セクサロイドは眠らない

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2002年11月11日(月) その犬は、不細工で動きも妙だったが、それゆえに、愛情といったものがきちんと表現されているような。そんな犬だった。

依頼の電話は少々ヒステリックな語り口で、疲れていた私は思わず受話器を置きたくなった。
「で?ご依頼の趣旨を、もうちょっと要点を絞ってお話いただけませんかね。」
「ですから。うちのおじいちゃんなんですけどね。ロボット工学の第一人者の島村と言えば、お分かりでしょう?」
「え?ええ。まあ。」
生憎と、そういったことには疎かった。

「お金をね。どこに隠してるか、調べて欲しいの。」
「金?」
「そうなの。資産が五億とも十億とも言われてる人がね。あんな貧乏暮らしなんて、おかしいもの。」
「失礼ですが、一緒にお暮らしなんでしょう?」
「そうよ。そうなんだけど。だから変なのよ。とにかく、調べて欲しいの。」
「分かりました。いつがよろしいですか?」
「今週の土曜日はどう?おじいちゃん、一日出掛けるから。」
「分かりました。」

私は、溜め息をついて電話を切った。事務所は小さくてみすぼらしかった。今日の依頼を受けなければ、今月の家賃も払えなかった。大概は家庭のトラブル処理を専門にしている私立探偵として食べている私にしたら、年寄りの遺産を狙う娘からの電話であろうと、最後まで聞かなくてはいけない。

ロボット工学?

そこが少し面白そうではあった。私は、おもむろにインターネットに接続して、キーワードを幾つか入力し始めた。

--

目の前にいるのは、電話の主の中年の主婦の早苗と、その夫。それから、主婦の妹の美千代とかいう女だった。だが、しゃべっているのは、ほとんどが早苗だった。

「で?」
私は、単刀直入な話が好きだった。

「どこかに隠してると思うんです。」
「どこかって言われても。」
「私達にはろくに食費も出さないくせに、しっかり溜めこんで。ね。もう、あの年でしょう?いつ何があるか分からない。」

島村という老人は、確か、今年で八十八になるのだった。

「そのあたりは、ご本人とちゃんと話し合われたらどうでしょう?」
「ちゃんとって言っても、ねえ。」
「何か心配事でも?」
「ええ。まあ。ね。」
「なんです?」
「私達が心配してるのは、おじいちゃんが犬に遺産を残しかねないってことなの。」
「犬?」
「ええ。犬よ。」
「そんなことは法的には無理でしょう?」
「そうだけど。とにかく、普通じゃないのよ。おじいちゃんは。だから、何をするか分からなくて心配してるの。」

早苗の夫が口を開いた。
「犬と言っても、ロボットなんですよ。」
「はあ・・・。」
「帰りに庭に回ってみられたらいい。あれはね。うちで昔飼っていた犬をモデルに、お義父さんが作ったもので、今、一般に出回っている愛玩用ペットの原型とも言えるものです。」
「なるほど。」

島村は、そのペットに、生き物の詳細な動きを反映させてみせて、数々の特許を取っていた。

「今や、お義父さんが心を許すのは、あの犬だけなんです。」
「そうですか。しかし、だからと言って、犬に遺産を残すなんてあり得ません。」

そうは言いながらも、その時私は、やたらと興味をそそる、その老人に会ってみたくなっていた。

「ともかく、お引き受けしても、大したお返事ができるかどうか。」
「いいです。お願いします。」

私は、立ち上がろうとしたその時、一人の少年が部屋に飛び込んで来た。

「息子の守です。」
早苗が紹介した。

「こんにちは。」
私は、利発そうな顔の少年の顔を覗き込んで、挨拶をした。

「こんにちは。」
にっこりと笑う少年。

「いい息子さんですね。」
「ええ。まあ。唯一、おじいちゃんと仲良くしてるのがこの子なんですよ。」
「なるほど。」

私は、少年の頭を撫でた。確かに、この家族の中では少しまともな目つきをしている。

「じゃあ、ちょっと犬に会わせてもらえますかね。」
「玄関を出て、右に回ってください。庭にいますから。」

家族は、私を玄関で見送ってくれた。早苗の妹とかいう女は、遂に一度も口を開かなかった。

--

ロボット犬は、僕を見るとキャンキャンと騒いでまとわり付いて来た。僕は、はしゃぐロボット犬の首輪を注意深く外して長めた。もう随分古くて、そこには「ぺス」と書かれていた。前に飼われていた犬のものだろう。

