の顔を覚えていないかのように知らん顔だった。

僕はそれでも充分だった。

一週間。それだけあれば充分だ。

目を閉じて、彼女のことを思い出し、それからキーボードに向かう。

--

「ジャスミン。」
僕が呼び掛けると、彼女は物憂げにこちらを見る。

「あら。いつかのコンピュータ屋さん。」
「お時間、よろしいですか?」
「いいわ。うちにいらっしゃいな。聞かせて。あなたの作品について。」
「喜んで。」

彼女は、僕の前に紅茶を、自分のためにワインを持ってくると、ソファに腰掛けて手足を伸ばす。猫のように美しい。

「僕の作品にはジャスミンと名づけました。」
「知ってるわ。私だって新聞くらい読むのよ。新種のウィルスでしょう?」
「そうです。」
「それって、すごいものなの?」
「世間を騒がすには充分です。」
「何が起こるの?」
「コンピュータの主要なプログラムを破壊して、使い物にならなくします。感染は気まぐれで、ルールを掴むのが難しいんです。」
「まあ。なんてひどい。」
彼女は可笑しそうに笑う。

「僕のあなたのイメージです。」
「そうね。すごいわ。今までの人達は、私にもっと素敵な人間像を重ねてくれたけれど、本当はあなたの言う通り。ひどい女よ。」
「でも、魅惑的だ。」
「ウィルスなんか作って、お金になるの?」
「なりません。それに僕らみたいな人種は、お金のためにプログラムを書くんじゃないんです。」
「ねえ。そんなことより。あなた、私のことをよく知ってるみたいだけれど、怖くないの?」
「ええ。」
「あなたも、地下室の彼らのように殺されてしまうかもしれないのに。」
「目を見れば分かる。」
「すごいのね。」
「今夜。僕はあなたを一人にしないためにここに来たんです。」
「一緒よ。誰がいたって私は孤独。あの人が他の女を選んでから、ずっと。」

彼女は、赤ワインを飲み干し、窓の外に目をやる。
「怒りよ。怒りだけだったの。生きてる理由は。一人の男への怒りを肩代わりさせるために、百人殺したわ。だけど、私の心は休まらなかった。それでようやく気付いたの。私の中の怒りを殺す方法を。随分と長く掛かっちゃったわ。」

空のグラスを持つ彼女の手が、ほんの少し震え始める。

「ねえ。ジャスミンの話を聞かせて。次々とコンピュータを破壊して、どうなるの?ワクチンがジャスミンをやっつけてしまうまで、悪さをし続けるの?」
「あなたと一緒です。」
「わたし・・・、と・・・?」
「ええ。あなたと。今夜十二時。ジャスミンは自分で自分を殺します。」
「そう・・・。ね。あなたみたいな人にもっと・・・。」

彼女はソファの肘掛に伏せって。

僕は、彼女の横に座り、その美しい波打つ髪を撫でる。時計が十二時を告げている。

僕のジャスミンは、あなたと一緒。最後には、自分で自分を殺してしまう。僕には分かっていた。あなた一人で逝かせるのは、辛かったから。

僕にはワインを勧めずに、一人でワインを飲み干した。なんて寂しい人だろう。

彼女の手からグラスを外し、僕もワインを。彼女が自分のために用意したワインを、僕もいただこう。こうやって、僕ら寄り添えば、ねえ。恋人同士みたいじゃないか?


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