セクサロイドは眠らない

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2002年10月21日(月) その気にならない彼が背を向けて寝ようとするのを、彼がその気になるまで辛抱強く右手を動かした。

「ああ。来たの?」
彼は、私を見て、少し不満そうな声を出す。

「うん。約束してたじゃない。」
「そうだっけ?」

私は、スーパーの袋を差し出して見せて、
「鍋、しようってさあ。」
「ああ。そうだったな。うん。あがれよ。」

彼は、ようやく笑顔を見せる。

「今日、何してた?」
「うーん。何してたかな。本屋を何軒か回って、それから、秋物のジャケット買って。そんぐらい。」
「そう。いい本、あった?」
「今日は何も買わなかったよ。」

それから、テレビに目を向けてしまうから、私は、仕方なく会話をやめて、キッチンで食材を取り出す。私には訊いてくれないのね?私が今日何をして、誰と会ったか。

どこに何が収納されているかすっかり心得ているキッチンで、私は、慣れた手つきで料理を始める。当たり前じゃない。ここにあるものは、全部、二人で買ったんだもの。あの頃は楽しかった。休日の昼間はいつも一緒で、ここに越して来たばかりの彼の部屋のものを一緒に買うのは、新婚夫婦みたいな気分になれて、幸福だった。

「ビール、あったっけ?」
彼が、テレビから目を離さずに、訊いてくる。

「あ。うん。あるみたい。」
「ならいいや。」
そのまま、彼は、野球に戻り、私は一人で材料を刻む。そうだ。前は、手伝うよ、と言ってくれて、一緒にキッチンに入って、ふざけながら野菜を洗ったりしていた。

いつから、こんなになったんだっけ?

「あなたたち、もう夫婦みたいなもんだね」、って友達が言った時、どうしてあんなに胸が痛かったんだっけ?
最後に抱かれてから、どれぐらい経つだろう。多分、三ヶ月とか、それぐらいになる。あの時も、私がせがんだのだ。それで、なかなかその気にならない彼が背を向けて寝ようとするのを、彼がその気になるまで辛抱強く右手を動かした。あの時が、最後だ。

「運ぶの、手伝うよ。」
「ああ。うん。じゃ、お皿、お願い。」
私達は、もう、恋人同士じゃなくなって、兄妹みたいになっちゃったのかな。

別れるのなら、今のうち。

そんなこと、考えてみる。だけど、難しい。一人になるのは、難しい。秋に独りぼっちになるのは、随分と勇気が要る。

本当のところ、私には理解できなかった。彼は、私を友人のようには大事にしてくれるけれど、女性として愛してくれる事はなくなった。多分、私に魅力がないのが悪いのだろうけれど。それでも、寂しかった。どうして、私が近寄ると、彼は、やんわりと拒絶する。体だけではなく、心も。

--

その変化に気付いたのは、パンプスが履けなかったから。足がむくんだのか、昨日まで普通に履いていた靴に、足が入らなくなってしまった。

「やだ。太ったのかな。」
でも、そんなに急に、足って大きくなるものだろうか。

すぐに戻るかと思ったが、結局、二日しても三日しても戻らないので、私は、仕方なく女性の靴の中でも大きいサイズを選んで、何足か買う。とんだ出費だ。

--

そうしているうちに、足が毛深くなって来た。

「やだ。何?」
男性のように濃い毛が、剃っても、生えて来る。

どうしちゃったの?

ホルモンのバランスがおかしくなっちゃったのかな。最近、セックスもしてないし。仕事でストレス溜めてるから、男性ホルモンが増えたとか。

私は、取り敢えず、スカートを履くのをやめた。仕事の休みが取れたら病院に行こう。

心なしか、足は一回り太くなり、男性の足のようになってしまった。

きれいな足だね。かつて、彼がそうやって私の足に唇を這わせた事を思い出し、夜中に涙が出て止まらなくなった。

--

三週目。

私は、その頃には、私が変化しようとしている方向を理解した。つまりは、私の体は、男性の体になって行っているのだ。

私は、仕事を辞めた。性器が、男性のものになってしまったのだ。

私は、その時にはもうその事を予想していたとは言え、やっぱり、トイレでその事実を確認した時は、泣き出してしまった。

もう、放っておけば、私の体は、このまま全部男性になってしまう。そうしたら、恋人は、私を二度と・・・。だが、彼に電話をするのは怖かった。この体を見られるのが。

そのうち、朝起きたら、全ては夢で。なんていうことになるんじゃないかしら。

そう、いつも期待するのに、駄目だった。私の変化が、私の乳房まで迫って来た時には、私は、ただ、私の乳房を抱き締めて眠った。以前、あの人に、吸われて、私は喜びの声を上げた。そんな記憶を辿りながら、眠った。

朝にはもう、ただ、平らで固い胸が、そこにはあった。

--

それは単純な変化、というのではなかった。誰か、まったく別の人生に乗っ取られて行くような感覚。そのペニスは、かつて私が知っていたどれとも違い、それでも、もう充分に男性のそれであって、興奮したり喜んだりすると、はっきりと反応を示すようにもなっていた。

