セクサロイドは眠らない
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2003年06月20日(金) |
肩にかかった柔らかなウェイブの毛先から雨のしずくが垂れるのを、信号を待ちながら見惚れていた。 |
涙色の傘が気になっているのだ。
雨が降ると見かける、涙色の傘。その陰で、うつむき加減に足早に行ってしまう人。改札を出たところで。タクシーの待ち行列で。交差点の向こうに。
まさか。とも思う。彼女も、僕を探して?今日はもう会えないかと思う時に限って、傘が目に飛び込む。
その傘は、角度によってはキラリと光る、不思議な傘だった。他には見かけない傘だったから、必ず視界に飛び込んで来た。
いつしか僕は雨を心待ちにしている。明日の天気は晴れ、と、天気予報が告げれば心が沈んだ。
彼女の顔はいつも傘に隠れて、正面からは見えなかったけど。肩にかかった柔らかなウェイブの毛先から雨のしずくが垂れるのを、信号を待ちながら見惚れていた。ほっそりした肩から伸びた傘を持つ手は白くて、まるで生まれてから一度も太陽の光に当たった事がないかのようだった。
何の仕事をしているのだろうか?住まいはどの辺り?
気になるけれど、声を掛けるわけにもいかない。まるで、傘でガードしているように、いつも、彼女の顔は隠されている。
変だな。
変だよね?傘に恋してるのかな。晴れた日には、彼女を見つける事ができない。僕は、傘を差していない彼女を見つける事ができないのだ。
日増しに恋心はつのる。
その時には、はっきりと気付いていた。傘が誘っているのだ。傘を差した彼女の後ろ姿が僕を誘っている。改札を出るまではそこにとどまっていた傘が、僕が改札を抜けた瞬間に動き出した時、そう確信した。
「追い駆けて来て。」 そう言っているようだった。
何を迷っている?追い駆けて、捕まえて。好みじゃなかったら、「人違いでした」と言ってその場を去ればいいのさ。
僕は、その夜、台風が近付いている事を示す天気図をテレビで眺めながらそう思った。失敗しても、傘のせいにしてしまえばいい。
明日こそ、声を掛けよう。
--
その日、会社には電話で休む事を告げて、僕はいつもの通勤時間に改札を抜けた。その瞬間、涙色の傘が歩き出した。僕は追った。風のせいで、傘が飛びそうになるのを必死で押さえながら。だが、不思議な事に、涙色の傘は風に構わず、人込みの中を滑らかに移動していく。僕は、慌てて追う。体はもう、半分以上濡れてしまった。
やっと追い付いた時、増水した川を覗き込むように、彼女は橋の上にいた。
「待って。」 僕は息が切れて、それだけ言うのが精一杯だった。
傘は、僕の息が整うまでそこを動かなかった。
「ずっと、君と話がしたいと思ってたんだ。君もそうだろう?」 僕は、もう、傘をどこかに投げ捨ていて、びしょ濡れだった。
傘がゆっくりと前に傾いた。
まるで、うなずいたかのように。
「こっちを・・・。こっちを向いて。」
いやいやするように、傘が静かに揺れた。
傘から覗く肩が小さく震えているのを見て、僕はたまらずその肩を背後から抱き締めた。
「待ってた。」 小さな声がそう呟いた。
「うん。ごめん。なかなか勇気が出なくて。」 「ずっと待ってたんだもん。」 「分かってるよ。待っててくれたんだろう?」 「ええ。」
ゆっくりと、体がこちらを向く。心臓の動きが痛いくらいだ。
「ああ・・・。」 なぜか、知っている子だと思った。白い顔。唇は青ざめていたが、美しい顔だった。
「寒いの。」 「分かってる。」 「とっても、寒い。」 「どこかに行こう。」 「どこに?」 「二人でいられるところ。」 「ずっと一緒?」 「ああ。」
僕は、ずぶぬれのスーツのポケットから、ビーズのリングを取り出した。
「これは?」 「きみの傘と同じ色だ。」 「素敵。」 「結婚指輪。」 「はめてくれる?」 「ああ。」
僕は、指が震えてなかなか上手くいかない。
そのうち、彼女がクスリと笑った。僕も笑った。ようやく薬指の根元にリングが納まった時、僕はもう一度彼女を抱き締めて、雨の匂いを吸い込んだ。
「ありがとう。来てくれて。」 「分かってたのに、遅くなった。」 「いいのよ。」
彼女の声はなぜか遠かった。
彼女はくるりと向こうを向いて、傘に美しい顔を隠してしまった。
「待ってよ。」 なぜか、彼女はもうどこかに行ってしまうと感じた。
「長かったわ。」 「どうすれば会えるか分からなかったんだ。」 「雨が降ってる日はいつでも会えたのに。傘が目印だったのよ。」
雨が激しくなって、もう、少し先も見えないぐらいだ。彼女の声も、雨音でもう、聞き取りにくい。
傘が少しずつ遠ざかる。
「待ってったら。せっかく会えたんだろう?」 僕は追った。
「ありがとう。約束、覚えていてくれたのね。」 かすかに聞こえた。
もう、誰もいなかった。
--
「今度の台風はひどかったね。」 カラリと晴れた翌日、母の元を訪ねた。
「ああ。」 「仕事、どうしたの?」 「うん。ちょっと休み貰ったんだ。ずっと休んでなかったし。」 「そう。」 「うん。」 「庭の草取りでも手伝って行ってくれる?この季節、雑草が大変でね。雨が降るたんびにね。」 「いいよ。」
鎌を手に取ろうとして、僕は、物置の奥で灰色の古びた傘を見つけた。すっかりほこりをかぶってしまっていたが、僕にはその形状に見覚えがあった。
「母さん、この傘は?」 「ああ。これね。ほら。みいちゃんが。いっつも差してた。」
みいちゃんというのは、三歳で亡くなった僕の妹だ。妹が亡くなった時、僕は七歳だった。
「でも、これ大人向けのだろ。」 「みいちゃんね。この傘を店で見つけて、これがすっかり気に入っちゃってね。黄色の子供向けの傘を買ってやろうとしても嫌がってね。」 「雨の日に亡くなったんだよね。」 「ああ。昨日みたいな大雨の日にね。増水した川で。でも、結局、川で見つかったのは傘だけだったしね。今でも、雨が降ると、みいこが帰って来るんじゃないかって思っちゃうのよねえ。あの傘でしょ。雨が激しいと、景色に溶け込んで見えなくなっちゃうし。黄色の傘を無理にでも買えば良かった。」
僕は思い出していた。
涙色の傘を差すのが大好きだった、僕の妹。雨の日はいつも外に出かけたがった。あの日も、僕と手を繋いで。
「みいちゃんを兄ちゃんのお嫁さんにしてやる。」 と言った時の妹の顔を、思い出したのだ。
「本当?」 と、笑った顔は、大人になればさぞかし美人になるだろうと思えた。雨のしずくまでが、キラキラ光る宝石だった。
そう。僕はもう、すっかり思い出していた。
僕の幼い言葉と、涙色の傘が、彼女を雨の街に閉じ込めていたのだった。
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