セクサロイドは眠らない

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2002年10月31日(木) 僕は、そっとサオリの膝を撫でる。「可愛い膝小僧だな。」「あら。可愛いのは膝小僧だけ?」「いや。多分、この上も。」

結婚生活七年も経った夫婦だから、僕がこんなことを思うのもしょうがない。

今日から一週間は、楽しい独身生活だ。と。

今朝、妻が一週間の海外旅行に旅立った。

--

空港で、あれやこれやと妻から諸注意をされる僕。

「分かった、分かったって。さ。楽しんでおいでよ。」
「もちろんよ。あなたに言われなくてもね。」

そんな会話をした後、僕は慌てて仕事に向かう。妻を送っていくために、午前中だけ半休を取っていたのだ。

「今日、出席されます?」
出社すると、いきなり、同じ課のサオリが訊いて来た。

「あ?」
「やだ。課長。ちゃんとお知らせしてたじゃないですか。この前入った派遣社員さんの歓迎会。」
「ああ。出席するよ。もちろん。」

ちょうどいいや。今日は、晩飯をどこで食べようかと思っていたところだ。

--

「次、行こう。次。」
「いやもう。明日があるし。勘弁してくださいよ、課長。」

三次会がお開きになると、もう、誰も付き合ってはくれなかった。自分はと言えば、妻がいない解放感から、このまま帰りたくない気分だった。

「課長、お付き合いします。」
あきらめて、タクシーに乗ろうとした背後から、声が掛かった。

サオリだった。

「なんだ。お前。みんなと一緒に帰ったんじゃないのか?」
「あはは。課長が可哀想だから付き合ってあげるんです。」
「そうか、そうか。サオリはいい子だな。だけど、大丈夫なのかよ。さっきだってだいぶ飲んでたろ。」
「課長こそ、大丈夫ですか?」
「ああ。俺は大丈夫だ。」

サオリは、去年うちの部署に配属になった子で、明るい子だった。「じゃあ、もう一杯ビールを飲んだら帰ろう」、なんて言い合っていながら、結局、僕とサオリは飲み過ぎてしまう事になった。

「あたた。」
朝、僕は、ズキズキする頭を抱えて起き上がる。

「大丈夫ですか?」
「サオリ?」
「ええ。ここ、私の部屋。」
「え?そりゃ、まずい。で、今、何時?」
「もうお昼前ですよ。」
「ええっ?」
「しょうがないですね。もう、今からじゃ、電話したって遅い。」
「おいおい。なんで起こしてくれなかった?」
「起こしましたよう。だけど、どうしたって起きないし。吐きそうだって騒ぐし。」
「そうか。すまん。」

結局、会社には正直に、飲み過ぎで体調を壊したからと、謝りの電話を入れた。

「お前はどうしたんだ?」
「私ですか?もう、朝、電話しましたよ。親が倒れたから休むって。」
「そうか。」

まさか、同じ日に一緒に休んだなんて、部署の連中に勘ぐられたらかなわない。

「もうちょっとここで寝ていったらどうですか?」
サオリは、僕にグレープフルーツジュースを差し出しながら言う。

「ああ。そうだな。すまん。」
そのまま、僕は、コテンと眠りに落ちた。

次に目が覚めた時は、周囲は暗くなりかけていた。サオリが薄暗い部屋でテレビを見ている。

「もう、夜か。」
「あ。お目覚めですか?よく寝てましたね。」

サオリは、ふふ、と笑って、
「夕飯、簡単なものでいいですか?
と、訊ねる。

「いやいいよ。もう帰る。」
「ええ?いいじゃないですか。」
「いや。まずいって。」
「今まで、さんざん寝てて、帰るよ、ですか。」
「きみだって、困るだろ。俺がここにいちゃ。」
「いいんです。いつも一人分のご飯作るの、わびしいし。」

僕は、サオリうつむいたのを見て、可愛いな、と思った。そうして、まさか、昨夜は何もしてないよなあ?と、ふと、疑問がよぎった。

「課長、昨夜は何もしませんでしたよ。」
サオリが、僕の心を見透かしたように、言った。

「さすがに、部下に手を出さないぐらいの自制心はあったわけだ。」
僕は、冗談めかして言った。

「うん。まだ、私達の間には、なんにも。」
「まだって。おい。」
「分かってるって。ビールでいいでしょう?」

サオリは、黙って冷蔵庫にビールを出しに行く。夕暮れだったからかな。女の子の一人暮しの寂しさが伝って来て、帰るよ、とも言えなくなった僕は、サオリがかいがいしく動くのを黙って見ている。

夕飯も楽しくて。少しだけ酔った僕は、いい気分になって、いつのまにかサオリに膝枕されていた。

今更、帰るとか、そんな事は言えない雰囲気だった。

僕は、そっとサオリの膝を撫でる。
「可愛い膝小僧だな。」
「あら。可愛いのは膝小僧だけ?」
「いや。多分、この上も。」
「ずっと上は?ね?」
「うん。可愛い。可愛いよ。」

