セクサロイドは眠らない
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2003年11月03日(月) |
私は彼と散歩をする。結婚って、何て素敵な制度なんだろう。もう、私は一人じゃない。 |
ある晴れた午後、私は幸福の絶頂だった。少しずつ目だってきたお腹に手を当てて、私は彼と散歩をする。結婚って、何て素敵な制度なんだろう。もう、私は一人じゃない。何もかもを分かち合える人ができたのだから。
その瞬間。
何が起こったか分からなかった。
彼が私を突き飛ばし、大きな音。目の前に飛び込んできた白い車。周囲のざわめき。救急車のサイレン。
気が付くと私は病院にいて、何人もの人に「大丈夫ですか?」と訊かれていた。私が、「主人は?どこ?」と言うと、みんな悲しそうに首を振った。ああ。何てこと。私は一人ぼっちになった?この子は?どうなるの?まだ、あなた、顔も見ていないのに。
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彼の誕生日。手作りの料理で彼を迎えようと忙しくしていた時。電話が鳴った。
「どうしよう。俺、事故起こしちゃった。」 と、電話の向こうから。
「何?どうしたの?今、どこ?」 「だから。俺、車で事故しちゃって。男の人。奥さんと歩いてたところを・・・。」 「じゃ、今日はお誕生日のお祝いはできないの?」 「だからっ。それどころじゃないんだよ。俺。犯罪者になっちゃった。」
彼が電話を切ってしまうと、私はもう、どうしていいか分からないで何度も彼の携帯に電話する。だが、何度電話しても話し中だった。私は、頭を抱え、長い長い夜を過ごす。
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夫は、もういない。あの時、夫と一緒に私も死んでいたら良かったのに。あの人がいなくなってしまった今、どうやって生きていけばいいのか分からなくなってしまった。
夫のお母さんが、 「いつでも電話してくるのよ。」 と言ったけれど。
誰にも電話したくない。
さっきから電話が鳴っている。何度も鳴るから仕方なく出ると、男の人の声。事故を起こした車に乗っていた人だ。
「ですから。もう電話して来ないでください。全部代理の人に任せてますから。お願い。何にもしてくださらなくて結構です。あの人を返してくれるっていうなら別だけど、そんなことどうせ無理でしょう?」 電話を切り、また、泣いてしまう。
ちゃんと食べなくちゃ。赤ちゃんがしきりにお腹の内側から私を蹴っている。お腹が空いたと言っている。
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彼はすっかりふさぎ込んでしまった。幸福な家庭を壊してしまった今、もう、きみと結婚するわけにはいかないんだ。そう言って、両親に謝りに来た時、私は初めて泣いた。事故で亡くなった人の家族には申し訳ないけれど、私の幸福まで奪われるなんて、納得できない。
彼は、ただ、手紙で謝罪するより他無かった。「謝りたいのに、顔も見たくないと言われた」と、ひどく苦しんでいた。私は、ただ、彼がいつの日か元気を取り戻すのを待つしかないのだ。
私も苦しい。彼も。みんなみんな暗く長いトンネルの中で、明かりが見えない。
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子供には絵里と名づけた。
とても愛らしく元気な子なのに、ただ一つ。
もう三歳になるというのに、言葉が出ない。医者は事故のせいだろうと言う。夫が事故に遭ったショックで、お腹の赤ちゃんにも影響が出てしまったのだろうと。
ごめんね。お母さんを許して。
あの時は、私、自分のことばかり。でも、今分かった。彼は、私だけを守ったのじゃない。この小さな命も一緒に守ったのだ。
毎日絵本を読む。それでもいつか、「お母さん」って言ってくれるんじゃないかと期待を込めて一言一言、絵里に聞かせる。
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彼は随分と元気になった。だが、心のどこかで、まだあの事故の事を考えている。いつか償いをしたいと、そればかり考えている。私はもう、すっかり結婚はあきらめた。
彼のために料理を作る。
今日も彼はそれを一口食べて。それから、少し奇妙な表情で私を見る。
「美味しいね。」 って言ってくれないの?
だが、彼は、 「うん。これだよ。」 とだけ、うなずいて。
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「おい・・・。おいし・・・。」 娘が言葉を出した時の喜びを何て言えばいいだろう?
「絵里ちゃん、美味しい?これ、美味しいの?絵里ちゃんの好きなホットケーキ。」 「美味しい。」
絵里も嬉しかったのだろう。大喜びだ。私は、涙をぬぐい、天に感謝する。あなた、聞こえた?
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彼は一つ、また一つと言葉を失っている。病院では、もっともらしい病名は言うけれど、何の解決にもならない。
彼は、だが、その運命を静かに受け入れている。
だから、私も泣かない。彼が自分の運命と向き合おうとしている時に私が泣くなんて。だから、誓った。もう今日から泣きませんって。
「真由理。」 彼が私の名前を呼ぶ。
ねえ。いつか、私の名前すら忘れてしまう日が?
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絵里は随分と沢山の言葉をしゃべる事ができるようになった。パパ、ママ、って。ね。もう一度呼んで。
「パーパ。マーマ。大好き。」
ねえ。あなた。あなたの事もちゃんと呼んでるわよ。こうしていると、三人でいるみたい。
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ある日、彼は寝室で、悲しい声で私を呼ぶ。何度も何度も呼ぶ。 「真由理。真由理。真由理。」
それが最後の言葉。もう、何もかも失って、最後に残った言葉。
私達は抱き合って眠った。
次の日。彼はいなくなった。多分、私の名前すら失う事を怖れて。
もう、彼とは二度と会えないだろう。それでも私は泣かない。誓ったのだから。私の耳に残った彼の声だけが生きる支え。
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絵里は、もう、今では言葉が遅かった事が嘘のように、よくしゃべる子になった。
今日はテストで100点取ったご褒美を買いに、二人でショッピングに出掛けた。
絵里が急に立ち止まる。そこには悲しそうな目をした女性がうつむき加減に歩いていた。絵里は呼び掛ける。 「真由理。」
その女性は、驚いて立ち止まり絵里を見る。その目から見る見るうちに涙が溢れて来るから、私は驚いて、 「大丈夫ですか?」 と、問う。
「ええ。お願い。もう一度だけ聞かせて。」 「真由理。」 「あなたがちゃんと持っていてくれたのね。ありがとう。また、明日からも生きていける。ありがとう。」
女性は、次に目を上げた時にはもう泣いてはいなかった。
私は、それを知っていた。泣かないと決意した、悲しい心を。
その夜、絵里に訊ねた。 「あの人、知ってたの?」 「ううん。だけど、私、あの人の名前を預かってたの。」
私はそれ以上は訊かなかった。絵里も何も知らないようだった。だが、私は、感謝を。絵里に言葉をくれた人に感謝を。
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