セクサロイドは眠らない

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2003年01月01日(水) まして、あんな金持ちの、美貌の夫人を奪ったとなったら、いずれにしてもここにはいられない。

その庭の頑丈な鉄柵の塀越しに、彼女はこちらを見て笑いかけていた。もしかしたら、頭のねじが緩んでいるように見えなくもない、あまりにも開けっぴろげな笑顔に、僕は一瞬ひるんだ。

「いつも、この時間に通るのね。」
彼女は、そう話し掛けて来た。

「ええ。散歩で。」
「ふうん。」
「好きなんです。この町が。」
「そう・・・。」
「あなたは、この家の人?」
「ええ。そう。」
「素敵な家だと思ってたんです。」
「まさか。」
「本当ですよ。庭の木はいつも手入れされてるし、季節の花が美しく咲いている。」
「そう見えるとしたら、それは、塀越しだからよ。」
「実際は?」
「実際?つまらないところ。」

美しいその人は、吐き捨てるようにつぶやく。でも、その声は、あまりにか細く消えそうな声なので、僕はちっとも不愉快ではなかった。

「知らなかったな。ここ、毎日通っていたのに、誰が住んでいるかも、全然気にしたことがなかった。」
「じゃ、知って。ここで、私、いつも外を見てるわ。」
「娘さん?」
「いいえ。こう見えても、私、奥様なのよ。」
「そう。残念だな。」
「でも、とっても退屈してるの。だから、時々、こうやって話し相手になってくれたら嬉しい。」
「話し相手ぐらいなら喜んで。」

僕は、彼女に微笑んで見せた。

彼女も、微笑み返した。

--

その日から僕は、散歩の時間を心待ちにするようになった。ほとんどの場合、彼女は、そこにいて、僕が通りかかると駆け寄って来てくれる。たまに遅い時間になったりすると、口を尖らせて、寂しかったわ、と。そんな美しい人妻が僕を心待ちにしてくれるなんて、それだけで嬉しかった。

「明日は、会えないんだ。」
そう言うと、彼女は顔をみるみる曇らせて、今にもその瞳から涙があふれそうに見える。

本当は、明日とて何も用がない。むしろ、彼女に会うためなら、何を置いても駆けつけたいところだが、僕は、毎日のようにここで立ち話しをするのははばかられたし。何より、彼女に本気になってしまうのが怖かった。

「何があるの?時々、会えないっておっしゃるのね。」
「ああ。それは・・・。」
「ごめんなさい。私に言う筋合いはないわよね。私とあなたは、ただ、こうして毎日、こちらと向こうでおしゃべりするだけの仲だもの。」

彼女は、恥ずかしそうに、寂しそうに、笑ってみせる。その睫毛が、僕の心をかき乱す。

「たまには一緒に散歩しないか?」
僕は、勇気を出して誘ってみる。

「え?」
「散歩ぐらい、いいんじゃないかな。ほら、ご主人には健康のためとか何とか言って、さ。」
「素敵そうね。」
「素敵さ。季節を感じる。木々のささやきを聞いたり、道端の花に話し掛けたりするんだ。」
「ああ。そんな風にできたら、どんなにいいかしら!」
「おいでよ。」
「無理。それは絶対に。」
「どうして?」
「だって・・・。」
「だって?」
「主人は、ここから決して出してくれないの。」
「どうして?」
「さあね。駄目だ、の一点張り。私は、本当の籠の鳥よ。」
「そんな。おかしいよ。」
「ええ。おかしいの。あの人、狂ってるのよ。」
「本当かい?」
「本当。でも。この話は終わり。ねえ。外の話を聞かせてよ。面白い話を。」
「ああ・・・。」

彼女が無理して笑顔になると、僕の心は逆に痛んだ。確かに変だ。ここから一歩も出られないなんて。理由はなんだろう。嫉妬だろうか。こんな美しい妻を持っていれば、誰だって、一人で出歩かせたりしたくはないだろう。そうはいっても、彼女も生身の人間だ。どんなにか、外に出たいだろう。まだ、少女のようなその人。ウィンドウショッピングしたり、カフェに入っておしゃべりしたり。そんな生活が必要だ。

--

僕は、その日から、何とか彼女を連れ出せないかと、彼女を困らせないように気を付けながら、あれこれと思いつく方法で彼女を誘ってみた。だが、彼女は寂しそうな笑みを浮かべて首を振るばかり。

