セクサロイドは眠らない

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2002年11月09日(土) 「なかった。主婦の何人かとは、寝たけれども。それで彼らの結婚生活が揺らいだとは思えない。」

長い長い仕事だった。

三十年続いた人気連載だった。最初は思い付きのように始めたのが、思いがけず読者の反響を呼び、私がその雑誌の編集長を降りた後も、そのコーナーだけは私が担当を続けた。連載は単行本化し、それもベストセラーになった。

今、私は、若き編集者のインタビューを受けている。

「大先輩を取材できるということで張り切っています。あなたの仕事をずっと尊敬してましたから。」
そんな風に言って、若者は緊張した顔でこちらを真っ直ぐに見ていた。

私は、自分の半生を掛けた大仕事にすっかり満足していて、その裏話なら何でも話すつもりだった。

--

その連載は「夫婦」というタイトルだった。文字通り、毎週発売される、その雑誌の巻頭を飾って、一組の夫婦が登場する。そこに登場する夫婦は自他共に認める仲のいい夫婦でなければならない。もう一つの条件としては、基本的には二人暮しであること。単身赴任で週末だけ同居という状態であってもいけないし、子供が一緒に住んでいてもいけない。週に二日だけなら仲良くできる夫婦や、家族の団結を夫婦愛とすりかえてしまうような夫婦は取材するつもりはなかった。インタビューは、私自らが行い、夫婦の仲の良さをあらゆる角度から検証していく。

という、それだけの企画だった。

最初は、ほんの気まぐれで始めたのだ。当時は、私は、離婚したばかりで、深く傷付き、もう二度と結婚なんかするものかと思う一方で、仲のいい夫婦への憧れで胸が押し潰されるような気分になる事があった。今思い返せば、あの時、私は軽い躁鬱病であり、「夫婦」という連載は、そんな自分の状況を打開するための、非常に個人的な企画であったとも言えよう。

大して売れていなかった、その週間雑誌では私の企画はすんなりと通り、以来、私は毎週毎週一組の夫婦の取材を続けることとなった。

夫婦の仲の良さと言ってもいろいろとあると思う。要は、双方が幸福であること。これが大事だった。どう見ても暴君の夫と、奴隷のように従順な妻でも、良かった。あらゆる夫婦の関係を肯定していくのが、この企画の大事な目論見であったから。一方で、どんなに仲良さそうに振る舞っていても、どこかに無理が見える夫婦に対しては、最初の面談の時に、正直にその旨を伝えてお断りするようにした。

企画は大当たり。編集部に寄せられるハガキは膨大なものとなり、取材希望の申し込みも殺到した。私は、できうる限りの時間を割いて、取材の対象となる夫婦を選別して、打ち合わせのために夫婦の元に何度も足を運んだ。夫婦二人揃ってではなく、個別にインタビューする時間も取った。相手のいないところで本心が見える場合もあるからだ。

十代の若い夫婦。中年の危機を乗り切った夫婦。不妊治療に失敗した夫婦。人生の最後を迎えようと病院で過ごす夫婦。

私は、その都度、深い感銘を受け、いつしか、もう一度結婚してみたいと思うようになっていた。

これだけいろいろな形の夫婦愛があるならば、自分にだって、何か見つけられる筈だ。そんな風に思っていた。

--

若い編集者は、理知的で、質問には容赦がなかった。
「取材をされた後、離婚した夫婦というのはありましたか?」
「そりゃ、あったよ。」
「やはり、少ない割合で、なんでしょうね。」
「さて。どうだろう。取材の後の追跡調査はしないものでね。僕は、記事が載った時点で、後の処理を他のスタッフに任せてしまうんだ。」
「その後の夫婦の在り方というのが気になった事はありませんか?たとえば、同じ夫婦が、再度取材を依頼されたりと言った事は。」
「それは、あったよ。もちろん。だけど、基本的には却下していたな。」
「それは、また、どうしてでしょう?」
「さて。どうしてだろうね。人間はなかなか変わらないものだからね。たとえば、離婚して別のパートナーと一緒に取材を受けたがった人もいたが、結局、パートナーは変わっても同じような夫婦関係を築いていたりすることが多いと思うんだよね。だから、基本的には、同じ人に再度登場願う事はなかったな。」
「取材の過程で、載せられない事実が出て来た事はありましたか?」
「まあね。」
「そういう時は、どうされていたのですか?」
「場合による。それで夫婦の関係が危惧されるなら、取材は打ち切ることもあったし。その秘密が、逆に夫婦の親密さを支えているものであれば、問題なしとして、取材を続けたりもした。」

