セクサロイドは眠らない
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2002年11月07日(木) |
彼女のためにココアを作り、頬にキスをして、渡す。どうだい?こういう事って、猫にはできないんだよ? |
「私、猫になりたいの。」 可愛らしい彼女は、よくそんな風に言っていた。僕は、いつだって笑って聞いていた。
「ねえ。本気にしていないわね。」 彼女は、口をとんがらかして怒ってばかりだ。僕は、笑って抱き締める。
「ねえ。ちゃんと聞いて。ちゃんと。ね。笑ってばかりいないで。」 そんな風に怒っているばかりの彼女が可愛くて、僕は、いつも彼女に、 「分かったよ。子猫ちゃん。」 とだけ言って。
軽くあしらってばかりいた。
だって可愛いのだもの。きみは。だけど、きみはいつも何か不安そうだった。どうしてなのだろう。そんなに可愛ければ、そうして、こんな僕みたいな優しい男が恋人だったら、何も不安は無い筈だ。そうして、いつかきみと僕は結婚するだろう。僕は一生懸命働いて、きみと、それからいつか生まれるだろう子供達を全力で守る。それは素敵な事だ。それのどこに不安があるだろう?きみと僕は、一緒にいれば幸福になれる。大丈夫だよ。
だけど、きみは猫になりたいと言う。
「なんで猫に?」 「分からないの。だけど猫を見ていたら、私、自分が猫だったらもっと人生が満足できるものになるような気がするのよ。」 「きみは今のままで充分に、猫みたいに見えるけど?」 「あのね。私は、本当に真剣に言っているのよ。猫みたい、じゃいけないの。本当の猫にならなくちゃ。」 「じゃあ、どうしたらいいんだい?」 「それが分かってたら、今頃苦労はしないわよ。さっさと猫になってると思うの。」 「ふうん・・・。」
僕は少し不満だった。何がまずいのかさっぱり分からない上に、僕と一緒にいることで完璧な幸福を彼女が味わっていない事。
僕はもう、その話を終わりにしたかった。なので、彼女を抱き締めて唇をふさぐ。
「ねえ。ほら。すぐに誤魔化す・・・。」 「いいじゃない。どうして?どうして、今こうやって一緒にいる時を充分に楽しく過ごそうとしないの?きみは僕といても楽しくないの?」
僕はきみを軽く攻めたてながら、指先を少しずつずらしていく。
うん・・・。
あ・・・。
はあ・・・。
彼女は、ほら。もう僕の指になだめられてつまらない事を忘れてくれるだろう。ね。素敵じゃないか。こうして僕らが出会えた事。
--
だが、彼女は日増しに憂鬱を強めて行く。まるで病気のようだ。のら猫が塀の上を歩いているのをボンヤリと眺めている。僕は、彼女のためにココアを作り、頬にキスをして、渡す。どうだい?こういう事って、猫にはできないんだよ?
「ありがとう。」 彼女は、弱々しい声で答える。
「ねえ。前世とかなんとかじゃなくてね。たとえば、男性が女性の器に入って生まれて来たり、女性が男性の器に入って生まれて来たりってのと一緒でさ。猫なのに人間の器に入って生まれて来た女の子がここにいるとしてさ・・・。」 「またその話かい?」 「うん。」 「ねえ。私があなたを愛しているのは事実なの。そうして、あなたが私を愛しているのも知ってるわ。だけど、あなたは、本当はどっちを愛しているかしら?器の私?」 「まさか。両方だよ。」 「本当に両方?」
彼女は、僕の目をじっと見る。その目は、どこか不思議な色に反射して、光のせいか、グリーンにキラリと光った。
「ああ。もちろんだ。」 僕は、答える。そうだよ。そうだとも。僕は、きみの外見だけじゃない。その、時々妙な事に捕らわれ過ぎるところまでも、全部愛している。
「ふん。」 彼女は、まるで猫のように鼻を鳴らして、うなずいて。
それから、ココアを一口飲む。
「熱い!」 「ああ。きみ、猫舌だったっけね。」
猫舌?
