セクサロイドは眠らない

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2002年10月16日(水) だんだんと動きが速くなり、ベッドがきしむ。僕と妻は、声を揃えて、到達する。その瞬間、僕はこちらの人生を

突然の事だったので、僕も、妻も、呆然とした。

その夜、軽い夫婦喧嘩の後、僕はウサギになってしまった。仲直りしようとベッドで待っていた僕を見下ろして、妻は軽い悲鳴を上げた。それから、泣き出した。

おいおい。泣くなよ。

僕は、焦って妻を見上げるが、声も出ない身ではどうしようもない。

あきらめて、僕はベッドの隅でうずくまる。明日も会社だし。あ。この格好じゃ会社にも行けないか。まあ、いいや。あんなに泣いていた妻が、寝ぼけて夜中に僕を何度も押し潰そうとするのを避けながら、「なんでこんなことになっちゃったんだっけ?」と思わないでもない。

それでも、ウトウトして、朝が来た。

朝になると、僕は人間に戻っていた。

「何だったの?」
妻に訊かれるが、もちろん僕にだって分からない。

「さあね。」

--

安心したのも束の間。次の夜も、僕はやっぱりウサギになってしまった。妻は、小さな溜め息を吐き、それから、僕を抱いて眠ろうとする。

夜中、僕は、やっぱり妻の寝相の悪さに困り果てて、ベッドを抜け出す。

結局、そんな風に、僕は毎晩ウサギに変身してしまう事となった。

ウサギになった頭で、僕はぼんやりとその悲劇的な事実を考えてみようとするが、無理だった。ウサギになってしまえば、物事の尺度はウサギの尺度で計るようになる。僕は、野原を飛び跳ねたくてうずうずしてしまうのだ。

妻に頼んで、庭に小屋を作らせてもらった。僕の別宅というわけだ。夜、妻におやすみを言うと、僕はそこに入る。最初のうち、妻はとても嫌がっていた。僕をそんな風に外に出しちゃうなんて。って。だが、僕は、ベッドで妻に潰されるのはうんざりだったし、何より、夜、野原に遊びに行くのはすごく楽しかったのだ。近くにはウサギが遊べる野原があり、野犬の類もいなかったので、僕は、月夜を浴びながらピョンピョン跳ね回った。楽しかった。何も考えずに、ただ、そうやって遊んでいた。

そのうち、とても可愛らしい野ウサギに出会った。茶色の毛皮に、真っ黒な瞳、短い鼻。ウサギ的に言えば、とても美人の部類に入る。僕らは、自然と一緒に飛び跳ねるようになった。月の下にウサギが二匹。ピョンピョン。

--

この事は、果たして浮気になるのだろうか?

僕が小屋を抜け出して他のウサギと遊んでいる事実を知って、僕の妻はショックを受けたようだった。休日の昼間、僕が妻の体に手を伸ばした途端、妻は泣き出す。

「ごめんなさい。ウサギのあなたが楽しむ権利を邪魔する気はないの。」
妻は泣いている。

妻は、何とか僕を理解し、夜だけウサギの姿になる事実を受け止めようと頑張っているのだが、うまくいかないようだった。

僕は、妻をそっと抱き締める。

問題なのは、僕のほうかもしれない。ウサギと人間。両方の人生がそれなりに楽しく、さして悩むことをしていない僕は、そんな妻を抱き締めて「大丈夫だよ。」と言い聞かせてみるだけのことしかできなかった。

--

僕は、夜、もう一つの家庭を作った。野ウサギとの間に、可愛らしい子ウサギがたくさん産まれた。僕は幸福だった。ただ、夜は、ウサギの体に心も委ねて、導かれるままに、良き夫、良きパパになった。

最近では人間の妻のほうは、夜になったら家の前に車が止まるから、どうやら誰かと付き合っているらしい。昼間の僕は多少嫉妬するものの、結局、妻が、その不可解な結婚生活のバランスを取るためにそうやっているのだと知っているから、何も言わない。

