セクサロイドは眠らない
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2002年10月09日(水) |
「ねえ。もう、別れたいでしょう?」めずらしく抱き合った夜。妻がそんなことをつぶやく。「どうして?」「だって、私達、喧嘩ばかり。」 |
僕の生まれた田舎にはね。大きな湖があるんだ。山を分け入って、随分長く歩くとね。ぽっかりと、大きな大きな湖が現われるんだ。ばあちゃんから聞いた話なんだけどさ。親の言うことを聞かない子供がいたら、その湖のほとりに連れて行くんだってさ。で、そこに置き去りにして、帰る。一晩経ってから、また、その湖に行くだろう?すると、子供はすっかり言う事を聞く良い子になってるっていうわけさ。
結婚したばかりの頃だっただろうか。
僕は、何気なく妻にそんな話をして聞かせた。
妻は身震いして、 「怖い話ねえ。」 と、言った。
「随分と大きな湖だったからね。で、年々大きくなっているようにも見えた。そのせいだろう。子供の悪い心を食って成長していく湖だってね。昔の人はそんな事を言い伝えてたんだよ。ま、あんまり言うことを聞かない子供は、本当にそうやって脅してたんだろうね。各地に伝わる鬼や山姥の話と同じさ。」 「嫌な話。」 「ただの言い伝えだよ。本気にするなって。」
僕は、怯えたような顔をしている妻を引き寄せると、安心させるように抱き締めた。
あの頃、まだ、僕らは幸福な夫婦だった。
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「ねえ。どういう意味?ちゃんと答えてよ。」
また、始まった。妻が仁王立ちで、僕の前に立ちはだかっている。
「だから。そういう風に窮屈に物事を考えるのは疲れるだろう?」 「そう言って、結局は、私に負担が掛かるのよ。」 「だから、僕もやるって言ってるだろう?」 「いつもそうじゃない。あなたのために食事を作り、あなたのスーツをプレスして、あなたの汚したグラスを洗う。それが、私の存在理由なんでしょう?あなたにとっては。」 「違うって。」
僕は、もうすっかりやり取りに疲れて、食卓に読み掛けの新聞を放り出すと、自室に入り、わざと大きな音を立ててドアを締める。
つまらない事だ。僕が使ったグラスを洗わずにキッチンの流しに置いたままにするから、自分の負担が増えるのよ、とか、そんな事から始まった。
妻の声が、階下から響いている。まだ何か言い足らないのだろう。僕は耳を塞ぎ、目を閉じる。すっかりこじれてしまったように見える僕ら夫婦の関係は、どこから手を付けていいか分からないぐらいにこんがらがっている。
僕は、本当にそのまま眠ってしまったようだ。日曜日の朝。些細な事から喧嘩が始まって、今日一日を棒に振ってしまった。
もう、すっかり暗くなった時間に、僕はわざとむっつりとした顔を作って、階下に降りる。妻がキッチンで泣いている。僕は、知らん顔して、外に出る。この調子じゃ食事も作ってもらえそうにないから、外で何か食べようと思った。
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「ねえ。もう、別れたいでしょう?」 めずらしく抱き合った夜。
妻がそんなことをつぶやく。
「どうして?」 「だって、私達、喧嘩ばかり。」 「僕は何も言うつもりはないんだ。喧嘩はいつもきみのほうから仕掛けてくるじゃないか。」 「なんでも私のせいなのね。」 「だってそうだろう。共働きで大変なのは分かるが、全ての負担を等分にするのは無理だ。」
僕は、ここまで言って、「しまった。」と思った。せっかく今日は喧嘩をしていないのに、妻は、また、僕の言葉に反応して喧嘩が始まるだろう。
だが、その日、妻は違っていた。ただ、泣いていた。僕は、少し慌てる。
「どうしたの?」 「別れたくない。ずっとあなたと一緒にいたいの。」 「馬鹿だな。別れるなんて誰も言ってないだろう?」 「でも、このままだと、私達、駄目になる。」 「だったら、努力しよう。」 「無理よ。さんざん努力したもの。だけど、駄目なの。あなたにきつい事しか言えない。」
妻は、むこうを向いて、ただ泣いている。僕は、そんな妻に何と声を掛けていいか分からずに、困惑して、そのまま眠ったふりをする。
何がどう深刻なのか。問題は、僕を置き去りにして、妻を少しずつ苦しめているようだ。
大丈夫。なるようになるさ。僕は、夢の中で妻に言う。
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次の日、朝、いつものように仕事に行った妻は、戻って来なかった。僕は、慌てた。妻の携帯に掛けても、誰も出ない。妻の職場に電話をしてみると、欠勤していると言う。
一体、どこ言っちゃったんだよ?
僕は、その晩、まんじりともせずに朝を迎える。
次の日も、帰って来なかった。
あの日の涙は、別れの決意の涙なんだろうか?まさか。じゃあ、どうして僕にちゃんと言わなかった?一人で決めて。
僕がちゃんと訊いてやらなかったから?
分からない。分からない。
その日、夜遅く。警察から電話があった。奥さんらしき人を保護している、と。
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妻は変わってしまった。僕が何を言っても、微笑んでうなずく人に。いつも、微笑を絶やさずに、僕のために食事を作り、服をプレスする。
具合が悪いから、と、あの謎の失踪の日以来、僕は妻の会社に告げて、妻を辞めさせた。
妻は、従順な人形のようになってしまった。
呼べば、はい、と答える。僕が笑えば一緒に笑う。僕が怒れば、ごめんなさい、と。何を言っても、ごめんなさいと。
ああ。きみ、どこ行っちゃったんだ?
僕は、妻を抱き締めて。
あの日、妻が見つかったのは、僕の田舎とこの町を結ぶ在来線のホーム。駅員が何を訊いても、ただ、微笑んでばかりで。僕の名前だけが言えて。
そうして、帰って来た妻は、すっかり変わっていた。
もう、妻じゃない生き物のようだ。
ねえ。僕がくだらない事を言ったら、うなずかないで、笑い飛ばしておくれ。僕が弱音を吐いたら、一緒に泣かずに、僕を叱り飛ばしておくれ。
だけど、きみは、もう、空っぽ。ただ、僕が投げ返した言葉を虚しく投げ返してくるだけの。
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会社に言って、少しまとまった休暇をとった。そんなことは、入社以来初めてだ。今までの僕は、むしろ休日も、妻と向き合うのが嫌で仕事に出ることが多かったから。
「どこへいらっしゃるの?」 妻が、訊ねる。
「僕の田舎。」 「いなか。」 「湖のある場所。」 「わたし、そこ知ってるわ。」 「そうだろう。きみが最後に行った場所。きみがきみを置き去りにした場所さ。もう一度、きみを取り戻しに行くんだ。おいで。」
妻は、遠足に行く子供のように嬉しそうに、旅行カバンの荷物を出したり入れたり。
馬鹿なきみ。以前、僕がした他愛もない湖の話を信じて、聞き分けのいい子供になりに湖まで行ってしまった。
馬鹿な、きみ。馬鹿な、僕。
「さあ。行こう。」 僕は、妻の手を引いて。
取り戻しに行くよ。本当のきみを。湖に飲み込まれた本当のきみ。きっと、僕らは取り戻せる。
だから・・・。
いつか、もう一度、喧嘩をしよう。そこに愛があると信じていたからこそ、自分をぶつけ合えた。そんな喧嘩を。
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