「きみ、本当は、外に出るのが怖いのかい?」
ある日、しびれを切らした僕は、少しばかり怒った顔をして彼女を見た。

「まさか。なんで?どうして?」
「だって、いつものらりくらりと言い訳ばかり。あんなに外に出たがって見せるのに、一度だって本気で方法を考えた事はない。」
「まあ・・・。あなた、そんな風に?」
「きみを見ていると、そうとしか思えないから。」

今日は、もう、無理を言いたくてどうしようもなかった。

「だったら、あなた、私を全部引き受けてくださるの?ここを出たら、夫は怒るわ。私、捨てられてしまう。そうしたら、私という人間を丸々受け止めてくださるつもりがある?」
彼女は、挑むように僕を見つめ返して来た。

「ああ。当たり前だ。もちろん。」
もう、僕の狂おしい熱情は止まらなくなっていた。

「本当ね?本当なのね?」
「本当だよ。」
「ああ。私、自信がなかったの。あなたにとって、私を連れ出すのはほんの気まぐれでしょうけど、私にとっては全てを左右する問題なんですもの。」
「気まぐれなんて。馬鹿な。きみは、きみの未来を自分で決める権利がある。閉じ込められたまま、生涯をここで過ごすなんて。」
「未来。未来。そんなものないわ。」
「あるさ。誰にだって、等しく。」

彼女はもう、それ以上何も言わなかった。ただ、僕の背後から。
「今夜。12時に。門のほうに回っていて。」
とだけ。

--

その日の午後いっぱい、僕は、その街を出る準備をした。人の妻を寝取ったとなったら。まして、あんな金持ちの、美貌の夫人を奪ったとなったら、いずれにしてもここにはいられない。

そうして、夜が更ける。僕は、辺りを気にしながら、その屋敷の門のそばでじりじりとした気分で待った。

「あなた、どこ?」
ささやき声が聞こえた。

僕は、暗闇に目を凝らした。彼女のほっそりした体が、闇に浮かんだ。

「来てくれたんだね。」
「ええ。」
「やっと、きみを腕に抱ける。」
「待って。今、門を開けるわ。」

彼女は、カチャカチャと音を立て、鍵を外している。キキィーっと錆び音を立てて、その門は開く。

「おいで。」
僕は、両手を差し伸べる。

彼女はゆっくりと足を踏み出す。

「さあ。早く。急ごう。」

そう言った僕の腕に、だが、彼女は飛び込んで来なかった。

そのまま、どさりと音を立ててそこに倒れてしまった。

「な・・・。どうした?」
僕は、しゃがんで慌てて彼女を抱き起こそうとした。だが、僕の手に触れたのは、不自然に冷たい、人間とは到底思えない物体の感触。

なんだ?これは、なんなんだ?

「そこまでだ。」
懐中電灯の明かりが僕を照らす。

「誰だ?」
「この人形の持ち主だよ。」
「人形?」
「ああ。人形だ。」
「あなたの奥様では?」
「ああ。かつては妻だった。」
「今は?」
「妻の記憶を移植した人形だよ。」
「そんな・・・。」
「ああ。すまなかった。人形の戯れにきみを巻き込んだ。」
「戯れ?」
「そうだ。戯れ。いつもこうなんだ。誰かれに構わず、外に出たいと訴える。」
「そうですか。」
「死んだ妻も、そうだったのだ。」
「あなたは、ここに閉じ込めたまま、外にお出しにならなかった。」
「ああ。そうだよ。」
「死んでなお、彼女がここを出たがるくらいに、それは彼女にとって辛い事だったのに。」
「知っている。私も、できれば彼女を出してやりたかった。だが、彼女は心臓を患っていてね。あまり長くは生きられない体だったのだ。最愛の妻が、自分の知らぬ場所でその命を落とすことにでもなかったらと思うと、どうしても外に出してやる事はできなかった。その事を知らない彼女は、最後まで私を恨んでいた。」
「未来がないと、言ってました。」
「ああ。記憶を反復するだけの人形に未来はない。あの夜、妻は、僕を置いて知らぬ男と逃げようとして。そうして、まさに、この門から一歩踏み出そうとした時、発作を起こし、その命を終えてしまった。そういった緊張に、彼女の体は耐えられなかったんだ。」
「・・・。」
「なあ。それでも、妻には外に出て自由になるだけの時間がないと、どうしても言えなかった。私を恨んで、恨み抜いてくれて。それで良かったんだよ。人間というのは、本当に、愛ゆえに間違ったことをしてしまうものだな。」

ええ。本当に。僕も、また間違った事を。誰かに未来が与えてやれると信じた。

僕は、足元に置いたスーツケースを取り上げると、ただ、黙って頭を下げ、そこを立ち去るしかできなかった。


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