セクサロイドは眠らない

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2002年09月28日(土) 「ううん。したくなっちゃったのよ。」彼女は、親友にしなだれかかって、その白い腕を、親友の首に回している。「ねえ。しようよお。」

どうだい、親友。

右腕の付け根が少し痛む。古い傷。

人は、あんまり悲しいと、単純に泣いたりするだけじゃなくて、だから、他人にはそれが悲しみと分かりづらかったりする。そんな事を、僕の親友が知った日の痛み。

--

親友は恋をしているようだ。それを知ったのは、親友が職場の同僚を部屋に連れて来た時だった。普段はあまりお酒を飲まない親友が、同僚を相手に、幾つもの缶ビールを空けて行く。

「お前がこんなに飲むなんて、めずらしいな。」
と、同僚も、少し驚いた様子で付き合っている。

随分と酔ってしまってから、親友はようやくその同僚に向かって話し始めた。
「好きな子がいるんだ。」
って。

「誰だよ。」
「経理のイソザキさん。」
「あの子か・・・。」
「ああ。」
「やめといたほうがいいんじゃないか?」
「そうかな。」
「確かに可愛いけどさあ。」
「顔だけじゃないんだ。」
「性格に問題があるよ。」
「そうかなあ?」
「ああ。結構、誰からの誘いも受けるっていうし。自分からも男に声掛ける子らしいし。」
「知ってる。」

親友は、もう、聞きたくないという風にさえぎって、また、缶ビールを一つ、冷蔵庫から出して来る。

「もうやめといたほうがいいよ。」
親友の同僚は、心配そうに、言う。

親友は、笑って、
「大丈夫だよ。」
と、言う。

「実は、僕も誘われた事があってさあ。」
親友の同僚は、言いにくそうに打ち明ける。

「そうか。」
親友は、うつむく。

「あの子は、誰でもいいんだよ。」
「なんでだろうな?どうして、誰でもいいから、手当たり次第、寝るんだろう?」
親友は、真顔で問う。

「さあな。自信があるからじゃないの?断られないと分かってたら、誘うだろ。で、美味いもんでも食べさせてもらって、プレゼントの一つももらって、その代価が体なんじゃないのか?」
「そんなもんだろうか。それだけのために、男に抱かれるなんてわからない。」
「なら、自分で理由考えるか、彼女に聞くんだな。」
「そうだな・・・。」
「俺、そろそろ帰るわ。明日、午後から出張だし。」
「ああ。」

親友の同僚が帰って行った後、尚も親友はビールを飲み続け、それから、それまで黙って会話を聞いていた僕のほうを向いて、言う。
「あいつ、彼女とやったんだろうなあ。」

僕は、もちろん何も答えない。

尚も、親友は僕に話し続ける。
「女の子の事ちゃんと考えて寝るって事は、女の子のいろんな事を引き受けるって事だから、さあ。彼女が沢山の男と寝たりするって事は、その男達は、本当に何も彼女の事知らないんだろうなあ。」

僕は、黙っている。

親友の言いたい事は何だって分かるけど。

僕には何もできない。ただ、できるのは、右と左で違う大きさの目で、無言で彼を見つめる事だけだ。

--

親友は、普段聴かないCDを聴いたりしている。

イソザキさんが好きなアーティストなんだろうか。

親友は、繰り返し、同じ曲を聴いている。

--

親友は、時々、受話器を取り上げて、どこかに電話しようとして。溜め息をついて、受話器を置く。

あるいは、ようやくのことでダイヤルしたら、話し中だったことがあって。

親友は、クスクスと笑い出した。あまりに緊張したせいだろう。そんでもって、相手が電話に出なかった事でホッとしたんだろう。

電話しようとした相手は、多分、イソザキさんだ。

何だか見ていられない。親友にとって、イソザキさんは、ただ一人、最愛の女性だけど、イソザキさんにとっては、多分、数え切れない程の男のうちの一人で、もしかしたら、名前だって覚えてもらえないかもしれないのだ。

