セクサロイドは眠らない

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2002年12月30日(月) さかな

キッチンには、魚が一匹。母が置いたままにしているようだ。僕は、何とはなしに、その銀色の体をぼんやりと眺めていた。飼い猫のスノウがじっとこちらを見ている。魚を狙ってるんだな。そんなことを思いながら、僕は銀色の体を、ぼんやりと。

突然、魚が口を開く。
「なあ。今年もそろそろ終わりだな。」
「ああ。」
「思い残す事とか、ないのかい?」
「思い残す事?うーん。別に、ない。」
「そうか。」
「うん。そうだ。」

僕にはどうしようもない事なら、僕の頭の中にしっかりと横たわっているが、それはもう、とりあえずどうにかしようという気力も湧かない問題なのだ。

「あんた、彼女はいるのかい?」
魚が、あつかましい口調で訊いてくる。

「彼女?うん。どうかな。この前までいたけど。どうだろう。もういなくなっちゃったかな。」
「それ、心残りなんだろう?」
「嫌な奴だな。知ってて訊いて来たのかよ。」
「うん。知ってて訊いた。」
「もう、あいつのことはいいんだよ。」
「本当に?」
「うん。」
「ちゃんと終わらせたのか?」
「いや。」
「じゃ、ちゃんとしろよ。もう、このまま今年は終わっちゃうぜ。」
「ちゃんとできるなら、とっくにしてるよ。だけど、もういいんだよ。」
「投げやりだな。」
「ああ。」

些細な事だったんだよ。だけど、恋人同士の喧嘩なんて、きっかけは大概の場合、些細なもんだろう?

そうだな。

クリスマス・イブの日だったんだよな。彼女、バイトでちょっと遅くなるって。だから、終わったら電話してくる事になってた。だけど、さ。たまたま、俺、電話掛かって来たの気付かなくて。ヘッドホンで音楽聴いてたの、な。そんで、気が付いた時には、着信から三十分ぐらい過ぎてて、しまったと思ったわけよ。でも、そん時は、悪いな、って思ってて。だから、慌てて電話したら、やっぱ、すっげえ怒ってて。それで、こっちも悪かったって謝ろうとしてんのに、謝る暇もないぐらいの勢いで怒るからさあ。

喧嘩になっちゃったんだな?

うん。なんかさ。いっつも、この程度の事ですっげえ怒るから。で、なんか、あっちの勢いがこっちにまで移っちゃって、もう、止まんなくなったの、な。で、それっきり。

彼女、泣いてたろ?

ああ。それ、いつもなんだよ。泣かれたらさ。こっちが不利じゃん。どうしようもないじゃん。だから、さ。余計腹立ってさ。

その後、電話してないの?

ああ。それっきり。クリスマスのプレゼントも渡せずじまい。もうさ、いい加減潮時なのかなあと思ったりもして。最近、結構彼女怒りっぽくて。つまんない事でも、しつこく問い詰められたりとかしてて、こっちも面倒になって、電話を途中で切っちゃったりとかあったから。もう、俺ら、駄目なんかもなって。

ふうん・・・。

魚は、とぼけたまん丸の目でこっちを見ている。

「何だよ?」
「いや。別に。」
「大体、俺、なんで魚なんかにこんな事しゃべってるんだよ。馬鹿みてえ。」
「まあ、そう言うな。俺で良ければ、話し相手になってやるしさ。」
「いいよ。」
「そう言うなって。ところでさ、あんたの彼女、他の男ができてなきゃいいがな。」
「他の男?」
「ああ。結構、可愛いしな。」
「なんだ。そんな事まで知ってるのか。」

僕は、ふと、バイト先の先輩の話が最近会話によく出ていた事を思い出す。

「ま、いいさ。男がいても。」
「でもさ。あの子、お前に黙って他の男と付き合うような子じゃないよな。」
「まあ、そうかな・・・。」

いつも、ちゃんと気持ちを伝え合おうね、ってうるさいぐらい言ってた。

「あの日も、バイト先で、その先輩って奴と彼女、一緒だったんだろう?」
魚が言う。

「ああ。クリスマス・イブの?」
「うん。クリスマス・イブに一人ってさ、女の子は嫌うだろ。」
「だけど、俺と喧嘩したからって、他の男とデートしたりとか、するか?」
「そういう子じゃ、ないんだろ?」
「多分。」
「でも、普通、男なら誘うよな。イブに彼氏と喧嘩して泣いてる女の子がいたらさ。相談に乗ってあげるよ、とか何とか言って。」

魚は、ニヤリと笑った。ように見えた。

「嫌なこと、言うなあ。」
「ああ。ついでを言えば、その先輩ってさ、すごい優しいんだろ。それに引き換え、お前って結構子供なのな。彼女の事も放って遊びに行ったりとか、さ。」
「うん。」
「でさ、彼女がそういう時、先輩に誘われちゃって、とか相談して来たら、お前、すぐ、うるさいって怒るだろ。そういうんで、俺を試すような事言うなって。」
「まあ・・・。そう、かな・・・。」
「それって、さ。お前が不安なんだよな。女の子がそういう事言うのって、お前を試そうとしてるっていうより、ちゃんと自分を受け止めて欲しいってのが大きかったんだと思うよ。お前が冷たくする一方で、優しい男が現れたら、どんな女の子だってぐらぐらするだろ。だからこそ、本当に自分の事大事に思ってるか知りたくなるんだよ。」
「そういうのって、分かってくれてると思ってんだけどな。」
「馬鹿だなあ。言わなきゃ分かんないんだよ。そういうのって。」
「そうか?」
「そう。」

魚は力強くうなずいた。ように見えた。

「それにさ、ちゃんと言ってあげたって、誰も損しないだろう?だったら、言ってやれよ。」

そんなもんか。

僕は、部屋のすみに転がったままのプレゼントの小箱を思い浮かべる。それから、時計を見上げる。まだ、大丈夫かな。

--

魚は、もう、何も言わずにそこに転がっている。僕は、そいつをスノウが食べてしまわないように、ラップをして冷蔵庫にしまう。

僕は、小箱を片手に。それから、町へ飛び出して行く。

あちらこちらで「良いお年を。」と飛び交う言葉が耳に聞こえてくる。

せめて、今年のうちに気付いた事に安堵して、僕は歩を早める。今年の愛は、今年のうちに。


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