編集者は、今のところの、私の無難な受け応えが少し不満なようだった。

「あなた自身はどうでした?あなたは一度離婚されて、その後でこの企画を始めた。自分の結婚の失敗がこの企画の進行に大きな影響を与えた筈です。」
「そりゃ、もちろん。」
「仲のいい夫婦を、傷付け、壊したいという気持ちはなかったですか?」
「あっただろうな。」
「それは、相手にも伝わってなかったと言い切れますか?」
「いや。全然。むしろ、みんな知っていたと思う。本当に、あなたはそのパートナーで満足しているのか?僕は、何度も何度も問うたから。」
「やり過ぎたりは?」
「なかった。主婦の何人かとは、寝たけれども。それで彼らの結婚生活が揺らいだとは思えない。」
「寝た?」
「ああ。寝たさ。」
「それは、まずいんじゃ・・・。」
「さあね。彼女達は、一様に、寝ることが夫婦の関係を悪くすることはない、と言い切った。むしろ、夫にこのことを話して、更に夫婦仲に役立てるつもりだと言った人までいた。」
「はあ・・・。」
「そういう夫婦もいるということだ。」
「あなたのやったことは・・・。」
「間違いだろうか?」
「ある意味では、そう思えます。」
「でも、彼女達は、それを望んでいた。他の男を一切排除した場所でしか今の夫を愛せないなら、その夫婦は随分と脆いと思わないかね?」
「それは・・・。どうでしょうか。」
「とにかく。私は、そうやって、この三十年続けて来た。問題はあったのかもしれないが、具体的なトラブルはほとんどない。セックスは、相手との合意があった時だけだ。彼女達はそれを望んだ。夫婦のために望んだ。」
編集者は、まだ若かった。いろんなことが、すんなりとは納得できない年齢だった。

「分かりました。次の質問に行きます。どうしても掲載できなかった記事で、特に印象に残ったものは?」
「ああ。一つだけある。」
「それは、どんな?」
「別れた妻がね。若い男を連れて申し込んで来たんだ。」
「どうされたんですか?」
「もちろん、すぐに断ったさ。だが、相手は何度も何度も申し込んで来た。根負けした私は、取り敢えず、取材することにした。」
「別れた奥様は、どんな意図があったのでしょう?」
「そりゃ、もちろん、私に見せつけたいからさ。夫婦の幸福というものの形をね。」
「どんな気持ちでした?」
「腹が立ったね。あやうく、殴りかかるところだった。」
「なのに、あなたは取材をした。」
「ああ。知りたかった。妻が何を望んでいたのか。夫婦って、そうやって傷付けて行くのさ。」
「忘れられなかったんですね。」
「多分、生涯。」
「元の奥様とは、その・・・。失礼な質問だとは思うのですが。肉体関係を持ったりしたのですか?」
「ああ。したよ。」
「・・・。」
「素晴らしかった。失われた物の全てがそこにあった。もう一度、取り戻せると思った。本当に嫌なら、女は別れた男と寝たりしない。」
「それから?どうなったんです?」
「壊そうと思った。妻の家庭を。」
「あの名企画を三十年もやってきた人の言葉とは思えないな。」
「そうかな。そうかもな。だが、いいんだよ。自分はうまくできないくせに、他の家庭をうらやましがり、なくしたものを取り戻そうと馬鹿みたいにもがく男の視点から見てきたものが、世の中の望んでいたものなんだから。」

若い編集者は、小さく溜め息をついた。

おそらく、私への尊敬の念がガラガラに崩れ去ったのだろう。

私は、笑い出したい気分だった。

その時、部屋をノックする音がして、妻が入って来た。
「あなた。お茶を。」
「ああ。丁度良かった。紹介しよう。」
「あら。私は・・・。」
「いいじゃないか。」

私は、妻を横に座らせた。
「妻だ。」

編集者は驚いた顔をした。
「結婚なさってたんですか?」
「ああ。」

私は、その時、幸福だった。

なぜなら、妻が横にいるから。

陰鬱な時代を語るのは辛い。こうやってそばに妻がいると、その辛さもやわらぐ。

「彼女とは二度目の結婚なんだ。」
「ということは?」
「ああ。そうだ。結局、壊しちゃったんだよな。彼女の家庭を。」

妻が笑いながら言葉を添える。
「ひどい人でしょう?こういう人なのよ。昔も、今も。」

編集者は、返事に詰まっているようだった。

それでも、たくさんの夫婦を見ていたから。少しはまともに夫婦の愛が見えるようになったかといえば、そうでもない。今だって、私は不安で、そうして、妻への愛で盲目的になっているのだ。結局、長く答を求め続けたところでこんなものだ。

そんな事を、今日のインタビューの最後に言っておこうと思う。


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