セクサロイドは眠らない

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2002年11月01日(金) 逃れられなかった。彼女は美しく、まだ若々しい肉体を持て余している。僕だってそうだ。だから、毎夜、

気が付いた時、そこがどこか、自分が誰か、全然分からなかった。ただ、頭が割れるように痛かった。

そこは、荒れた畑地だった。向こうには、小さな家が見えた。僕は、痛む頭を抱えて起き上がった。

その畑地では、一人の女がじゃが芋を掘っていた。
「誰?」
「ああ。僕は・・・。僕は、自分が誰か分からない。」
「まあ。怪我をしているの?とにかく、うちにいらっしゃいな。心配しないで。私、一人で暮らしているの。」

見知らぬ男を家に入れて大丈夫なのか?そう訊こうと思ったが、痛む頭、ふらつく体の僕は、黙ってうなずいた。

ベッドに横たわった状態で、体を拭いてもらう。
「怖くないのか?」
「怖い?」
「ああ。知らない男だし。」
「でも、あなた、怪我してるわ。こんな状態じゃ、私に乱暴もできないでしょう?」
「それはまあ、そうだけど。」
「あなたは、きっといい人だわ。顔を見れば分かるもの。」

目の前の女は美しかったし、家は小さいが清潔で快適だった。僕は、ただひたすらありがたいと思った。出されたスープを飲むと、眠りに落ちた。

--

そうやって、少しずつ、少しずつ、僕は回復していった。

「ねえ。自分の事、まだ思い出せないの?」
「ああ。」
「辛いでしょう?」
「どうかな。少し。自分が誰か分からないというのは、怖い。とんでもない犯罪者だったりしてね。」
「まさか。」

彼女は笑い、僕に男物の服を渡してくれる。
「着替えたほうがいいわ。あっちに行っているから。」
「これは?」
「私の夫のよ。昨年、亡くなったの。」
「そうか。ありがたく着させてもらうよ。」

彼女の夫のものという服は、僕にぴったりだった。

「よく似合う。」
彼女は、笑った。

「そうか。なんだか申し訳ないな。」
「いいの。服は、誰かに着てもらうためにあるのよ。」
「元気になったら、出て行くから。」
「あら。いいのに。もう少しここにいてちょうだい。」
「だが・・・。」
「第一、どこに行ったらいいか分からないのでしょう?何も思い出せないのでしょう?」
「そうだけど。」

一つ屋根の下、男女がいつまでも一緒にいるわけにはいかないよ。そう言おうとするが、目の前の彼女は美しい顔に優しい笑みを浮かべているから、僕はその女といつまでも一緒にいたくなる。自分がどこの誰か思い出せれば、僕はもっと簡単に彼女と関わる事ができるのかもしれない。

体が元気になってきた僕は、お礼にと、畑の仕事を手伝った。
「ご主人が亡くなってから、ずっときみが一人でやってたのかい?」
「ええ。」
「きみ一人じゃ、無理だ。」
「でも、ここを離れたくなかったの。夫の畑を置いたまま、どこにも行きたくなかった。」

僕は、亡くなって尚、彼女の心を捉え続けている男に、少し嫉妬した。

「僕が手伝える分は手伝うから。」
「助かるわ。」

そうだ。その笑顔。僕に向けられた笑顔。

--

早朝、僕は、畑を散歩する。霜が降り始める季節だから、畑の様子を見に回ろうと思ったのだ。そこで、朝もやの中の彼女を見つける。彼女は、土の上にひざまづいて、何か祈るような格好をしていた。その表情は真剣だったから、僕は近寄る事もできなかった。ふ、と、彼女は振り向いて僕の方を見た。僕は、うなずくしかなかった。彼女は手を差し伸べ、僕はその手を取った。
「今ね。亡くなった主人と話をしていたの。そうしたら、彼、許してくれるって。」

何を?何を許してくれるんだい?

僕は、そう訊く前に、もう、彼女の唇に自分の唇を重ねる。

ほどなく、僕らは男女の関係になった。逃れられなかった。彼女は美しく、まだ若々しい肉体を持て余している。僕だってそうだ。だから、毎夜、僕らは抱き合った。

「ねえ。ずっとここにいて。」
「できるものならそうしたいよ。」
そんな会話が繰り返される。

だが、人はどんな状況にもすぐ慣れる。僕は、もう、彼女とは夫婦のような気持ちで、畑に新しく蒔く種の事など話し合うようになった。

畑には、近所の子供達が遊びに来る。僕は、子供を見ると、なぜか嬉しくなり、いつも話し掛けたり。時には、キャンディを渡したり。そんな僕を、彼女は遠巻きに見ている。

「子供は嫌い?」
ある夜、僕は彼女にそう訊ねた。

「あまり好きじゃないわ。」
「僕は、好きだ。いつかきみの子供が欲しい。」

彼女は少し驚いた顔をして、僕を見た。
「どうして、二人だけじゃいけないの?」
「いけないわけじゃないけど、子供がいたら素敵じゃないかと思ったんだ。」
「私は嫌。二人がいいわ。」

いつもは素直な彼女が激しい口調になるから、僕はそれ以上その話をするのをあきらめる。

だが、僕は、子供が欲しくてしょうがない。愛する女が産んでくれたら、どんなにか可愛いだろう。僕は、そうやって、目の前の子供達の頭を撫でて、知っている話を。昔話。寓話の数々。僕は、記憶がない筈なのに、以前も、誰かにこんな話をしたような気がしている。

--

子供をめぐる小さな溝は、だんだん深くなった。

一緒に暮らし始めて半年で、もう、蜜月は終わったのだと悟った。

「ねえ。」
彼女がめずらしくワインを飲み過ぎて、僕に話し掛ける。

「なに?」
「あなたを、返すわ。」
「返す?」
「ええ。もといた場所に。」
「僕のいた場所?それは、どこ?」

彼女は、僕にもグラスを渡してくる。僕は、グラスの中の液体を飲み干す。

「ごめんなさいね。ちょっとだけ借りたの。あんまり寂しかったから。だけど、借り物はよくないわ。あなたは元いた場所を恋しがり、私にはどうしたって手だしができない。」
「何を言ってるんだか・・・。」

僕はグラスを落とし、ドサリと倒れる。

さようなら。楽しかった。きみを愛していた。

--

「あ。かあちゃん!とうちゃんが目を開けたよ。」
「あ。ほんとだ。わーい。とうちゃん。俺の事、分かる?」

うるさいぐらいにぎやかだ。ここはどこなんだ。

「あなた、気が付いたの?」
「ああ。俺は、どうしたんだ?」
「仕事中に、高い場所から落っこったって連絡がきて、それっきり、ずっと眠ってたのよ。半年も目を覚まさなかったの。」

目の前の、美しいというよりは、たくましい女は、涙を流している。体のほうが重いと思ったら、僕の子供がベッドに飛び乗って来ている。いち、に・・・。なんだ、五人もいる。

「こら、とうちゃんはまだ具合が悪いんだから、そんなことしちゃダメだよ。」
確かに、僕の妻である筈の女は、大声で子供を叱る。

「元気になったら、お話してよね。」
一人が言う。

「ああ。分かってるよ。」
嬉しくて、笑いがこみあげる。

そうだった。ここが僕の居場所だった。確かに、一瞬ぐらいは、子沢山の生活が嫌だと思った事もあったけれど。そんなのはただの気まぐれ。ここに戻って来られて良かった。


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