ロボット犬は、奇妙で、みっともなかった。今、市販されているような本物そっくりの愛玩用ロボットとは、外見も動きも違っていた。ただ、そのロボットは、あり余る愛情を表現しようとしているかのように、僕の上着のすそを引っ張り、まるで「遊ぼう」と言っているような素振りを見せた。

僕は、思わず微笑んだ。その犬は、不細工で動きも妙だったが、それゆえに、愛情といったものがきちんと表現されているような。そんな犬だった。

「どうですかね。うちの犬は。」
いきなり、背後から老人の声がした。

僕は、驚いて振り向いた。
「島村さんですね?」
「ええ。そうですが。」
「はは。この犬は番犬にはなりませんね。」
「そうなんです。そういう意味では役に立ちませんねえ。昔から。生きてた頃からそういう犬でした。」
「はあ。」
「娘に言われて、いらしたんでしょう?」
「ええ。」
「私の遺産がどうとか。」
「そうです。」

私は、あきらめて、全てを認めることにした。この聡明な老人には嘘はつけない。

「近くの喫茶店で話をしましょうか。」
老人が言った。

「ええ。」
僕は、うなずいた。

--

「私がどこかに金を隠している筈だと。そういうことでしょう?」
老人は僕の目を真っ直ぐに見て、切り出して来た。

「そうです。」
「はは。こういった事を、定期的にやらかしてくれるんですよ。あやつは。」
「そうですか。」

それから、老人は、巧みな話術で、ロボットの話を。それは夢のような話だった。少年の頃から誰もが夢見たことが、あたかも現実になるような話。

僕は、ただ、敬意を示し、耳を傾けた。

「いや。いいお話ですね。実に面白い。」
「こういった事は、娘らには分かってもらえんのです。」

老人は少し寂しそうに、言った。私は、うなずいた。

「私の金がどこにあるか。あんたにだけは教えましょうか?」
「・・・。」
私は、何と答えていいか、よく分からなかった。

「実は、金はありません。全部、使ってしまった。」
「一体、何に?」
「何って。もちろん、研究です。」

それから、声をひそめて。
「実はね。娘も、孫も、全部ロボットなんですわ。」
「はあ・・・。」
「あいつらがあんまりうるさいもんでね。金目当てに、私に接近し、思うようにならないと私をののしるようになった。老人虐待ってやつですね。だから・・・。」
「だから?」
「あいつらを殺した。そうして、代わりの家族をね。全員を。金をはたいて作った。どうです?生きてる人間そっくりでしょう?孫だけはね。ちょっと辛かったですよ。あの子に罪はなかった。だが、母親が偽物だと、一番に気付くのはあの子ですからね。生かしておくわけにはいかなかった。」

私は、何も答えられずに、汗をぬぐった。

「娘の口癖も。金をどこかに隠している筈だから、探してちょうだい。ってね。それしかしゃべらんのですわ。あのロボットは。それでも、そんな娘ですがね。可愛い娘ですから。従順なロボットなんかじゃなくてね。あの子そっくりに作った。」

僕は、もう、うなずくしかなかった。

さっきまでの話術で、僕には、目の前の老人がもはや魔法使いか、神か、という気持ちになっていたから。

「そういうわけで、もう、この調査からはお引取り願えますかな。」
老人は、僕の胸ポケットに封筒をねじ込むと、さっさと支払いを済ませ、店を出て行ってしまった。

--

僕は三十分程そこに座ったまま。ようやく封筒の中を見た。そこには口止め料であろう金が入っていて。当面、僕はそれで事務所の家賃が払えそうだった。

外は、思いがけず、暖かな陽射しで。だが、風は冷たく、のぼせた頭を冷やすのには丁度良かった。

それから、ふと思ったのだ。

最後に島村さんが言った言葉。あれは、寂しい老人一流のユーモアだったのかなと。僕は、まんまと騙されたのかもしれない。本当は、家族はちゃんと生きていて。ただ、僕に波風立てないように、手を引かせたかったのかもしれない。

本当のところは全然分からないけれど。

確かに、あのロボット犬は愛に満ちていて、誰かを殺すような人間が作ったものではなかったと、僕は確信したのだった。


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