セクサロイドは眠らない

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2002年10月11日(金) その白い肌、膨らみかけた乳房、控えめに局部を覆う翳り、どれも直視できないまま、「きみは誰?」と、

その作家は、とても偏屈な男だと聞いた。誰も寄せ付けないで、ひっそりと暮らしていると。通いの家政婦が一人。それだけ。結婚もしたことがなければ、友達付き合いもない。たった一人で暮らしているという。

彼の原稿を取りに行ってくれと言われて、僕は、ひそかに喜んだ。その偏屈ぶりを一度でいいから見てみたいと思っていたから。僕自身、幾らか変わったところがある、と人から言われ続けていた。

ともかく、僕は、その作家のところに原稿を取りに行った。

--

作家は、偏屈というよりは、むしろ、内気だった。応接室では、家政婦がお茶を運んで来て、「しばらくお待ちください。」と慇懃に言った。それから、随分経って、作家が部屋に入って来た。

「人と会うのは苦手でねえ。」
と、困ったような顔をして原稿を差し出す彼を、僕は理解したいと思った。

僕は、
「分かりますよ。」
と、うなずいた。

それから、僕は、作家と話し込んで、ついには、夜、酒まで酌み交わした。僕は、作家に気に入られたようだった。

--

「実は、さ。きみに教えたいものがあってね。」
そう、切り出されたのは、僕らが、もう、作家と編集者という関係を超えて、親しく付き合い始めた頃の事だった。

「なんだい?」
「誰にも言わないでくれるなら、この週末、うちに来てくれないかな?」
「ああ。喜んで。」

僕は、作家を刺激しないように、控えめに喜びを表わした。

「誰にも言わないでくれよ。」
「分かってますよ。」
作家特有の過剰な自意識からか、彼は何度も何度も僕に念を押したのだった。

--

約束の日の午後、僕は、作家の家を訪ねた。作家は、不在だった。

ドアは開いていたので、
「上がるよ。」
と、声を掛けて、作家の家に入る。

誰もいないのかと思った。

ドアを開けて入って来たのは、全裸の12歳ぐらいの少女だった。

僕は、驚きのあまり、声を出せないでいた。

「いらっしゃい。」
少女は、かすれた声で言った。

何か着ないのかい?とか、きみは作家とはどういう関係?とか、次々と質問が浮かぶのだが、その白い肌、膨らみかけた乳房、控えめに局部を覆う翳り、どれも直視できないまま、
「きみは誰?」
と、訊ねるのが精一杯だった。

「私?ウサギ。この家のおじさんに飼われているの。」
「ウサギ?」
「うん。」
「何か服を着たほうが良くないかい?」
「馬鹿ねえ。ウサギだから、服は着ないわ。」
「ここで、おじさんと二人で暮らしているのかい?」
「うん。おじさんと、お手伝いさん以外の人に会うの、初めて。」
「そうか。で、どうかな?僕とは。その。仲良くなれそうかな?」

つまり、純真無垢な美しい少女を前にしたら、誰だって好かれたいと思う。

「まだ、分からないわ。でも、おじさんもお手伝いさんも、ウサギの事可愛いって。」
「そうだ。きみは可愛い。」
「あのね。今日は知らない人が来るって言うから、ウサギの胸は、トントンとずっと大きな音を立てていたの。」

僕は、自然と、ウサギの小さな乳房に目をやる。

「今は?」
「今も、まだ、おっきな音、してるわ。触ってみる?」
「いや、いい。」

僕は、ウサギの大きな瞳に見つめられて、柄にもなく赤くなる。

「昼間は何してるの?」
「おじさんが遊んでくれない時は、眠ったり。絵を描いたり。」
「テレビとか見ないのかい?」
「テレビ?それ、なあに?」
「友達とは遊ばないのかい?」
「友達・・・。おにいちゃん、友達になってくれるの?」
「ああ・・・。きみのところのおじさんが許してくれればね。」

その時、背後から作家の声がした。
「どうだい?気に入ったか?」

僕は、その時、汗びっしょりになっていた。ウサギと名乗る裸の女の子と二人きりでいることに、異様に緊張し、興奮していたから。

「驚きました。」
僕は、しどろもどろになって答える。

「可愛いだろう?うちのウサギ。」
「ええ。とても。」
「高かったんだよ。実に。」
「高いって。その。」
「ああ。あるルートから購入した。」

僕は、その時、作家が狂っている事を確信した。少なくとも、少女の売買をおかしいとも思っていないぐらいに。

「向こうに行ってなさい。」
作家は、ウサギに告げた。

ウサギはうなずいて、部屋を出て行った。

「まだ、こんな小さい頃からだ。」
と、作家は手で赤ん坊の大きさを作った。

「彼女は、本当にウサギなんですか?」
「当たり前じゃないか。ウサギとして生きるように決められた種類だ。」

僕は、心の中で首を振る。狂った男に育てられた少女の無垢な笑顔が、僕を突き刺す。

--

僕は、ウサギを助け出す事に決めた。作家とは、既に親友だったが、さすがに彼の狂気のために一人の少女を犠牲にすることは我慢できなかった。

僕は、作家が東京にサイン会に行く日を辛抱強く待った。

それまでは、時折、作家とウサギを訪ね、ウサギに好かれるように、いろいろなプレゼントを持って行った。とはいえ、服なんかは興味がないので、簡単な玩具だ。プレゼントは慎重に選ばないと、たとえば、最近流行りの電子玩具などは作家が嫌うので、その点は慎重だった。

