セクサロイドは眠らない

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2003年10月09日(木) ああ。悲しい。僕には分かる。悲しみの表し方を知らない人ほど悲しい存在はない。

夜、一人歩きをするのはそう嫌ではなかった。その日も、一日黙って仕事をして帰宅する途中だった。

「ってー。」
その黒い影が、ゆらりと動いた。

男だ。若い男だ。近寄らないほうがいい。何かトラブルかもしれない。だが、私の足はそこから動こうとしなかった。何が起こったのか知りたかった。

どうやら、ジーンズの右足がびっしょりと血で濡れているようだ。

「あの・・・。大丈夫ですか?」
私は思わず訊ねた。

「ああ。すみません。」

くるりとこちらを向いた顔を見て、私は息を飲んだ。

目のない男だった。

「そうだ。さっき外れたんだっけ。」
男は苦笑するように唇を歪めた。

聞いた事がある。どこか山奥の貧しい村。生まれつき目のない人々の村。水のせいなのか、空気のせいなのか。ただ、目がないのを補うように、さまざまな感覚が発達していて、日常生活は私達と同じように送れるという。

「サングラス。犬が飛び掛って来てね。揉みあってるうちにサングラスがどこかに行っちゃったみたいだ。変でしょ。僕の顔。目さえ隠せば、普通の人と変わらないのにね。」
「うちに来ませんか?止血だけでもしなくちゃ。」
「ああ。でも迷惑じゃ?」
「怪我人は放っておけないわ。」
「じゃあ、肩貸してもらえませんか?」
「ええ。どうぞ。」

まるで目が見えるかのように、男の手がすっと私の肩に伸びて来た。私は、ほんの少し身を固くした。

「僕が怖い?」
「ちょっとびっくりしただけです。」
「犬は正直だね。僕を見るなり飛び掛って来た。普通の人間じゃないと思ったんだろうね。」

男の背はすらりと高く、体つきもたくましかった。私の胸の鼓動が激しくなった。

「きみの事、当てようか。」
「え?」
「きみは・・・、そうだな。すごく優しい人だ。」
「そんなこと・・・。」
「分かるよ。僕らは、その人に近寄っただけで、その人の鼓動が聞こえ、体温が伝わって来るからね。僕に敵意を持っているか、好意を持っているかも分かるんだよ。」
「続けてください。」
「そうだな。それから。うーん。こう言ったら失礼かもしれないけどもね。とっても悲しい人だ。」
「悲しい?」
「ああ。悲しい。僕には分かる。悲しみの表し方を知らない人ほど悲しい存在はない。きみは、涙を出さずに泣き、歯を食いしばらずに苦悩する。そんな人だ。」
「・・・。」
「怒らないで。」
「怒ってないですけど。」

私は、古ぼけたアパートの前に立った。

「とても狭いの。」
「構わないよ。」

男性を部屋に上げるのは初めてだった。部屋はみすぼらしく、普通の人になら恥ずかしくて見せられない状態だった。だが、それより何より、私は私の顔を見られない事で、すっかり安心しきっていた。

だって、私はとても醜かったから。

--

「いい部屋だ。」
「見えるんですか?」
私はどきっとして男を振り返った。茶色の柔らかい髪。がっしりした顎。太く逞しい首が続き、その下にある体がとても美しい物であることは容易に想像がついた。

「いや。見えないよ。だけど、住んでいる人が几帳面だという事が分かる。気配を感じるんだ。」
「見えなくて良かったわ。」
「見えなくて残念だ。」

私達は笑い合い、それから、慌てて
「足。足、見せてください。」
と私は叫んだ。

ジーンズを脱ぐのが辛そうだったが、傷は思ったより浅く、血もすっかり止まっていた。私は震える指で男の足に包帯を巻いた。それから私の兄が残して行った衣類を着せた。

「ありがとう。」
「あの。お茶でも入れますね。」
「いいよ。それよりここにいてよ。」
「え?」
「ね。いいだろう?僕、昨日故郷から出て来たばかりなんだ。こっちの世界が僕にとってどんなに怖いところか。きみには想像できないだろうね。」
「何となく分かります。目が見えてたって、居心地がいい場所とは言えないわ。」
「でも、勇気を出して良かった。きみに会えたから。」

