セクサロイドは眠らない

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2002年10月07日(月) そうしていなければ、自分が大企業の中でゆっくりと死んでいってしまうから、彼らは、私をいじめた。

彼が、私をつついて起こしている。

「んん・・・。おはよう。」
私は、起きあがると、彼の愛撫を受け、それから、足元に転がったオブジェのような骨を避けながら、仕事に行く準備をするために部屋を出る。

「行ってくるわ。待っててね。」

彼は無言で私を見送る。

--

私が勤めているのは小さな会社で、従業員も20人そこそこだ。小さい会社だけに、人間関係でトラブルを起こすといずらくなるから、目立たないように、失敗のないように。私は、定時まできっちりと仕事をして、それから、ほとんど寄り道もせず、急いで帰宅するのが、毎日。

私は、前の職場でひどいいじめに遭った。理由は、今考えてもよく分からない。多分、些細な事で。だけど、私をいじめる誰かにとっては、私をいじめる事はとても重要なのだ。そうしていなければ、自分が大企業の中でゆっくりと死んでいってしまうから、彼らは、私をいじめた。それだけの事だ。

そうして、私は、一度死のうと思った。

本当に死んでしまったのかもしれない。

そうして、そこで彼に出会った。

そうして、もう、一人ぼっちではなくなった。彼は、私をもう一度、人間のいる場所に送り出してくれた。彼が目当てとしているものを、私が与えられるから。私が欲しがっているものを、彼がくれるから。私達はそうやって結びついている。

--

「一緒に帰らない?」
めずらしく、職場の同僚、と言っても、私より随分年上の女性のセガミさんが声を掛けて来た。

「はい。」
私は、うなずく。

「この先に、美味しいお店、見つけたの。そこ、行ってみない?」
「ええ。」

私達は、そこでビールを頼み、それから、チマチマと飾り付けられた和食に箸をつける。

「食べるの、好きなんですか?」
「ええ。大好きよ。」
セガミさんは、にっこり笑って、箸をどんどん進めて行く。

「ねえ。もう、会社、慣れた?」
「ええ。まあ。」
私は、セガミさんが私をいきなり誘った目的が分からずに、慎重に返事を返す。

「あんまり食べないのねえ。」
「ええ。あまりお腹空かないんですよ。」
「うらやましいわ。私なんか。ほら、お腹の肉、見てよ。」
セガミさんは、笑う。

気さくな先輩の役回りを演じて、私が気を許すのを待っているのだろうか。

そのうち、酔いも随分と回ったのだろう。セガミさんの口調が少しずつ砕けてくる。
「ねえ。大人しいのもいいけどさあ。ちょっと気をつけたほうがいいよ。営業のキグチくん。あなたを見る目、どう見ても、怪しい。」
「そうですか。」
「うん。あなたみたいな子はね。一番付きまとわれ易いの。なんていうのかなあ。何しても受け入れちゃう感じっていうの?嫌、とか言いそうにないタイプは狙われ易いのよ。」
「そんな・・・。キグチさんにちょっと失礼ですよ。」
「彼ね。ほんと、気をつけたほうがいいって。前もちょっと問題起こしててさあ。前の事務の女の子にね。ストーカーみたいな感じで付きまとって、警察沙汰よ。」
「そうなんですか。」
「だからさあ。これ、私からの忠告。ね。聞いたほうがいいって。あなた、どっか、私達と一線引いて付き合ってるでしょう?だけどさ。ほんと、私達、心配してるのよねえ。」

ついでに、ひがんでるんでしょう?私は、この手の悪意に敏感だから、分かる。

私は、残りのビールを空けてしまうと、立ち上がる。
「帰ります。」

「あら。やだ。もう?」
「ええ。」

セガミさんは、もう少し飲んでから帰ると言う。

私は、こんなところにいるより、早く彼のいる場所に戻りたい。そうして、眠るのだ。暖かい場所。

--

セガミさんの言った通りだった。

少しずつ、彼の気配。キグチという男の。私が仕事を終えて帰る時と、朝来た時では、机の上の物の配置が変わっていたり。最初は、そんな些細なこと。

それから、無言電話。これも、きっとキグチさんだ。

いろんな気配が濃くなって行く。

「ねえ。もうすぐよ。」
私は、彼に言う。

ある日、一人残業で遅くなった時。会社を出てから、ずっと付いて来る気配。

キグチさんだろうか。

私は、わざと歩調を緩め、私に付きまとってくる影の正体を知ろうとする。

もう、薄暗い路地。家は近い。

家の前で、私は立ち止まる。気配も、立ち止まる。私は、ゆっくりと鍵を取り出すふりをして。
「キグチさん?」
と呼び掛ける。

「あはは。バレてんの。」
キグチさんが、電信柱の陰から出て来た。

「どうして付いて来たりしたの?」
「頼まれたんだよ。」
「誰に?」
「誰だっていいだろう?」
「セガミさんでしょう?」
「なんだ、知ってんのかよ。」

キグチさんは曖昧に笑い、私は彼をにらみつける。

「頼まれたんだよ。きみを怖がらせてくれって。」
「どうして、そんなことを?」
「さあなあ。あんたが美人だからじゃないの?」
「入る?」
「あ?ああ・・・。」

私は、キグチさんを招き入れる。

セガミさんだろうが、キグチさんだろうが、どっちでもいい。悪意の主も、そういう悪意に簡単に操られる男も、この際、同罪だ。

「セガミさんと付き合ってるの?」
私は、グラスを出しながら、訊ねる。

「ああ。まあ。あっちがさあ。しつこいんだよ。あっちは、旦那もいるってのにさあ。」
「で、私のことを警戒して?」
「ああ。でさ。俺らの事、ばらすってさ。言うこと聞いてくれないと。」
「しょうがない人ねえ。」
「ああいう女は怖いねえ。骨までしゃぶられそうだ。」

キグチさんは、落ち着き無く、部屋を見まわしている。

「にしても、あんた、会社にいる時と雰囲気違うよなあ?」
「そう?」
「なんかさ。この部屋で見るあんたは、随分落ち着いちゃって。」
「そうかしら。」
「会社だと、何考えてるかわかんないって。そういうところが、他の女の反感を買うんだと思うんだけど。」
「ねえ。私と寝たい?」
「え?」
「私と、寝たい?」
「え。そりゃあ。まあ。あんたみたいな美人となら。」
「いらっしゃい。」

私は、ベッドルームに。彼の待つ部屋に。キグチさんを誘う。

キグチさんは、ふらふらと付いて来る。

部屋に入るなり、
「なんだよ?ここは?」
キグチさんは、そう叫ぼうとするが、ゴボゴボと水を吸い込む音にかき消されて、最後まで言えない。

そう。ここは海。

彼がゆっくりと、銀色の鱗を光らせながら、近付いて来て、もがくキグチさんにそっと歯を剥く。

あとは、彼に任せよう。

私は、ベッドの上に横になって、私の愛しい彼が獰猛になるのを眺める。とてもいい気分だ。

朝までには、骨がまた増える。もう少ししたら、セガミさんの分の骨も増えるからね。と、キグチさんに向かってつぶやく。

--

私は、あの日、世の中に絶望して、海に身を投げた。そうして、彼と出会った。


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