セクサロイドは眠らない

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2003年01月03日(金) おばあさんは、ドアの外に立って、二匹のウサギが何度も立ち止まり、振り返るのを見送った。

その、小さな家で、おばあさんは一人ぼっちで暮らしていた。おじいさんが亡くなってからというもの、寂しくて、寂しくて、泣き暮らしていた。あんまり泣き過ぎて、このまま死んでしまうかもしれないと思うほど、泣いた。

こんなことでは死んだおじいさんに申し訳が立たないと、気力を振り絞って買い物かごを持って外に出ようとした時。どこからか、小さなヒーヒーという鳴き声が聞こえる。足元のカゴから、その鳴き声は聞こえてくるようだ。

「おや。子猫かしら。」
おばあさんは、駆け寄ってカゴの覆いを取った。そこには、小さな小さな、まだ目も開いていないウサギの赤ちゃんがいた。

「おや。おまえはウサギのくせに、変わった子だね。子猫のように鳴くんだね。」
おばあさんは慌てて、カゴを家に持って入ると、その子ウサギを暖かい毛布でくるみ隣の家にミルクをもらいに行った。

おばあさんは、その晩は、心配で一晩中起きていた。

一週間経った時には、子ウサギは、たくさんミルクを飲むようになり、だんだんと柔らかい純白の毛が生えそろって来た。その頃には、もう、おばあさんには分かっていた。ウサギの子は、子猫ではなく、人間の赤ちゃんのように、泣き、笑う。二ヶ月が過ぎる頃には、あー、とか、うー、とか。片言で何かをおばあさんに伝えようとするから、まるで人間の赤ん坊がそこにいるように思えるのだった。

おばあさんは、ウサギの赤ちゃんのために暇をみては、小さな家具を作ってやったり、村の子供が読み古した絵本をもらって来たりした。

「おばあさん、最近、元気が出たようね。」
村の人々に声を掛けられると、おばあさんは笑って、
「町に嫁いだ娘に赤ちゃんが生まれたんでね。」
と、返事を返した。

本当に。おばあさんは、自分でも驚くぐらい元気を取り戻していた。

八ヶ月が過ぎる頃には、ウサギの子は、すっかり人間のようにしゃべるようになり、おばあさんにいろんな質問をしておばあさんを困らせるようにもなっていた。おばあさんは、たくさんたくさんの絵本を読んでやる。ウサギの子は、丸い目をくるくるさせて、おばあさんの読む物語に聞き入る。

おばあさんは、幸福だった。ウサギの子も幸福だった。

ウサギの子は賢い子だったから、すぐさま、自分が普通の人間の子供ではない事を悟り、おばあさんが村で変な噂を立てられないよう、誰かが訪ねて来ている時は、一言もしゃべらないように気をつけて暮らした。

「お前は、本当に、神様が授けてくださった宝物だよ。」
おばあさんは、毎晩のようにウサギの子の背を撫でながらつぶやいた。ウサギは、おばあさんに寄り添い、眠るのだった。

そうして、一年が過ぎ、二年が過ぎた。その頃には、ウサギは、今では、自分がおばあさんのために新聞や雑誌の記事を読んであげられるようになっていた。

「ねえ。おばあさん。」
ある日、揺り椅子で幸福そうに目を閉じているおばあさんに向かって、ウサギは、言う。

「なんだい?」
「僕、ウサギなのに人間みたいにしゃべれるのって、変だよね。」
「その言葉に、私はどんなに元気づけられたことか。」
「僕、いつかおばあさんが困った時は、この声でおばあさんを助けようと思う。今は小さくて何にもしてあげられないんだけど。」
「まあまあ。そんな事、いいんだよ。おまえがここにいてくれる事が私の幸福なんだよ。」