ウサギは、僕になついた。

僕のひざに、その小さなお尻が乗ると、僕はドキドキした。

ウサギが、何気なく僕の体に指を触れると、軽い興奮に包まれた。

だが、あまりウサギの事で変な妄想をしないように。と、僕は自分に言い聞かせる。ウサギを弄べば、それは、作家がしている事と同じ事だから。僕は、想像の中でさえ、ウサギに指一本触れなかった。

--

とうとう、その日が来た。作家が家を空けた日。

僕はこっそり、ウサギを毛布にくるんで車に乗せる。

「どこ?どこへ行くの?」
ウサギは、毛布の下でふるえていた。

「僕の家さ。作家に頼まれてね。」
「こわい。」
「大丈夫。僕がついてる。それとも、僕が怖いかい?」
「いいえ。でも・・・。おじさんは、私がこの家を出るのを嫌がってたのに。」
「大人は、すぐ嘘をつくし、気を変える。」

ウサギは、もう何も言わなかった。眠ったように目を閉じて、その顔は青ざめていた。

大丈夫。ウサギ。もうすぐ、きみは人間らしい生活を取り戻す。トイレさえ、部屋の隅っこでさせられているような生活から、僕はきみを助け出す。

--

だが、ウサギはちっとも僕の家に馴染まなかった。服を着せようと、随分と努力したが、ウサギは服を嫌がった。とうとう人間らしく言葉を話すことがなかったオオカミに育てられた少年のエピソードを思い出す。

野生。

というのとも違う。

多くの場合、礼儀正しく、洗練されて、相手への気遣いも怠らない。それが、ウサギという少女だった。

テレビをつけると、怖がって泣き、夜は、一人で寝るのが寂しいからと僕の布団にもぐり込む。作家の事は忘れろ。そうして、僕を愛しておくれ。ウサギは、泣きつかれて、指を口にくわえて眠る。僕は、欲情を押さえ、その小さな、今にも壊れそうな体を抱き締める。

「おじさんのところ、いつ帰る事ができるの?」
ウサギは、訊ねる。

「もう、彼のところには戻れないよ。」
「どうして?」
「なぜって。彼は間違っていたから。」
「おじさんは、間違ってない。間違ってないよっ。」

ウサギは、叫ぶ。

その時、僕は、ドキリとした。ウサギの股間から、血が伝って流れる。そういえば、前よりずっと大きくなった乳房が、小刻みに震えて。

ああ。きみは大人になろうとしている。

だから、汚れているものも、これからは見ていかないといけないんだ。

僕は、真っ白なタオルで、ウサギの股間をぬぐう。その血をじっと見つめて、ウサギは口を閉ざしたまま。

--

僕は、とうとう音を上げた。

次第に、僕に敵意を剥き出しにしてくるウサギに。あまりにも、作家を恋しがるウサギに。もう、あの瞳からキラキラした輝きを失ってしまったウサギに。気付けば、ぼんやりとして。僕が抱き締めて愛撫すれば、ただ、人形のように投げやりに身を任せるウサギに。

僕は、作家の元にウサギを返す事にした。

作家からは、僕に連絡もない。

ただ、噂では、人生最後とも呼べる大作に掛かっていると。

僕は、最後にウサギに懇願する。
「一度だけでいいから。服を着てくれないか?」

ウサギは、黙ってうなずく。

僕は、ウサギのために純白のドレスを用意した。ウサギは、ただ、僕にされるままに、ドレスの袖に腕を通し、髪を結われた。

僕は、ウサギを抱き締めて泣いた。ウサギは、そっと僕の髪を撫でた。

--

「さあ。」
僕は、連れ出した時と同じように毛布にくるんだウサギを、作家の家まで乗せて来た。

ウサギは、その家を見上げ、ほっと息をついた。

作家が出て来て、黙ってウサギを抱き締めた。作家もすっかり痩せて小さくなって。

僕は、てっきり責められるかと思って目を閉じたが、作家は、ただ一言。
「ありがとう。」
と。

「また、ウサギが戻って来た。」
と。

そうして、二人寄り添って、家に入って行く。

どうしても壊すことのできない愛に会って、どうしようもなく寂しくて。それでもそんな愛が存在することで、僕は世界に希望を。

僕は、僕の愛を探しに行く旅に出ることにしよう。


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