セクサロイドは眠らない

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2002年10月25日(金) そっと男の胸に頬を付けた。「あたたかい。ねえ。誰かとこうやって寄り添うのは、あたたかいわね。」

若い母親は、半狂乱になって泣いていた。雨が続いて増水した川、子供が飲み込まれてどこを探してもいないから。町の人々が総動員で捜索しても、見つからなかった。

若い母親は、自分のせいだと思った。夫がいなくなってから、一人で子供を育てるのはクタクタで、この子さえいなければいいのにと、思わない日はなかったから。

サトルは敏感な子供だったから、そんな母親の気持ちを知っていたに違いない。そうして、大雨なのに外に遊びに行くと言って、ふらっと出て行った。黄色い雨ガッパを川のそばで見かけたという人がいた。まだ、サトルが死んだとも決まっていないのに、若い母親は自分を責め続けた。私のせい。私のせい。私のせい。

--

病院に呼ばれたのは、次の日の深夜だった。

「外傷はありません。お子さんは無事ですよ。」
「ああ・・・。」
母親は、安堵のあまり泣き伏した。

「ですが、目を覚まさないのです。」
「どうして?」
「理由は分かりません。しばらく様子を見てみましょう。」

母親は、その日は病室に泊まった。我が子の眠っている顔を見ているだけで良かった。時折、本当に死んでしまったのではないかと耳を澄ませると、穏やかで規則正しい寝息が聞こえて、ホッとする。

目を覚ましたら、真っ先に謝ろう。そうして、抱き締めて。あなたが必要なのと、ちゃんと分かるように伝えよう。

そんな事を思いながら、ベッドに突っ伏したまま、眠った。

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だが。次の日も。また、次の日も。

サトルは目を覚まさなかった。

母親は次第に焦り、医者に何度も、どうなっているのかと問いただした。が、医者も首を振るばかり。点滴に繋がれたまま、サトルは眠り続ける。頬はバラ色で、今にも笑い出しそうな顔で。でも、揺すっても、つついても、その目は開かれなかった。

母親は、また、少しずつ疲れて行った。仕事帰りに立ち寄る病院で、ひたすら眠る我が子の顔を見る事に。それでも、この子が目を覚ましたらできるだけのことをしてあげたいと、洋服を買ったり、おもちゃを買ったり。

--

その男は、突然、訪ねて来た。

「どなた?」

少し悲しい目をしたその男は、
「『浮良』という生き物の研究をしているのです。」
と、答えた。

「ふら?」
「ええ。」
「なんですの?それは?」
「人の夢を食べている生き物です。」
「何を言っているのかよく分からないわ。」
「『浮良』は、川の底などにひっそりと住んでいて、時折迷い込んだ人間の夢を食べます。夢を食べられた人間は、そのまま目を覚まさなくなります。眠ったまま、意識は浮良の中を漂うのです。」
「ごめんなさい。あなたの言っている事はさっぱり。」
「信じても、信じなくてもいい。」

男は、悲しそうだけれども、誠実な目を母親のほうに向けて、淡々としゃべった。

「悪いけど、あなたの言葉を聞いて真に受ける余裕は、今の私にはないの。そうでなくても、親戚やら周りの人が私を責めるから、疲れちゃったのね。」
「また、来ます。何かあったら、電話ください。」

--

母親は、名刺を見ながら、ぼんやりと考える。もし、あの人の言っている事が本当で、サトルを救う方法があるのなら、私はあの人の話を聞く必要があるのじゃないかしら?もう、誰も手を差し伸べてくれる人がいない状況の中で、唯一、あの男性だけが、少しは気休めになるような話を持って来てくれたのだもの。