お願いだから、イソザキさん。気まぐれに親友にとびきりの笑顔を見せたりしないでください。退屈だからといって、親友をかまったりしないで、放っておいてやってください。

本当に、本当に、お願いします。

僕は、祈る。

それぐらいしかできない。

--

「へえ。割と綺麗にしてるのねえ。」
彼女は、ぐるりと、僕達の部屋を見回すなり、そんな事を言った。

イソザキさんだ。

僕の願いも虚しく、イソザキさんは、僕の親友の誘いに乗ってしまった。

親友の顔は、今までにないぐらいに輝いていて。僕は、思わず目をそらしたくなる。

「座ってよ。」
「うん。」
「コーヒーがいい?紅茶?ハーブティーもあるよ。」
「じゃあ、コーヒー。」
「砂糖は?」
「要らない。」
「了解。」

親友がキッチンに立った隙に、イソザキさんは、タンスの上に座っている僕を抱き上げて、僕の肩を触る。

僕は、イソザキさんの顔を見て、彼女を以前見たことがある、と思った。

親友が戻って来て、そんなイソザキさんを見て、言った。
「母が作ってくれたんだ。目も一個取れちゃったから、自分で付け直したんだけど、同じボタンがなくてさあ。」
「そうなの?大事にしてるのね。」
「ああ。それは・・・。捨てられないよ。大の男がそんなもん飾ってて恥かしいんだけどさ。」

恥かしい・・・。よなあ。ほんと。いい歳した男が、色褪せたギンガムチェックの熊の縫ぐるみ。目は左右違うし、一度ちぎれた腕は不恰好に縫い合わされている。

「でもさ、驚いたよね。あのヤマネくんだったなんて。」
イソザキさんは、僕を元の位置に戻しながら、言う。

「うん。転校しちゃったしね。あんまりイソザキさんとはしゃべらなかったから。」
「だよねえ。声掛けられた時は、一瞬誰だか全然思い出せなかったの。ごめんね。」
「いいよ。いいよ。でもさ。イソザキさん、一度だけ、僕んち来た事あったの、覚えてる。」
「そうだっけ?」
「うん。そうなんだよね。」
「覚えてないなあ。」
「だろうね。」

なんだ。二人、昔の知り合いだったんだ。

それから、思い出話をひとしきりして。

夕暮れになって、イソザキさんは、
「ねえ。飲みに行かない?」
と、親友を誘う。

親友は、うなずいて、嬉しそうだ。

パタン・・・、と、ドアが閉まる音がする。

--

すっかり遅い時間になって、イソザキさんを抱えるようにして、親友は戻って来る。

イソザキさんは、ケラケラと可笑しそうに笑って。
「お水、ちょうだい。」
と、言ってる。

それから、親友がグラスを持って戻って来た時には、イソザキさんはスカートを脱ぎ始める。

親友は、慌てて、言う。
「苦しいの?」
「ううん。したくなっちゃったのよ。」

イソザキさんは、親友にしなだれかかって、その白い腕を、親友の首に回している。
「ねえ。しようよお。」

親友は、イソザキさんから少し顔をそらして、だけど、その背中をそっと抱き締める。

イソザキさんが、腕をすべらせて親友のズボンのベルトに手を掛けた。

その手を、そっとはずして、親友はイソザキさんの背中をポンポンと叩く。
「酔ってるんだね。」
「大丈夫よ。頭はハッキリしてる。ねえ。したいだけなの。」
「ね。酔ってるよ。きみ。」

