セクサロイドは眠らない

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2003年01月23日(木) その幸福を取り戻そうとする黒髪の女の子が私の人生に再び現れない事を祈った。

簡易に作られた塀を隔てて、女の子が二人いつまでも尽きぬ話をしている。二人の少女は、むしろ真剣なまなざしで。一人は、豊かな金髪とバラ色の頬。もう一人は、黒髪にエキゾチックな浅黒い肌が神秘的だ。金髪の子のほうは、走り回るには少々邪魔なドレスを着ていた。黒髪の女の子は、お下がりの服に、エプロン。金髪の女の子の母親が娘を苛立たしげに呼ぶ声がする。二人の女の子は、小指を絡め、何事かを耳元でささやきあって、それぞれの家に戻って行く。

--

そうだ。私は、彼女の裕福な家、光り輝く髪の毛、ブルーの瞳。何もかもがうらやましかった。自分の黒い髪も、貧しい生活も、大嫌いだった。だから、正直にそう打ち明けた。

思いがけず、彼女も驚いた顔をして。私こそ、あなたがうらやましいわ、と打ち明けたのだ。あなたのママが作ったアップルパイ、最高だった。何より、あなたの唇、官能的だわ。

そう言って、彼女が私の唇に指を触れた時、私の背筋に電流が走った。ねえ。あなたと私の人生を入れ替えない?思わず、そんな事を口走っていた。大丈夫。おじいさんにジプシーの魔法を聞いてるの。そんなことが本当にできるの?なんて素敵なのかしら。まじめくさった表情でうなずく友人を呼ぶ、友人の母親の声。

「今夜、丘の上で。」
「分かったわ。」

私達は、それぞれの家に向かって走る。心臓がドキドキと音を立てていた。

そうして、夜中、私達はこっそり部屋を抜け出し、私は、乗り移りの呪文を唱えた。何事も起こらなかった。私達はがっかりして、それぞれのベッドに戻った。

だが、目覚めた時、私は、柔らかなベッドの上だった。

私は裕福な少女の人生を手に入れ、かつて私だった少女の肉体は、私の両親と一緒に一週間だけ間借りしていた部屋を離れ、旅に出た。

私は緊張した面持ちで母親となったばかりの人に朝の挨拶をする。へまをしないように気をつけながら、新しい生活がスタートした。

--

私は、不安だった。

幸福を実感すればするほど。

実際、お金がある生活というのは素晴らしく、私は、世界を代表する優秀な先生についてピアノを習った。練習は確かに厳しく泣きたくなることもあったが、そんな時は自分に言い聞かせる。ねえ、考えてもごらんなさい。あの貧しい生活を抜け出して、私は素晴らしい屋敷で暮らしているのよ。何を不満に思うの?

あるいは、父親と母親が激しい喧嘩をする時、私はベッドで震えながら祈る。ああ。私が生まれ育った家では、誰も喧嘩をしなかった。父さんと母さんは、いつも思いやりに満ちた言葉を掛け合っていた。だけど、あの生活に戻りたい?私は自分に問い、慌てて、その問いを打ち消すように身震いする。

そうして、私は、自分が得た人生にしがみつき、その幸福を取り戻そうとする黒髪の女の子が私の人生に再び現れない事を祈った。あの時のあの少女との短い夏の日が、唯一私にとって心を通わせる相手がいた時だったけれども。それは私達が同じ気持ちを持っていたからだ。この家を出て、別の人生を手に入れたいという。だが、今頃、彼女は後悔しているかもしれない。いつの日か、自分の本当の生活を取り戻しに私のところに乗り込んで来ないかと、私は怯えて暮らした。次第に冷えて行く家庭と同じように、私自身がバラバラになってしまわないように、私は、必死で怯えながら暮らした。

そうして、いつしか歳月が過ぎ、私は美しく成長した。

恋人はやさしい人で、怯える私の心をやさしく包み、少しずつほぐしてくれた。両親は、そんな彼との仲を祝福してくれ、いつしか、両親達の関係までもが好転したかのように見えた。

私達は、幸福なカップルのままゴールインし、両親と同じような素敵な家を構え、幸せになるべくスタートを切った。

私は、ほとんど幸福だった。ある日突然、黒髪の女が私の目の前に現れて、私が受け取るべき幸福を返して、と叫ぶという悪夢も、もう、滅多に見なくなっていた。仮に見たとしても、ベッドにはやさしい夫がいて、抱き締めてくれる。

私は、本当に安心しかけていたのだ。

だが、不幸は突然に訪れる。

ある時から夫の帰宅が遅くなり始め、私は、それを、仕事が忙しいためとばかり思っていた。そんなある日、夫の車の助手席で一本の黒い髪を見つける。

私は、それを見た時、半狂乱になり、夫の胸に殴りかかって行った。

夫は驚き、ただならぬ私の様子に言葉を失った。ただの浮気がバレたにしては、私の取り乱し方は異常だったのだろう。夫は、私の主治医を呼び、多くの人間が私を押さえつける。私は、その時、悪魔にとりつかれたような形相だったに違いない。

「あの女が来た。とうとう、あの女が・・・。」
叫ぶ私の腕に注射針が差し込まれる。

それから、遠のく意識。

うずまく憎悪。

今になって、来るなんて・・・。

--

遠くで会話が聞こえる。夫と母だ。

「あの子、小さい頃から空想癖が激しかったんです。特に、私と夫との関係が悪くなり始めた頃から少しずつひどくなって。自分が、本当はこの家の子じゃないんじゃないかって。お恥ずかしいですわ。隣に、同い年の女の子がいる一家が短い期間過ごしていた時があって、それからはそんな空想を口にする事もなくなったと思っていたのに・・・。あの子には、きっと心を開いて頼れる人が必要なんですわ。」

夫は、何やら母をなだめている。
「僕が一生付いていますから。」
とか、何とか。

だが、あの女は狡猾だ。私が人生の一番いい時を迎えるのを、ずっと隠れたまま狙っていたのだ。

私の母は、知らない。私達が入れ替わった事。そうやって、あなたの本当の娘は、自分の運命を捨てた筈なのに、今になって戻って来たのだ。結局、私は、私の過去を完全に葬らなかったのがいけなかったのだろう。私は、痛む頭を抑え、隠し持っていたナイフを持ってふらふらと外に出る。夫の秘書に扮して、元の人生を取り戻しに来た黒髪の女を殺しに。


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