セクサロイドは眠らない

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2003年01月16日(木) そうして、そのまま息を止めて死んでしまうのじゃないかという風に、感極まった声を上げた。

徹夜明けで帰宅する途中、僕は、彼を拾った。

拾ったというのが、まさにふさわしい。そんな出会いだった。彼は、カラスが群がる道端のゴミ袋の中に埋もれたような状態だったから。

「おい。大丈夫か。」
僕は、その若い青年がもそもそと動いたのに驚いて思わず声を掛けた。

「ああ。多分・・・。」

だが、手を貸さないとまともに歩けそうになかったので、僕自身ふらふらだったのだが、何とか彼に肩を貸し、部屋にたどり着いた。

彼は、僕のベッドに倒れ込み、僕も、ベッドの傍らに倒れて、そうして、眠り込んだ。

目が覚めると、コーヒーの香りが漂っていた。

「ああ。起きた?」
青年は、にっこりと笑って、それから僕にカップを差し出した。

その顔は、殴られて腫れていなければ、ずいぶんと美しいだろう。そう。男だが、美しいという形容がぴったりだった。

「うん。きみは?大丈夫なの?」
「何とか。まだ、あちこち痛むけどね。」

確かに、足を少し引きずりながら移動するその様子は、ずいぶんと大変そうに見えた。

「悪いとは思ったけど勝手にシャワー借りたよ。ひどい匂いだったから。」
「別に構わない。」
「シーツも後で洗ったほうがいい。」
「ああ。」
「迷惑掛けたよね。すぐ出て行くから。」
彼は、申し訳なさそうに言った。

「いいんだ。しばらくここにいたらいい。」
「でも・・・。」
「いいんだよ。だけど、何であんなところに転がってたんだい?」
「うん。何でかな。なんだか、また失敗したみたい。」
「また?」
「そう。僕は、いつも失敗をするんだ。」
「きみみたいに綺麗な顔だと、いろいろトラブルに巻き込まれるんだろうね。よく分からないけどさ。」
「そうじゃなくて。なぜだか、いつも失敗するんだよ。」
「大変だな。」
「うん・・・。」

彼は、コーヒーを一口すする。
「女と寝るのって、難しいよね。僕は、いつも迷う。どんな風に抱けばいいのだろう?相手はどんな風に抱かれたいんだろう?友情のように?同情心から?心が欲しいのか。それとも、面倒な事抜きに体だけで楽しみたいのかな。親のように抱擁したらいいのかな。それとも、子供のように甘えて欲しいんだろうか?そんな風に考えたら、いつも、分からなくなる。彼女は、どのタイプなんだろうって。」
「そんな風に複雑に考えなくていいんじゃないかな。もっと単純に。抱きたいから、抱く。心は、自然と入ってしまうに任せたらいいんじゃないかな。」
「そうは、いかない。僕は、ちゃんと物事のパターンを見抜いて分類して、慎重にどれかを選ばないと、必ず間違うんだ。」

彼は、とても悲しそうな顔をした。

なるほど。僕みたいな平凡な男より、この男はずっと多くの面倒事を抱えてきたのだろうな。

「僕のことは、ルイって呼んでくれる?」
彼は、その時は、子供のように頼りなさげに僕に甘える事を選択し、僕はそれを受け入れた。

--

「それで、最近付き合いが悪いのね?」
彼女は、少々辛らつな口調で、僕に言う。

「まあね。そういうとこ。」
「どんな人?」
「うーん。男の僕から見ても美しい。」
「やだあ。変な気持ちになっちゃう?」
「いや。そういうんじゃないけど。ただ、見とれてしまう事はあるなあ。」
「よっぽどなのね。」
「何が?」
「結構、あなた気難しいじゃない?そんなあなたが、人を家に長く泊めるなんてね。よっぽど気に入ったのね。」
「そういうんじゃないんだけどさ。」

彼女は、困った僕を見て笑う。

彼女のくったくのない笑顔が好きだ。まっすぐ人を見られる、正しさが好きだ。

「じゃあ、今日は来られないのね?」
「ああ。ごめん。」
「しょうがないわよね。その素敵な彼にもよろしくね。」

彼女は、彼女自身とそっくりな、長くてまっすぐな髪を揺らしながら、さっさと席を立ち、カウンターにカップを返しに行く。僕は、そんな彼女を幸福な気持ちで見送った。

--

実際のところ、僕は、ルイに興味を持っていた。その繊細さ。その優雅さ。何より、しゃべっていて面白いのだ。それから、彼のように物事を捉えて行動するのはずいぶんと大変だろうな、と、思う。彼の地図は複雑で、目的地は多様で、道はあちこちに枝分かれしている。一方の僕は、単純な道が一本引かれているだけの地図を持っているようなものだ。いや。地図さえ要らない。僕から見える世界はシンプルで、僕は、だから、彼が迷う事に、まともなアドバイスひとつしてやれない。