僕は、サオリの顔を引き寄せて、口づける。

「嬉しい。」
素直に微笑む顔が可愛かった。丸顔で、美人とは言いがたいが、サオリは抱かれ上手だった。僕の指に素直に反応する様子が可愛くて、僕は、何度も何度も、「可愛い」とつぶやいていた。

--

早朝、起き出して、僕は身支度を整える。

「帰るの?」
「ああ。着替えないと。髭も。」
「私、もう一日休むわ。」
「ああ。」
「ね。夕飯作って待ってるから。」
「うん。」

まずいな、と、少し思った。だが、妻がいない解放感と、もう一日ぐらい楽しんでもいいだろうというスケベ心から、僕はサオリにうなずいてみせた。

--

「おかえりなさい。」
エプロン姿で出迎えたサオリを見て、僕はドキリとする。

「ただいま。」
と言う僕に、サオリは飛び付いて来た。

「おいおい。すごいご馳走だなあ。」
「だって。待ってる間、手持ち無沙汰だから。」

そう言いながら、サオリは、僕の膝に乗って来る。僕のネクタイを緩めながら、キスをねだるように唇を突き出してくる。

「先にご飯を食べさせてくれないのかな?」
「前菜は、私よ。」

僕は、笑いながら、結局はサオリの行為に身を任せてしまう。

つっ。

その最中、サオリは、感極まったせいか、僕の上で熱に浮かされたように腰を動かしていたかと思ったら、突然、僕の肩に噛み付いて来た。

「おい。痛いだろう?」
「ごめんなさい。」

サオリは、僕の血の滲んだ肩を舐める。痛いのか気持ちいいのか分からなくなって。

ちょっと待ってくれ。

そんなに何もかもきみのペースで進められたら、僕の立場が。おい。サオリったら・・・。

僕が到達点に達したのを見届けると、サオリは、そっと僕の体から下りて、僕の傷口を指で撫でる。

「痛い?」
「ひどいな。」
「ごめんね。」
「いつもこうなのか?」
「分かんない。あなたといたせいかな。いつもはこんなじゃないの。」

サオリは、反省したのか。くるりと背を向ける。僕は、背中から抱き締める。

「ねえ。あなたも噛んで。」
「え?」

僕は、噛む真似をする。

「そうじゃなくて。ちゃんと歯型が残るように。」
「そういうのはちょっと。」
「ね?そうしたら、あなたがいない時間、あなたを思い出せる。」

--

一週間、結局ずるずると、僕は彼女の部屋に泊まり続け、ただひたすら彼女を抱き続けた。

最後の日。

彼女は、泣いていた。

「最初からこうなることは分かってたろう?」
「うん・・・。うん・・・。」

最後の最後、彼女は、泣き腫らした目で僕を見た。
「いいよ。大丈夫。全部なかったことにしてあげる。だけど、一つだけお願い、聞いて。」
「何?」
「服、脱いで。」
「いやもう。」
「違うの。」

彼女は、僕に歯型をつけた。深い深い。それはじんじんと痛んだ。

「ねえ。この傷が痛い間だけ、私を覚えていて。お願い。」
「分かった。」

僕は、傷の事が妻にばれない事を祈りながら、空港へと向かう。

「お帰り。」
「あー。疲れたー。やっぱり、我が家はいいわ。」

妻は、そう言って、部屋をぐるりと見まわす。
「思ったより散らかってないわね。」
「ああ。」
「カップ麺の容器とか、転がってるかと思った。」
「外食したんだ。」
「ふうん・・・。」

妻と僕は、その晩、ピザを食べた。

妻は、旅行の話を、し続けた。

当たり前だが、食事中のセックスはなかった。

僕は、ただ、微笑んで聞いていた。

「あなたはどうだったの?」
と聞かれても、
「別に。何も。」
と。

それから、一週間ばかり、僕は妻を抱かなかった。ただ、傷の痛みを、折りにふれて感じながら、職場でサオリが以前のように明るく仕事をしているのを、やっぱりあれは夢だったかなと、ボンヤリと眺めていた。

週末。もう、いい加減誘わないわけにはいかなかった僕は、ベッドの横に滑り込むと、妻の腰にそっと手を伸ばす。

妻は、微笑んで、僕のパジャマを脱がす。

妻は、じっと僕の愛撫を受け、時折、小さな溜め息を漏らすだけ。

「ねえ。どう?」
「どうって?」
「感じてる?」
「ええ。」

僕は、何かを物足らなく思いながらそそくさと事を終え、ドサリと妻の横にあお向けになる。

「あなた、今日は変だったわね。」
「どこが?」
「どこって。よく分からないけど。途中、感じてる?とか、訊いたりして。」
「そうかな。」

何かが足らない。

「ねえ。」
僕はウトウトし始める妻に、言う。

「なあに?」
「噛んでくれないか?」
「え?何?」
「いや。いい。」

僕は、肩のかさぶたを、撫でる。

どうしたっていうんだろう?

明日あたり、サオリの部屋に電話をしてしまうかもしれない。

この先、どうなってもいいから、あの激しい女を抱きたかった。治りかけの傷が甘い痛みを放っていた。


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