母親は、ゆっくりと、受話器を取り、その電話番号を押した。

--

「で?サトルを救う方法は?」
「手を握って話し掛けてやる事。本当に戻って来て欲しいと願う事。」

それだけ?なんだ。もっと、魔法みたいな方法があるのかと思った。

若い母親は、ほんの少し、ガッカリした。

「今だって、そうしてるわ。」
「大事なのは、根気良く続ける事。決してやめない事。」
「やめないわ。」
「本当に戻って来て欲しいと願う事。」

母親は、そんな当然の事、と思いながら、コーヒーを勧めた。

「ねえ。あなた、どうしてこんなところで、私の子供なんかを気にかけてくださるの?」
「僕自身が夢を食われていたからです。」
「あら。そう。」
「『浮良』に食われてしまうと、気持ちがいいんです。このまま、帰りたくないと思う。大概は、『浮良』に目をつけられるのは、現実の生活を上手くやり過ごせない人間ですから。」
「・・・。」
「ああ。失礼。あなたのお子さんがそうという意味では。」
「いいんです。多分、本当にそうだったから。」
「僕もそうだった。仕事は上手くいかなかったし、恋人との結婚は反対されて。もう、自暴自棄になっていた。そういう人間を探しているんですよね。ヤツは。」
「で?あなたは、どうやって戻ってこれたの?」
「恋人のお陰なんです。いつもいつも、僕の手を握って。そうして、僕が戻ってくる事を願ってくれた。」
「そうなの。素敵なお話ね。」

男は、黙り込んだ。

若い母親は、唐突に、その男の悲しみに気付いた。
「ねえ。その恋人とは、その後どうなったの?」
「別れました。残念ながら。」
「そう・・・。」

若い母親は、そっと男の手を取った。そうして、自分の腰にその手を回すと、そっと男の胸に頬を付けた。
「あたたかい。ねえ。誰かとこうやって寄り添うのは、あたたかいわね。」

男は、しばらくそうやって、彼女の体温を感じていたけれど。

そっと、彼女の体を押し戻すと、
「お子さんのところに戻ってあげてください。」
と、言った。

「もう、ここへは来てくれないの?」
「ええ。僕が伝えることは伝えて終わりましたし。」
「ねえ。本当は何が目的だったの?」
「ただ、僕と同じように救われる人がいれば、と。」
「で、私は、また一人になるのね。」
「そうじゃない。あなたには、サトルくんがいるし、サトルくんには、あなたがいる。」
「ねえ。お願い。ここにいて、私を支えてよ。」
「無理です。最後には、あなた一人が、サトルくんを救えるのだから。」
「そうやって、行ってしまうのね。」
「ええ。僕ができるのは、アイツに食われてしまった人間を取り戻す方法を教える事だけなんです。」

男は、そう言って、その安アパートのドアを後にした。どこかで、開きっぱなしのドアがバタバタと音を立てていた。

--

男は、帰宅すると、そこで微笑む写真立ての写真に話し掛ける。

今日は、本当に、あの若い母親を抱き返してしまいそうになった。あの母親はきみに良く似ていた。きみも、今頃は、あんなふうな母親になって、サトルくんみたいな子供を抱いているのかもしれないな。

あの母親には、最後まで言わなかった事。

僕をくる日も見舞っていた恋人は、ある日とうとう疲れてしまって、僕が現実に戻ってくる直前に、違う男の手を取ってどこかに行ってしまった。僕は、『浮良』の中で、ずっと彼女の声を聞いていたから、戻って来れたのに、戻って来た時には、もう、その人はいなかった。看護婦さんの、気遣うような笑顔だけが思い出される。

あれから随分経ったけど、きみは幸福になれているだろうか。もし、きみの大事な人が『浮良』に連れてかれちまったら、僕を呼んで欲しい。今、きみにしてあげられるのは、そうして、僕がきみに返せるものは、それだけ。

だけど。ああ。

大変なのは、夢から覚めた後。夢の心地良さが、現実の重さを一層際立たせる。

どうしても辛かったら、戻っておいで。あの日、戻ろうとする僕に『浮良』はそう言ったのだ。


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