セクサロイドは眠らない

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2002年10月29日(火) 言おうか、どうしようか、随分と迷った。だって、男の子の事だもの。なぜか、ママには言いにくかった。

私は、その夜、ベッドの上で泣いていたの。そうしたら、ママが部屋まで来て、
「アンナ、どうしたの?」
って訊いてくれた。

私の髪を撫でながら、
「大好きなアップルパイも食べてくれないから、ママ、心配よ。」
とも。

私は、言おうか、どうしようか、随分と迷った。だって、男の子の事だもの。なぜか、ママには言いにくかった。小学校五年にもなったら、誰が誰と付き合っている情報だとか、自分は誰と相性がいいか占う方法だとか、そういう話題が女子の間では持ちきりだったけど、私は、そういう事をママに何でも言うのは照れ臭かったから。

「言いたくなかったら、いいのよ。」
ママは微笑む。

「ねえ。ママ。ママは迷ったりしないの?」
「何を?」
「たとえば、うーん、パパとの結婚のこととか。」
「結婚?」
「うん。」
「アンナは結婚に興味があるの?」
「そうじゃなくて。ええっと。男の子のこと。」
「あら。素敵。アンナは男の子に興味があるのね?」
「素敵?」
「ええ。そうよ。素敵だわ。ここがドキドキして、怖くなったり、あったかくなったりするでしょう?」

ママは、私の胸の辺りを指さす。

「うん。」
そうだ。ママは何でも知っている。

「ねえ。ママ。私、好きな子がいると思ったの。」
「あら。どんな子?」
「んーと。勉強がよくできて。それから、サッカーもやってて。」
「じゃあ、人気者なの?」
「うん。割とモテる。」
「で?」
「占いの相性もバッチリで、96%が出たの。だから、告白したの。」
「あらあら。」
「で、彼もオッケーくれたのね。」
「そりゃ、アンナ、可愛いもの。ママに似て美人さんだし。」

私は、くすっと笑う。

「だけど。ね。ママ。変なの。隣の席の男の子がね。この前、私に音楽雑誌貸してくれたんだけど。音楽の話でね。すごい盛り上がって。」
「それのどこが変なの?」
「その子、顔もそんなにかっこよくないし。いつも、シャツの裾が出てるし。弟が沢山いるから、そんなに裕福じゃないし。デートって言っても、秘密基地とか言ってるし。本当に馬鹿みたいなのにね。」
「あら。そんな子、ママ、好きよ。」
「私も、なんだかその子が気になるの。カレシがいるのに。でね。どうしたらいいか分からなくて、考えてたら悲しくなったの。」
「恋なのかしらね?」
「分かんない。ねえ。ママは、どうしてパパだけって決められたの?」
「さあ。どうしてかしら。そういうのはね。分かるものなのよ。本当に大事な時が来たら。」