僕は、ただ、流されるままに二つの人生に足を踏み入れて行った。

--

そんな生活がどれくらい続いたろうか。

僕は夢を見る。白いひげの老人。

「あなたは?」
僕は、訊ねる。

「神じゃ。」
人の良さそうなその神は、なんだかヘラヘラと笑いながら、
「実は、詫びねばならんことがあるんじゃ。」
と言い出す。

「何ですか?」
「いや。その。うっかりしてな。お前の人生に、ウサギの人生をくっつけてしまったのじゃ。」
「うっかり?」
「ああ。ああ。たまにこういうことがあって。申し訳ない。」

老人は、悪びれもせずに、ニコニコとしている。

「僕は、多大な迷惑を被った。」
「ああ。分かっておる。謝るよ。で、じゃな。どちらか好きなほうの人生を選ばせてやるから、希望を言いなさい。」
「しばらく考えさせてもらえますか?」
「ああ。いいとも。決まったら、いつでも、わしを呼ぶといい。」

僕は、目を覚まし、考える。ウサギのボンヤリした頭でも、ついに決断の時が来た事ぐらい分かる。ウサギの妻の澄んだ瞳が、心配そうに僕を見ている。

--

人間の妻は、僕に、
「あの人とは別れたわ。」
と、言った。

「言わなくていいのに。」
僕は、妻をなぐさめるように言った。

「だって・・・。やっぱり辛かったの。私とあなたには子供だっていないし。」
「比べちゃいけない。」
「分かってるわ。分かってるけれど。どうしようもなくて。あなたに当て付けるように浮気をしたの。でも、駄目だった。他の人に抱かれても、あなたの事を思うばかりで。」

妻がそう言って涙を流す姿を見て、僕の胸はチクチクする。本当は、僕は、今日、ウサギの人生を選択しようとしていたから。だが、どうしようもない。僕は、まだ、明るい時間だというのに、妻を連れて、ベッドルームに入る。ベッドの上の妻の涙を、僕の唇がそっと拾う。泣かないで。僕のためなんかに。きみは素敵だ。そんなことをささやきながら、妻の足をそっと開く。子供なんていいじゃないか。僕ときみがいれば。だんだんと動きが速くなり、ベッドがきしむ。僕と妻は、声を揃えて、到達する。その瞬間、こちらを選ぼうと決意した。

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夜、僕は、やんちゃになった子供達がまとわりつくのを眺めている。野ウサギの妻が寄り添っている。ここは静かだ。ただ、自分の鼓動に合わせて、僕は野原を思いきり駆け回りたくなる。

喧嘩する兄弟を引き離し、怖いオオカミの話をしてやると、子供達はキャーキャー言いながら妻にしがみついて行く。僕は、笑う。ここにも、ちゃんと愛がある。

駄目だ。やっぱり選べない。

僕は泣きたくなる。どうして、こんな苦しい選択をしなけりゃならないんだろう?

--

「どうじゃ。決まったかな?」
「はい。」
「どっちじゃ。」
「人間とウサギ以外の別の選択も可能ですか?」
「ああ。まあ・・・。何とかできる範囲ならな。うっかりしていたのはわしじゃから、大概の事は聞き入れるつもりじゃ。」
「なら、僕を、人間でも、ウサギでもなく、犬にしてください。」
「ほう・・・。いいんだな。」
「はい。お願いします。」
「なるほど。そういうのもありじゃな。よーし、ここはひとつ、男前の犬にしてやろう。」

僕は、目を閉じる。

さようなら、妻達。

--

結局のところ、自分で何かを捨てるのはひどく辛かったから、どうしようもない運命ということにして、僕は逃げ出したのだった。

僕は、犬になった。なかなか素敵な犬だった。

僕は、もう、どちらの家にも戻らなかった。

あてもなく、歩いていると、とても可愛い犬の娘が向こうから歩いてくるのに気付いた。

「こんにちは。お嬢さん。」
僕は、新しい人生に大いに満足した。


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