電話が鳴っている。

そういえば、彼とは、変化が始まってからは一度も会っていなかった。

「もしもし・・・?」
「ああ。俺。」
「うん。久しぶり。」
「最近、どうしてんのかなと思って。」
「心配してくれたの?」
「そりゃ、そうだろ。あれだけ電話して来てた人間が、音信不通になったら、ちょっと気になるよ。俺、なんか怒らせたっけ?」
「心配してくれたんなら、ちょっと嬉しい。」
「当たり前だろ。どこ、いんだよ?今日、来ない?」
「ううん・・・。今日は。」

私は、断りかけて、思い直す。
「やっぱり、行くわ。夜。待ってて。」
「うん。待ってる。」

私は、少し胸が温かくなった。

だけど、私の体はすっかり男性の体になっていて、かつてのようにあの人に抱かれる事を切望しなくなっていた。

夜、暗い時間がいい。明るい場所で、このごつごつした体を、あまり見られたくない。

それから。

もう、この顔で会えるのも最後かもしれないから。

私は、不安とか悲しさとか、運命への怒りとか。そんなものを抱えて、彼の部屋まで車を走らせる。

--

「やあ。久しぶり。」
彼は、私を見て、少し驚いた顔をする。

「私、変わった?」
「ああ。うん。なんか、雰囲気が。なんでかな。前は、スカートしか履いてなかったし。」
「最近は、スカート履くの、やめたのよ。」
「そうか。ビールでも飲むか?」
「うん。」

私は、彼がキッチンにビールを取りに行っている間に、彼の部屋の照明を暗くする。

「なんだよ。暗いじゃん。」
「うん。ごめん。今日だけは、このまま話させて。」
「いいけどさ。ちょっとムード出るかな。」

彼は、私の手を掴んで引き寄せようとする。

「待って。」
私は、慌てて振りほどく。

「ああ。ごめん。」
拒まれると思ってなかったからだろう。私の剣幕に驚いた彼の声はうろたえていた。

「ねえ。もうすぐ、私、いなくなるの。」
「いなくなるって、どこに?」
「この世界から、消えちゃうの。」
「どういう意味だよ。」
「どういうって。だんだん、私が消えて行ってるの。」
「わけ、わかんねえよ。」
「うん。ごめん。私にも分からない。ここんとこ、私の体に起こった事は、私にも分からない。ただ、分かるのは、もうすぐ私がいなくなる事。この顔も、何もかも。」

それから、私はこの数週間の事を話す。

話し終わった時、彼は私と一緒に泣いていた。

「なんで、お前がこんな事になっちゃうんだよ。全然、分かんねえよ。」
「馬鹿ねえ。そんなに泣くなんて、変だよ。第一、私、死ぬわけじゃないしさ。」

そういう声も、少しずつ、しわがれて。男性の声になっているようにも思える。

「お前、なんでそんなに冷静なわけ?」
「冷静じゃないよ。冷静じゃないけど。」

私は、もう、それ以上は言わなかった。

多分、私が冷静だとしたら、本当はこの変化を望んだのは自分ではないかと気付いていたから。あなたが、私をやんわりと拒んで傷付けるなら、私は、どこか他の世界に行きたいと、そう何度も何度も私の心が願った事を、私自身、知っていたから。

「ねえ。顔。見ておいて。」
「顔?」
「うん。体は、もう、私じゃなくなっちゃったから。顔だけ。」
「分かった。」
「覚えていて。お願い。多分、明日にはもう、私は、私じゃなくなってる。記憶も、もしかしたら、なくなるかもしれない。」

彼は、もう、びっくりするぐらい顔をぐしゃぐしゃにして。

私は、その頬にそっと、唇を付けた。

「さようなら。」
もう、その言葉が最後だった。

声すら、変わってしまったから、私は、それ以上そこで彼に語り掛ける事はできなかった。

彼の泣き声を残して、私は、彼の部屋を後にした。

--

いい気分だった。

鏡の前の男性は、ハンサムで、素敵な笑顔を持っていた。朝起きた時は、自分がなぜそこにいるか気付かなかったけれど、そこに書き留められた長い長い手記を読んで、だいたいの事は理解した。そうして、かつて女性だった事、大切な人に昨夜お別れを言った事を知り、ちょっぴり切ない気分になった。だが、彼自身は、自分がそこにいることを幸福に思い、彼の体は、既に、彼にピッタリな女の子を求めて、元気に隆起していた。

彼は、既に用意されていた、サイズが丁度の服を着込むと、公園まで歩いていった。

風は気持ち良かった。

これからの人生を思うと、わくわくした。

鼻歌を歌ってみた。

「ねえ。お兄ちゃん、どうして泣いてるの?」
公園で遊んでいた女の子が、そばに寄って不思議そうに訊ねるまで、男性は、自分が泣いている事に気付かなかった。

「さあ。どうしてかな。とても大事なものを失くしたみたいなんだ。」
「アコも、お人形をなくして泣いた事があるわ。」
「そう。そんな感じ。」

かつて、自分は誰かを愛していた。相手は、まだ、誰かを充分に愛する準備ができていなかった。誰かを愛する事は、誰かをおびやかす事ではなかったのに、相手は愛を怖がった。

男性は、にっこり笑って女の子の頭を撫でると、もう少し、涙が流れるままにしておこうと決めた。


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