「来週には、出て行くよ。もう、足もかなり良くなったし。」
「ああ。」

そんな風にあっさりと言う彼を見て、僕はほんの少し寂しかったが、これでいいのだと思う。彼と僕では、違い過ぎる。世界の見え方がまるで違う。

--

それは、もう、そんな風に穏やかに過ぎようとしている僕の生活に、無理矢理割って入って来た。

たまたま、僕は、その日、彼女とうまく連絡が取れなくて、仕事で遅くなることが伝えられなかった。

たまたま、彼女は、僕のために録画しておいたビデオを届けるために、僕がいない間に僕の部屋に立ち寄った。

たまたま、ルイが彼女の鳴らしたドアチャイムを聞いてドアを開け、彼の手にはワイングラスがあった。

そうして、僕がようやく仕事を片付け、部屋に戻った時には、ルイと彼女が絡み合っている暗闇があったのだ。

僕は、悪い事をした少年のように、息を殺して暗闇を見つめていた。

最初は別人かと思った。僕の知っている僕の恋人は、自分から男の上にまたがって、そんな風に声を上げる女だじゃなかったから。

だが、そこにいた彼女は、僕といる時とは別人のように振る舞い、そうして、そのまま息を止めて死んでしまうのじゃないかという風に、感極まった声を上げた。

僕は気付いた時には、泣いて走り去る彼女を追い駆ける事もできず、ただ、静かに、服を着るルイを見つめていた。

「すまない。」
そう静かに言う声で、僕はようやく我に返り、それから、ルイを殴った。

一度、二度。

それから、悲しくなってやめた。

ルイは、わずかな荷物を肩に引っ掛けると、
「ほら。やっぱり、間違っちゃった。」
とだけ言い、部屋を出て行った。

--

ルイとも、彼女とも、それっきり二度と会わなかった。

僕は、ただ、淡々と、それからも自分が通って来て、それから、先に続いているまっすぐな道を歩くのみだと信じていた。

僕には分かっていたのだ。あの日、誘惑したのはルイからではなく、彼女からで。それは、避けがたく起こった事だったろう。

最初に会った時、ルイが言っていたこと。女と寝るのは、複雑で難しい。自分が求めるセックスと、自分に求められるセックスは、ルイにとってはまるで違うものだったのだ。と、今にして思えば、よく分かる。

だからといって、何もかも許されるわけではない。

--

それから、五年、十年。

僕は、実力が正しく評価される組織の中でそれなりのポジションまで駆け上がり、ボスから将来を約束されるまでになっていた。

そんな時。

僕は、決してしてはならない事をしてしまった。

ボスの女に恋をした。

彼女は、燃える瞳で僕を見て、一緒に連れて行って、と、手を差し伸べた。

僕は、どうしてその時、その手を取ってしまったのだろう。決して、道を踏み外さないで生きて行く筈だったのに。僕は、ルイじゃない。僕は、間違わない。

二人で、逃げた。スーツケースひとつだけで。手に手を取って。そんな風に追われるとは思ってもみなかった。

僕らは、多くのものを捨て、命からがら、遠くに逃げた。

安い宿で、貪るように抱き合った。

それも、また、続かない夢だった。

女が、僕を捨て、組織に戻ってしまってから、ずっと。僕は、ルイの事を思い出すようになっていた。いつも間違ってしまうルイの事を。ルイは、いつだって正しい道を必死で探そうとして。それなのに、彼は道を踏み外す。僕は僕で、正しいと思っていた一本道を見失って、もう、他の道がどこかにあることすら分からない。

--

一度だけ、ルイにそっくりな男を見掛けた。相変わらず、若々しく美しい白いスーツ姿の彼の横には、彼よりずっと年上の黒いドレスの女がいた。それは、白い悪魔と黒い天使の、一対のようで。

彼は、確かに、僕といた頃よりはずっと幸福そうに見えた。

彼は、どこかにたどり着いたのかもしれないな。そう思うと、僕は彼から預かったままの荷物を降ろしたように、ほっとした気分になったのだった。


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