セクサロイドは眠らない

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2003年10月24日(金) 急だったから。まだ、ぐったりとして起き上がれない私の上にその大きな体が迫って来たから。私は悲鳴を上げた。

私は、まだ何も信じられずに、保険会社から届いた用紙に記されたゼロの数を数えている。

海外出張から戻ってくるはずの兄は戻らず、兄の命は五千万という金額となって私の手元に届いた。

「どうして・・・?」
何度も何度も考えるけれど、すぐ分からなくなってしまう。五年前、父と母が乗っていた車が対抗車線から飛び出して来た車と正面衝突した。今度は兄。何でこんなことになるんだろう?

兄と借りている小さなアパートは、もう、私の居場所ではなくなってしまった。

--

部屋にいると大声で泣き叫んでしまうから。安いアパートの壁は、私の狂った泣き声を食い止めることはできないから。

私は外に出て、歩いた。あてもなく歩いた。

しあわせ、という文字が目に飛び込んだ。

「しあわせ。」
声に出して読んだ。

私は、幸せを売るというその店に入った。

「いらっしゃい。」
頭の禿げ上がったおじさんがいた。

「あの。幸せって。」
「ああ。そうね。しあわせ不動産っていうんだよ。うちはね。儲けは関係ないの。住まいがその人の求めるものであれば幸せになれるっていう、そういうあれよ。」
「私の希望する家もあるかしら?」
「あるよ。」
「予算は五千万あるんです。」
「それなら充分だ。言ってごらん。住みたい家を。」
「木造で。小さな庭があって。」
「ふんふん。」
「お便所は和式がいいです。それから、庭に犬小屋があって。その犬小屋は、父さんが作ったんです。中に毛布が敷いてあって。雑種の犬がいて。」
「いいよ。続けて。」
「平屋で。子供部屋は一つだけ。」

私は、とりとめもなくそんな話をした。

「家の主は、毎朝同じ時間に出て、夕方五時半には家に戻って来て、犬の散歩をさせるんです。妻は、夕飯の支度を済ませていて、犬の散歩の時は一緒に出かけるんです。それで、毎日会った事を話すの。」
「ん。分かりました。あなたの欲しい家ね。」
「五千万で足りますか?」
「足りますよ。充分。」
「いつ、その家に入れますか?」
「すぐにでも用意できるよ。」

分かってもらえた。

私は、泣き出すかと思った。

--

小さな家だった。最初から分かっていた。間取りも。住む人も。私と、夫。初めて家に入る時、私は、
「ただいま。」
と言ってみた。

「おかえり。疲れたろう?」
夫が微笑んでいた。

庭では犬がうるさく吠えていた。

「大丈夫。」

私は買い物籠を置き、
「ぺスの散歩に行かなくちゃね。」
と言った。

「ああ。待ってんだよ。」
「行きましょう。」

それから、私と夫は、話をしながら、ぺスの散歩に出かける。話は他愛のないこと。野菜が少し高かったとか、お隣から頂き物をしたとか。そういうこと。夫は、仕事でまた問題を抱え込んだらしい。だけど、彼は有能だからすぐ解決してしまうだろう。

家に戻ると、質素な食事。私は少しだけ夫が飲むビールを分けてもらう。

「幸せね。」
私は、言う。

「ああ。幸せだ。」
夫は答える。

--

「いってらっしゃい。」
夫が会社に行ってしまうと、私はソファで少し体を休める。

あれから一ヶ月。そろそろ不動産屋にお金を持って行かなくちゃ。

下ろして来た札束を紙袋に詰めて、私は家を出た。

「どうも。お久しぶりです。」
「もっと早く来なくちゃいけなかったんですけど。」
「いいんですよ。あたしのほうはね。で?お客さんの方はどうです?家、気に入りましたか?お客さんが望んだ家でなかったら大変ですからね。なんせうちは、しあわせ不動産だ。」
「そのことなら、大丈夫です。望んだ通りのおうちね。夫も、犬も。」
「なら安心しました。」
「もう会う事、ありませんね。」
「ええ。」

私は、なぜか、不動産屋で長居をするのが嫌で、お金を渡してしまうと、急いで不動産屋を後にして足早に家に向かった。

--

「おかえりなさい。」
今日も夫が無事帰って来た事に安堵する。

「ただいま。」
「さきにお風呂になさる?」
「いや。食事をもらおうかな。」
「じゃあ、私、ちょっとお酒いただいていい?」
「ああ。いいとも。」

母もこうして、父のお酒をもらって。あんまり飲めないのに、顔を赤くして嬉しそうだったっけ。

私は、不動産屋に行ったこと。それから、生垣のキンモクセイの花が、オレンジ色の絨毯みたいで美しいこと。そんな事をしゃべって、少しお酒を飲み過ぎてしまった。

気付くと、夫に布団に寝かされていた。

「ごめんなさい。私・・・。」
「ああ、気付いたかい?」

急だったから。

まだ、ぐったりとして起き上がれない私の上にその大きな体が迫って来たから。

私は悲鳴を上げた。
「いやっ。やめて。」

夫は驚いて私の顔を見る。
「夫婦だから。」

私は、それでもただただ、いやいや、と叫んで泣いていた。

--

「どうしたら良かったのだろう?」
夫は私の顔から目を離さない。

その真っ直ぐな瞳が受け止められず、私は窓の外を見たまま。

「こんなこと、望んでなかったの。ただ、一緒にいて。犬の散歩をしたり。おしゃべりをしたり。」
「だが、僕らは夫婦だ。」
「ええ。でも、嫌なの。」
「どうしたらいいの?僕はきみにとって、どうであればいいんだ?」
「あなたは?何のためにここにいるの?」
「中年の男が来た。そうして、札束を置いて、僕の時間を買い取った。僕は、言われるままに、この小さな家に来て、きみに出会った。」
「お金が欲しかったの?」
「いいや。違う。幸福になりたかった。たった一人で孤独だったから。」
「私もよ。」
「どうすれば良かったんだい?僕はきみに金で買われたようなものだ。何でも言うことを聞くよ。」
「一緒にいてくれれば良かったの。父と、母と、兄と。四人で暮らしたこの家で、前みたいに一緒にいられたら良かった。」

それから、私は、アルバムを取り出す。何時間も、何時間も、夫に、私が失ったもののことを話す。

何時間経ったろうか。

私も彼もすっかり疲れていた。

私は、もう、声も枯れてしまって。夫がゆっくりと立ち上がるのを見ていた。

「何をするの?」
ようやく声を絞り出す。

彼は静かな顔で。だが、するどい目で。私を見つめ、カーテンのところまで行き、ポケットからライターを取り出す。

「やめて!」
だが、しかし、彼はゆっくりと火をつけた。

--

三十分だろうか。一時間だろうか。消防車のサイレンが鳴る。

私と彼は、黙って火を見ている。

その木造の小さな家が燃えるのは随分と早かった。

「私の家。」
「何もなくなってしまえば、ここに新しい家が建てられる。」
「うん。」
「僕は、きみの父親でも兄さんでもなかった。」
「うん・・・。」

燃えさかる火で頬が熱い。

「ねえ。あなた、これからどうするの?」
「さあ。どうしようかな。」
「まだ、一緒にいてくれる?」
「いいけど。僕は、放火魔だぜ。」

私は彼の手をそっと握る。

彼も握り返して来る。

隣にいる男は、私の父でも、兄でもなく、燃えてしまった家は私が育った家じゃなかった。

私は、男を知らなかった。知らない男だからこそ、抱いて欲しいと思った。


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