セクサロイドは眠らない

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2003年05月28日(水) 私は、ただ、知りたかった。彼女の隠された武器を。いつも孤立している陰で流した涙の量を。

「あの。課長。少し相談したい事があるんですけど。」
勇気を出して声を掛けた。

「あら。大橋さん。まだ残ってたの?」
「待ってたんです。課長のこと。」
「そう。分かってたらもう少し早く終わってたのに。」
「すみません。お疲れのところ。」
「いいのよ。」

近くの店を適当に選び腰を落ち着けたところで、まずは生ビールを注文する。
「課長ってお酒強そうですよね。」
「仕事を離れたら、課長って呼ぶのやめてくれないかしら?」
「あ。はい。ああ・・・。でも呼びにくいなあ。じゃあ、白石さん。」
「なあに?」
「いえ。大した事じゃないんです。最近、仕事が面白くなくて。いつも自分に自信が持てなくて。どうやったら白石さんみたいになれるんだろう、って。」
「あら。私、そんなに自信あるように見えてる?」
「ええ。私にはそう見えます。それに、うちの会社で女性で役職に就いたのって、白石さんだけでしょう?」
「そうね。うちの会社、体質が古いから。」
「だから、相当苦労なさってるんじゃないかしらって。」
「そう見える?」
「ええ。まあ。」

お互い、酔いが回るまでは当たり障多りのない会話を続けていたが、途中で日本酒に切り替えた頃から、私はかなり砕けた物言いをするようになった。

「ほんっと、うちの会社って嫌な上司ばっかですよねえ。」
「あら。それって、私のことも?」
「違いますって。白石さんの事じゃないですよ。ほら。Y部長。割と人を見下したような目で見るっていうか。」
「ああ。Y部長・・・、ね。」
「ええ。」
「でも、大橋さんが思うよりあの人って使える上司なのよ。味方に付ける事ができたら、随分と仕事がやり易くなるわ。」
「ああ。そうかあ。白石さんって考え方が逆ですよね。上司に使われるんじゃなくって、こっちが上司を使えばいいんだあ。」
「その通りよ。」
「ね。白石さん。あの。訊きにくい事、訊いていいですか?」
「何?」
「白石さん、結構大きい仕事取ってますよね。あれ。みんないろいろ噂してるのご存知ですか?」
「噂って?」
「ほら。よくある噂。女性が営業的に成功したら、よく中傷する人がいるじゃないですか。体を使ってどうのこうのって。」
「ああ。そういうことね。」
「そういう事って、本当にあるんですか?」
「さあ。どうかしらね。」
「答えにくかったら答えなくていいです。」
「あら。別に気を回さなくてもいいのよ。そういう事はしてないから。そういうのって、結局、長い目で見たら損ですもの。目先の仕事は取れるかもしれないけれど、先々で、関係を持ったお客に縛られることになっちゃうから。」
「ああ。そうかあ。」
「そうよ。あくまでも、主導権は最後にはこちらが握らなくてはいけないわ。誰かと特別な関係を持つのって、他の関係を制限されることですもの。とっても不自由よ。」
「分かりました。白石さんがそこまでおっしゃるなら、私、白石さんを信じます。」
「良かった。」

白石さんは、酔うほどに、目が潤み色っぽくなった。白石さん自身がどんなに否定しようとも、彼女の魅力が彼女の営業をおおいに助けたのは間違いないだろう。

私は、ただ、知りたかった。彼女の隠された武器を。いつも孤立している陰で流した涙の量を。だが、少なくとも今夜はそれを垣間見ることは無理そうだった。完全に酔ってしまう前に、白石さんは私を促して店を出て、明日早いから、と告げると駅の雑踏に紛れてしまった。

--

あれから数日。一つだけ、私には引っかかっている事があった。Y部長のことだった。白石さんにしては珍しくはっきりと、特定の人を高く評価していたものだと気付いたのだ。言われてみれば、普段はクールで、私達の事など眼中にない顔をしていながら、よく観察してみれば、個々人の仕事ぶりをきちんとチェックしフォローしてくれる手腕はなかなかのものだった。

彼だ。と思った。

彼に近づけば、もしかしたら、私も仕事の上でのポジションを築くのに何か有利な事があるかもしれない。私は意識的に彼の元に質問や報告に行くようにし、Y部長が残業したら一緒に残るようにした。