イソザキさんは、急に拗ねたように腕を外し、背を向けて座る。
「いじわるね。」

「いじわるじゃない。」
「じゃ、何で抱いてくれないのよ?」
「ねえ。前から聞きたいと思ってたんだ。」
「なあに?」
「なんでさ。そんなにいろんな男と寝るの?」

イソザキさんは、急に黙り込む。

親友は、かまわずしゃべる。

「不思議なんだ。僕の知ってるきみはそんな子じゃなかった。誰にでも声を掛けてくれて。母が出てって、父と二人で暮らしてた僕にも、笑顔で接してくれて。」
「・・・。」
「きみは覚えてないかもしれないけど、あの熊の腕。きみが縫ってくれたんだ。母が残していった、僕にとっては大事な熊の縫ぐるみ。腕がちぎれて、泣いてた僕に声を掛けてくれたんだよ。覚えてない?」
「覚えてない。」
「久しぶりにあったら、きみは随分と変わってた。」
「当たり前でしょう。いつまでも、子供じゃいられないわ。」

イソザキさんは、立ち上がると、スカートを履き始める。

「帰るの?」
「ええ。」
「どうして?」
「こんなんじゃ、嫌だもの。せっかく、私がセックスしようって言ったんだから、黙って抱いてくれたら良かったのに。何が不満なんだか。他の男と寝たことまで持ち出して。」

イソザキさんは、ものすごく怒っていた。

親友は、少し困った顔をして。あーあ。

「送って行くよ。」
「いい。」
「あの。きみを困らせるつもりはなかったんだ。」
「もう、いいって。」
「ただ、たくさんの男と寝てるきみは、すごく自分を傷付けてる風だったから。」
「だから?どうだっての?」
「なんか、見てられない。」
「そういうの、エゴでしょ。あなたの。」
「そうかもしれない。でも、いつか、きみが誰とでも寝なくなったら、僕は嬉しい。」

親友は、僕を抱き上げて、腕を撫でながら。
「なんで、熊の腕がちぎれたか、教えてあげるよ。あの日、僕は、母がいなくなって泣いてた。ずっと。母が作ってくれた熊のぬいぐるみを抱いて。そんな時さ、父が怒ったんだよね。で、いきなりこの子を取り上げて、腕をひきちぎって、窓から放り出したんだ。」
「・・・。」
「あの時さあ。泣いて、拾いに出て。そうしたら、きみがいて。どうしたの?って聞いてくれて。それで、家まで連れてってくれて、直してくれたんだ。」
「・・・。」
「ねえ。人ってさあ。ものすごく悲しい事があると、ただ、泣いたりとかじゃなくて。誰かを傷つけることで自分を傷つけたりとか。そんな風に、自分でも分からないこと、たくさんしちゃうんだよね。父は、あの日悲しかったんだ。だけどさ。泣くわけにいかなかったんだと思う。」

しばらくの沈黙のあと、イソザキさんは、小さな声で話し始める。
「すごく好きな人がいたの。すごくすごく好きで。だけど、その人は、私のこと好きになってくれなかった。ただ、一回きり、抱いて。それから、どっかに行っちゃった。」
「そうなんだ・・・。」
「おっきな穴が空いてね。どうやっても埋まらないの。ねえ。どうやっても。何人と寝ても。」
「僕には、きみの穴が見えたから。余計なことだと思ったけど、黙って見てられなかった。」

イソザキさんは、泣いていた。

イソザキさんは僕を抱き上げると、腕の傷をそっと撫でてくれた。
「あの頃は、楽しかった。人生、いい事ばっかりの連続だと思ってた。」

僕は、イソザキさんのこと、好きになったみたいだ。

「ねえ。また、この子の事、見に来させてもらうかもしれない。どうしても辛くなったら、思い出しに。」
「うん。いつでもおいでよ。」
「でも、この子に見つめられても恥かしくないようにしたいから、もうちょっと時間を置かせて。」
「うん。分かった。」

--

今、僕は、甘いミルクの香りのする部屋のベビーダンスの上に載っている。

イソザキさんは、イソザキさんじゃなくなって、ヤマネという苗字になった。

長い長い話。

僕は、右の目と左の目が違う、つぎはぎの熊の縫ぐるみだけど、割と幸福だ。

そんな僕の独り言。聞いてくれて、ありがとう。


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