うん。そうだ。彼女は猫舌だったんだ。
「ひどい猫舌なのよ。」 彼女は顔をしかめてカップを置く。そうして、伸びをして、 「寝るわ。」 と言って、ベッドに潜り込んでしまった。僕は、もうすっかりあきらめる。全くさっきまで憂鬱な顔してたのに、もう寝息を立てている。確かにきみは気まぐれな猫のようだね。
僕はカップを片付けると、音を立てないようにアパートの入り口を閉める。
ねえ。僕だって寂しいんだぜ。きみはきみで、多分、どこかに落ちている失くしたカケラでも探している気なんだろうけどさ。僕は、三年前に彼女が不器用に編んでくれたマフラーをしっかり巻くと、冬の街に分け入って行く。
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「決めたの。」 次に会った時は、彼女はもう、そんな事を言い出した。
「決めたって、何を?」 「猫になるの。」 「え?」 「だからさ。猫になるのよ。決めたの。」 「猫って。なんだよ。それ。」 「もう、我慢ならない。こんな人生。」 「こんなって。」 「間違った器に閉じ込められて、このまま生きて行くことがよ。」 「僕を捨てて?」 「ええ。」 「そんな事ができるのかい?」 「しかたないでしょう?あなたが本当に私の中身を愛してくれているなら、またいつか巡り会えるんじゃないかしら?」 「今は離れないほうがいい。」 「今はって。いつになったら大丈夫になるの?」 「分からないけど、もうちょっと待って。」
僕はつまらない計算をしている。彼女とこのまま結婚してしまおう。一時の気の迷いだ。彼女だって、結婚すれば気持ちも落ち着く。それから、早めに子供を作ろう。子供は可愛い。彼女だって夢中になる。そうこうしているうちに、子育てに追われ、僕らは落ち着いた中年の夫婦になり。その頃にはきみも馬鹿な考えは起こさなくなるよ。そうだ。結婚しよう。今すぐ。
僕は、あきらめたように荷造りの手を止めた隙をついて、にっこりと笑って言った。 「結婚しよう。」
だが、彼女は喜ばなかった。 「まさか、そんな事で私の気持ちが揺らぐとでも?」 「嬉しくないのかい?結婚したくないかい?」 「馬鹿ね。女の子には、結婚という言葉が最後の切り札だとでも思っているのね。」 「だって、僕らもう随分付き合って長いじゃないか。」 「ええ。そうよ。あなたがいるから、今までもう、遅過ぎるぐらいまで延ばして来たの。今からじゃ、私もう、おばあさんの猫になっちゃって、猫の人生に馴染むのも一苦労よ。」
僕は頭を掻きむしって、ソファに座り込む。この分からず屋め。思いきり怒鳴り散らしたい気分だった。
だが、こちらが意地になるほどに、彼女も意地を張り出すという今までの喧嘩のパターンを思い出して、僕は取り敢えず彼女の意見を全面的に受け入れる事にした。
「オーケー。分かった。きみの好きにするといい。もし、また僕の元に戻りたくなったらいつでも戻っておいで。」
そうさ。きみはそのうち僕の元に帰りたくなる。今だって、ほら。そんなに泣いて。
ねえ。どうして泣いているの?僕は、彼女の涙を指ですくう。
彼女は、そんな僕の手を振り切って、部屋を出て行く。
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一年。二年。
彼女は帰って来なかった。
さすがの僕でも、捨てられた事には気付く。あきらめて職場の後輩と結婚した。気立てのいい子だった。少し慌て者で、泣き虫で。そう、ちょっとだけ僕を捨てた彼女に似ているけれど、でも、一つだけ違うのは、妻は猫になんかなりたがってなかった事。
妻は、日曜日の午後、何もない時間、僕に寄り添う。僕は、そんな妻に何となく訊ねてみる。
「ねえ。きみ、猫になりたいと思った事、ある?」 「猫?」
妻は、奇妙な顔をして、僕をまじまじと見つめた。 「どういう意味?」 「いや。だから、言葉通りだよ。猫になれたらいいなあとか、そんな気楽な事さ。」 「驚いた。ねえ。あり得もしない仮定で話をするのを嫌ってる人がどうした風の吹き回し?」
なんで変な事を口走ったんだろう。普段は冗談の一つも言えない男だ。妻が変に思っても当然だよね。