ある夜、私とY部長だけになったフロアで、Y部長から声が掛かった。
「いつも頑張ってるね。今夜はもう終わりにして、一杯飲んで行こうか。」

来た、と思った。

「はい。」
と、笑顔で応えた。

--

それから間もなく、私とY部長は、体の関係を持つようになった。彼も私も、過剰に熱くなる事はなかった。ベッドでの事も、比較的淡白に済ませると、後は、仕事の話などを交わす。そんな中から、私は仕事の役に立つことを吸収しようと努めた。そうやって、半年が過ぎた頃、私は比較的大きな規模のプロジェクトを任される事になった。女性にしては大抜擢であった。

「おめでとう。」
Y部長は、グラスを私の方に向けて、笑顔になった。

「部長のお陰です。」
「いや。きみがよく頑張ったからだよ。」
「一つだけ訊いていいですか?」
「ん?なんだ。」

私は、以前からずっと気になっていた事を、とうとう口にした。
「白石さんとも、こういう関係だったんですか?」
「・・・。」

Y部長は、深く息を吸い込んで、ゆっくりと私から視線をそらした。

それだけで充分だった。

私は、白石さんが、来年、海外向けの大規模プロジェクトのマネジメントを任されるという噂を耳にしていた。

「嘘つき。」
心の中で呟く。

仕事が欲しくて男と寝たら不自由になるわよ。

なんて、涼しい顔でいいながら、男の力で社内の地位を固めてるんだわ。なら、同じ手を使わせてもらうまでよ。

私は、わざと悲しげな顔でY部長に寄り添う。
「白石さんの事、今夜は忘れてください。」

Y部長は、そっと私の腰に手を回すと、
「きみは可愛いな。」
と、耳元でささやいた。

--

いよいよ、海外向けプロジェクトの開始が間近に迫ったある日。私は、白石さんが仕事を終えるのを待って、「飲みに行きませんか?」と誘った。

白石さんはいつもの笑顔で、
「あら。久しぶりね。いいわよ。」
と、答えた。

お互い、社内では責任あるポジションを任されて、長い事話す機会もなかった。が、最近では大型プロジェクトの開始に先駆けて、白石さんの部長昇格もささやかれている。どうしても黙っていられなかった。

グラスを一気に空けると、私は言った。
「白石さん、ずるいわ。しらばっくれて。」
「何が?」
「Y部長の事。」
「ああ・・・。」
「心当たりがあるのでしょう?」
「ない、とは言えないわね。」
「やっぱり、女性の魅力を利用して、今の地位を手に入れたんですね。」
「Y部長がそんな風に言った?」
「いえ。でも、見れば分かります。」
「そう。で、あなた、どうしたいの?私を責める?」
「そんなつもりはないです。ただ、白石さんのやり方を、私も真似るだけです。」
「好きにすればいいわ。」
「ええ。そうさせてもらいます。」

私は、席を立つと、白石さんをじっと見据えた。

宣戦布告のつもりだった。

「お願いがあるの。」
白石さんは、言った。

「何ですか?」
「彼を傷つけないで。」
「あなたに言われたくないですね。」

私は、踵を返して、立ち去った。これは、女としての闘いだ。

--

白石さんが会社を辞めると知ったのは、間もなくだった。海外で力を試すため、フリーランスになるのだと言う。

どうして?せっかくここまで昇って来たのに。私は、思いがけない展開に動揺した。

今日で最後という、その日。彼女からのメールが届いていた。
「こんな事を私が言うのは変だけど、彼とは長いお付き合いをして欲しいのです。」
と書かれていた。

変な人。余裕見せてるのかしら。Y部長は、白石さんから、私に乗り換えたのだ。私の勝ちは歴然としている。

Y部長からそっとメモが手渡された。
「今夜。いつもの場所で。」

その夜、Y部長は、いつもよりずっと激しく私を抱いた。白石さんへの未練なのか。

事を終えうつぶせになった汗ばむ男の背中は、苦しげに波打っていた。

私は、ふと、ある事に気付いた。

白石さんは、男というお荷物を私が引き受けた事で身軽になることができて、新しい世界へはばたこうとしているのではないか。そう思うと、途端に私の体の上に投げ出された男の太い腕が、妙にずっしりと感じられる。

白石さんがいなくなってしまった今、私は、どうやってこの男を愛そうかと、もう戸惑い始めている。


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