それから、ママは、アンナが泣くのを見てるのは少し悲しいから、お話をしてあげるわ、と言う。

「どんな?」
ママのお話は大好きだった。小さい頃は、いつもしてもらっていた。でも、最近はしてもらってない。子供っぽいから。でも、今日は特別。

「そうね。貧しい魔法使いの夫婦のお話。」
「魔法使いなのに、貧しいの?」
「ええ。そうよ。魔法使いは、自分達の欲のためだけに魔法を使ったらいけないの。」
「じゃあ、どうやって暮らしを立てているの?」
「ちゃんと畑仕事したりして。その夫婦には、二人の娘がいました。上の娘のほうは、怠け者でね。ブーブーと文句ばかり言ってて。おしゃれが好きで、食いしん坊。下の娘は、聞き分けが良くて、笑顔が飛びきり素敵で、よく家の手伝いをしていたの。」
「じゃあ、下の娘が王子さまか何かと結婚して、ハッピーエンドね?」
「どうかしらね。ある日、その家族には、とうとう食べる物がなくなった。夫婦は困りました。さて、どうする?」
「ええっと。魔法を使って食べ物を出す。」
「ここまで我慢したのに?」
「うーん。」
「夫婦は、お姉ちゃんのほうを連れて出掛けて行きました。妹は少し不安になりました。お父さんとお母さんは、日が暮れてからようやく帰って来ました。」
「どこに行ったの?」
「お姉ちゃんは、いませんでした。お父さんとお母さんは、少し悲しそうな顔をしていました。それから、テーブルの上に、ドサリと豚の肉のかたまりを置きました。そんな立派な肉は久しぶりに見たので、妹のほうは思わず顔を輝かせました。それから、ふと、お父さんとお母さんの表情に気付いて、『お姉ちゃんは?』と訊ねました。お父さんが言いました。『お姉ちゃんはね。遠い町に奉公に出てくれた。そのお礼のお金で、この肉を買ったのだよ。』と。妹は、『そんな・・・。』と思いました。いじわるなところもあったけど、ずっと一緒に暮らしていた家族だから。でも、お母さんは、悲しい気持ちを振り切るように、『お姉ちゃんの行為を無駄にしないためにも、このお肉をありがたくいただきましょう。』と言いました。実際、みんな、数日ろくなものを食べていなくて、フラフラだったのです。」
「そのお姉さんのほう、さ。よく承知したわねえ。」
「ええ。そうね。妹も、おかしいと思ったの。豚肉の料理を食べながら。でも、塩胡椒であぶっただけのお肉は、すごく美味しくてね。おかしい、おかしいと思いながらも、たいらげちゃったわけ。もちろん、お父さんもお母さんも、おなかいっぱい食べたの。それから、妹は、空腹がおさまったせいで前より冷静になった頭で考えたて、こう言ったわ。『ねえ。これ、もしかして、パパとママが魔法で変えちゃったお姉ちゃんじゃないの?』ってね。頭のいい子だったし、正義感も強かったから、もしそれが本当だったら耐えられなかったのね。パパとママはうろたえたわ。」
「じゃあ、やっぱり?」
「両親は、一言、『感謝しよう。』とだけ言って、他に何も言わなかったの。その夜は、妹は眠れない夜を過ごしたのね。でも、両親は、いつも、遠くに行ったお姉ちゃんに感謝しましょう、とばかり言って。結局、妹は、真相を知らないまま、それでも素晴らしい子に育ったの。そうして、素敵な婚約者もできて、幸福になった。夫婦の自慢のね。あの夜、豚が手に入らなかったら飢え死していていて、この幸福はないと。妹は、思ったのね。夫婦は、妹のほうが幸福になったのを見届けると、安心したように、二人一緒に床に伏せってしまった。」
「秘密を抱いたまま?」
「そうね。さすがにそれはできなくて、母親のほうが言ったわ。あなたのお姉さんのことで話があるの。って。妹は、今更知りたくないと、ちらっと思ったけれど。」

ママは、そこで言葉を切る。

「ねえ。ママ、続き。教えて。」
「そのお姉さんというのはね。本当は、最初から豚だったの。子供のない夫婦が魔法を使って、人間の子供に変えていたのね。それほどに、二人は子供が欲しかった。だから、人間の子供としてすごく可愛がった。その後で、本当の子供が生まれた。それが妹のほうよ。所詮、豚には人間の両親の情愛が理解できなかったのね。だから夫婦は、結局、自分達を守るために、姉のほうを元の豚に戻して食べてしまった。自分達が間違った魔法の使い方をした事を知って、それからは生涯、魔法を使わなくなったの。」
「ふうん・・・。」
「アンナなら、どうしていたかしら?」
「分からない。」
「ママにも分からないわ。でもね。大事な物は、ちょっとした事で入れ替わってしまうっていうお話だなと思うの。」
「ママにとってのパパも、人間から豚になっちゃったりするの?」
「さあ、どうかしら?」

それを聞いて、私はちょっぴり悲しかった。

「パパにとっても、ママが豚になっちゃう日が来るかもね。」

私は、そんな日が来るのは嫌だと思った。

「パパとママは大丈夫よ。驚かせてごめんなさいね。」
ママは、私の頬に触れた。

「相手にとっての自分が大事じゃないものに変わってしまわないように一生懸命頑張ることができるのが、人間なのよ。」
「ママ。」
「なあに?」
「隣の席の子ね。時々、びっくりするぐらい、私の好きなものが分かるのよ。」
「それって、どんな感じ?」
「分からない。だけど、それも魔法かなって思う。」
「そうかもね。」

ママは、笑って、私に「おやすみ。」と言った。

ママには、パパが。パパには、ママが。私もそんな風になりたい、と思った。それから、隣の席の子が、手で鼻をゴシゴシとこする癖を思い出して、嬉しくなりながら眠りに就いた。


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