ウサギは、くやしかった。おばあさんが、もう、ずいぶん年老いているのに、何も手伝ってあげられない事。ああ、僕が、本当の人間だったら。

「お前は、お前でいて。それが一番。」
おばあさんは、そういって微笑む。

おばあさんの家からは、時折、おばあさんが何やらしゃべる声が聞こえてくる、と、噂が立った。村では、おばあさんが寂しさのあまり、ボケちまったんじゃないかと言う人もいたけれど、二人はそうやって幸福だった。

--

そんな幸福な日は、ある日終わりを告げる。

ドアをノックする音。

「だあれ?」
おばあさんは、ドアを開ける。が、誰もいない。

「あら。誰もいないわねえ。」

その時、ふと下を見ると、ウサギの赤い目がおばあさんを見ていた。

「あら。坊や、どうしたの?」
と、言おうとして、おばあさんはすぐ気付く。自分の可愛い坊やではない。その時、背後から駆け寄るおばあさんのウサギ。

二匹のウサギは、何やら話をしていた。人間には分からない言葉で。ずいぶんと長い時間。おばあさんは、不安になって、胸の前で両手を合わせる。

話し終えたウサギがこちらを見た時、おばあさんは悟った。
「行ってしまうんだね?」

おばあさんのウサギはうなずく。それから、説明をする。外で待っているのは、僕の本当の母さんだという事。この家のおじいさんに昔助けられたウサギであること。そうして、おじいさんが亡くなった後、おばあさんの身を心配して、自分がこの家に寄越された事。

「ごめんなさい。」
ウサギは、言う。

「何を言ってるの。私は、もう充分よ。あなたがあの日、私の家に来なかったら、私は、とっくに死んでしまってたわ。」
おばあさんは、微笑んで見せる。

「僕、またいつかここに来るよ。」
「いつでもいらっしゃい。ここはあなたの家よ。いつだって。」

おばあさんは、ドアの外に立って、二匹のウサギが何度も立ち止まり、振り返るのを見送った。

おばあさんは、部屋に戻り、おじいさんの写真に話し掛ける。
「あの子はあなたが残してくださった贈り物だったのね。」

--

時が経ち、ある日、おばあさんはベッドから起き上がれなくなってしまった。

「おじいさん、もうすぐ、そちらに行くみたいですよ。」
おばあさんは、最後にあの子に会いたいと思った。実の娘達は、もう、都会に出て行ったきり、一度も戻って来ない。それは仕方がない。二人共、ここを忘れるぐらいに幸福なのだろう。でも、あの子は。ちゃんとやれているだろうか。長く人間に育てられたウサギに、ウサギらしい生活が送れているのだろうか。

おばあさんは、もう、ずっとベッドの中。子ウサギの夢を見ていると、誰かがそっと手を握って来た。

おばあさんが目を開けると、そこには美しい少年がいた。

「ああ。帰って来てくれたんだねえ。」
おばあさんは、その手を握り返した。

少年は、言葉をしゃべる事ができなかった。黙って、おばあさんに消化のいい食べ物を作り、シーツを清潔なものに取り替えてくれた。この家の事を何でも知っているようだった。

それから一週間、おばあさんは、夢のような日々を送った。孫がいたら、こんな子供になっていただろう。そう思った。言葉はしゃべる事ができなくても、とびきりの笑顔を見せてくれた。

「ねえ。本当だったんだねえ。あんたは、声と引き換えに、ここに戻って来てくれた。そうだろう?」
少年は、何も答えなかった。

おばあさんは、目を閉じたまま、ここ最近なかったぐらいにいい気分だった。

そのまま、おばあさんの手が冷たくなってしまうまで、少年はずっとおばあさんの手を握ったまま、そこから動かなかった。

--

ある家で、それまで声が出なかった少年が、一週間、昏々と眠り続けた後で目を覚まし、突然しゃべり始めた。

奇跡だ。と、家族がみんなで抱き合って喜んだ。

「夢を見た。ウサギがやってきた。それから、僕、とってもやさしいおばあさんのところで、お世話をしてあげたんだ。」
少年は、そっと、母親に打ち明けた。

「それは、いい夢ね。」
母親は、少年の声をうっとりとした表情で聞き入っていた。


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