男の髪の毛が私の首に触れた。私の鼓動は、もう、どうにも隠せない音を立てて鳴り響いていた。

「こうして君に触れていたいだけだよ。暖かい君に。君だって、僕といて暖かいだろう?」
「ええ・・・。」

26年間生きていて、一度たりとも幸福だったと思った事がなかった私にとって、その夜は奇跡だった。

--

「いつまでも君に世話になっているわけにもいかない。そろそろ仕事を探さなきゃ。」
「駄目。行かないで。」

私は懇願し、彼は優しくうなずいた。私は恐れていた。彼の柔らかな声は、女性なら誰もが好ましく思う声だった。

「ねえ。ずっと一人だったの。もう私を一人にしないで。」
「分かってるよ。」

もう、自分が醜い事は気にならなかった。私は突き上げて来る幸福に酔いしれていた。

--

「赤ちゃんが出来たの。」
そう告げた時、彼は何とも言えない表情をした。

「産みたいわ。駄目?」
「い、いや・・・。その。嬉しいよ。ああ。何てうっかりしてたんだ。そうだ。愛し合えば当然の事だよな。」

彼と私は、それから話し合った。彼の仕事をどうするか。そうして、出た結論は、彼の故郷に帰るというものだった。

「大丈夫かい?」
「ええ。あなたが育った場所だもの。それに、私、もう東京にはうんざりなの。」
「僕の母と姉に紹介するよ。」
「楽しみだわ。」
「大事にしておくれ。僕達の赤ちゃんを。」
「ええ。」

--

彼の故郷は、彼の言う通りの貧しいところだった。彼は村ではちょっとした人気者だった。だが、村人達は彼が私を紹介するとほんの少し顔をこわばらせて、形ばかりの歓迎の言葉を述べるのだった。

「ねえ。私、嫌われてる?」
「なんで?」
「だって、みんな私を遠ざけているわ。」
「そりゃ、そうだよ。僕だって、この村を出ればそんな扱いを受ける。怖いんだ。みんな。いいかい?違うって事は、決して悪い事じゃない。だけど、みんな自分達と違う存在は怖いんだ。だから遠巻きに見る。」
「そのうち馴染めるかしら?」
「もちろん。多分、子供が生まれたらみんな喜ぶよ。この村は子供が少ないからね。」

私の体は日増しに膨らみ、私は子供が生まれる事だけに集中する事にした。

そんなある日。

彼は、言った。
「働きに出るよ。この村を出て、稼いでくる。」
「そんな。何かあてはあるの?」
「ないさ。ないけど。きみと生まれてくる子供のためだ。」

彼はそう言い残して、ある秋の初めの日、家を出た。

--

私は以前から彼の姉が気の毒そうな顔で私を見るのを感じていた。

「ねえ。どうしてそんな顔で私を見るの?」
彼女ははっとして私の方を向いて。

それから、ぽつりと言った。
「弟は今頃、誰かと一緒にいるわ。」
「どういう意味ですか?」
「誰か女の人と。」
「それ、どういう意味?」
「あの子の悪い癖よ。村の女の子だけじゃ足らずに、村を出てあちこち好き勝手にしてるわ。女の子と仲良くなる才能は天才的ね。」

私には、分からなかった。目のない女がこちらに向いて何を言っているのか。

「何でそんな事、私に言うんですか?」
「あなたが可哀想だから。」
「目の見えないあなたたちより?」
「ええ。そうよ。あなたは可哀想。子供が出来てしまって弟も慌てたのね。」
「帰って来ます。あの人は絶対。」
「ええ。帰って来るでしょうね。でも、病気みたいなものよ。また出て行くわ。」

私は、急にお腹を抱えてうずくまる。

「ちょっとっ。大丈夫?」
女の声がする。何かが足を伝わって流れるのを感じる。

意識が遠のいて行く。

--

私はどこかに寝かされていた。

子供は?

子供はどうでしたか?

目はありましたか?

あの人に似てましたか?

訊こうとするが、声にならない。彼のお姉さんがやさしく私の髪を撫でている。村の女達が周りに集まっている。何かを失っている者だけが私達の仲間になれるのよと言っているように。


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