「ああ。いや。悪かった。ちょっとした遊びのつもりだったんだが。」 「いいのよ。」
僕は、妻を抱き寄せて、ソファにそっと彼女の上半身を横たえる。妻は嬉しそうに僕にしがみついて来る。僕は、その一瞬、幸福になる。妻が、僕だけを愛している事の誇らしさを感じる。もう、目の前の相手が自分以外の何事かに心を奪われている、なんていう妄想は抱かなくていいのだ。
僕らははしゃぎながら服を脱ぐ。別れた女の緑色掛かった瞳がこっちを見ている錯覚を覚えながら、僕は、妻の体をすみずみまで愛する。ねえ。お前はどこにも行くなよ。頼む。お前だけは。
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それから更に十年が経った。
妻はすっかり太り、僕は家のローンと三人の子供の養育のためにせっせと働く毎日だった。
次第に、妻は不満を述べるようになり、僕は酒量が増えた。
ある日、妻は子供を連れて実家に帰ってしまった。僕は、鬱病と闘いながら、なぜこんな風になってしまったかを考えた。
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踏み切りの遮断機が目の前に降りて来る。僕は、今、フラフラと吸い寄せられるようにそこに近付いていた。抗いがたい誘惑だった。
その瞬間。
ふわっと白いしろいものが目の前を横切った。
「なんだ?」 僕は思わず足を止め、その時、背後から人が肩を掴んで来た。
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「いや。危なかったですよ。」 僕を引き止めてくれたその男は、自宅に僕を招いてくれ、お茶を勧めてくれた。髪は白髪だが、年齢で言えば僕より五歳ぐらい年上といったところだろうか。古い木造の家。縁側の向こうは素晴らしい庭園になっている。
「ありがとうございました。」 僕は、まだ、頭がぼんやりとしていて、ただ頭を下げるだけだった。
さっきの猫は?
そう思った時、白い猫が男の背後からこちらを覗いているのに気付いた。
「きれいな・・・。猫ですね。」 「ええ。」
ペルシャ猫のように豊かなしっぽを振り、薄緑色のグリーンの瞳がこちらをじっと見ていた。
「こいつがあなたを助けたんですよ。」 「この猫は?」 「私の相棒です。大事な。」
猫は、僕の目をしばらく見ると、うなずくように頭を振って、それから部屋を出て行ってしまった。
「あの猫は、もしかして、僕が知っている猫かもしれない。」 「そうですか。」 「かつて良く知っていたあの子にそっくりだ。」
僕は泣き出す。 「話を聞いてやれば良かったのに、僕は何も聞いてやらなかった。愛するという事が何か、僕には全然分からなかった。」 「誰だって、目の前にあるものを相手が望むように愛する事は難しいです。」 「でも、あなたは、あの猫といて幸福でしょう?」 「ええ。とても。」 「あの猫を僕にくれませんか?」 「それは・・・。無理です。あの猫の瞳は、かつてあなたの愛によって、美しく磨かれた。けれども、その後で、僕が彼女を愛するようになった。時は戻せません。」 「お願いだ。」
僕は、振り向いて、縁側を歩く彼女に歩みよろうとした。
「いけません。愛は無理矢理奪うものではない。」 男が叫んだ。
猫はヒラリと僕をかわし、僕は足を滑らせて庭に転がり落ちる。
「ずっと見守っていたのよ。あなたを。」 彼女の声が、遠のく意識の向こうから聞こえて来た。
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目が覚めると、転がった酒瓶。足の踏み場もないぐらい散らかった部屋。手に握られたしわくちゃの家族写真。
幸福の原石はここにあって、それなのに、僕は失った幸福ばかりをなつかしんでいた。
よろよろと起きあがる。
今日中に妻の実家に行くために、電車の時刻を調べようと思った。
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