セクサロイドは眠らない

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2002年09月19日(木) 「転校してった友達の女の子って感じがするんだよな。」「で、その子の事、いつもいじめてたんでしょう?」

ビールを飲みながら、姉からの手紙を読む。平凡だけど、幸福そうな生活ぶりがうかがえる。特に、三歳になる娘の事になったら、親馬鹿ぶり全開だ。

同封の写真を見る。

うん。確かに可愛い。姉が自慢したくなるのも、無理はない。

僕は、その写真をボンヤリ眺めながら、来週の姪の誕生会には出席しようかどうしようかと、思案する。

--

目の前には、箱が置かれていた。箱には何かカラフルな色の印刷が施されているが、随分と古くて、何が書かれているのか分からない。

なんだ?

僕は、その箱を手に取る。

しばらく撫でて。それから、なぜか、胸がチクリと痛んで、僕は、箱を置いてしまう。

「呼んだ?」
と、声がして、振り向くと、美しい少女。長い金髪。すらりと伸びた手足。

「いや。呼んでないよ。」
第一、僕は、きみの名を知らない。

「いいえ。今、呼んだわ。箱を手に取って、撫でたでしょう?」
「ああ。」
「私、箱の精だもの。」
「箱の精?」
「うん。魔法のランプの精みたいなもの。いつも箱にいるの。」
「で、何か願い事をかなえてくれるのかい?」
「ううん・・・。そういうチカラはないんだけど。」

少女は、顔を赤らめる。

「ま、いいや。名前、教えてくれる?」
「アカネチャン。」
「アカネちゃん?」
「うん。ずっと前、そうやって呼ばれてた事があったの。」
「そうか。アカネ、ね。」

そこまでしゃべると、僕はもう、目の前の女の子に何を話し掛けていいか、分からない。第一、箱の精なるものに会ったのも初めてだし。

「お腹、空いてない?」
「空いてないわ。」

アカネは、くすくす笑う。

「何?」
「ううん・・・。なんでもない。だけど、なんだかなつかしい。」
「なつかしい?」
「ええ。ずっと以前に、この街に住んでたことがあるの。その時と同じ匂い。」

アカネは、僕の部屋をぐるりと見回す。

「ねえ。外に散歩に行きたいわ。」
「いいけど。その格好、どうにかならないかな。」

彼女は、白いひだ飾りが沢山ついた、ピンク色のドレス。それはそれで、色の白い彼女にはピッタリだったけど、どうにも、芝居にでも出てきそうな、大袈裟なドレスだ。

「あ。待ってて。」
僕は、姉の使っていた部屋に行って、クローゼットの中を覗き、ジーンズとトレーナーを持って戻る。

「これ、ちょっと大きいかもしれないけどさ。」
「・・・。」
「ああ。姉のなんだ。たまに帰省して来るんだけど、そん時、置いてった服。」

アカネは、ゆっくりとそれを手に取る。

「ああ。ごめん。部屋、出ておくから、着替えて。」
僕は、そう言って、慌てて飛び出す。

--

「なんかさ。本当に、きみ、箱の精?」
「もともとは違うわ。だけど、箱の中で生きていくことになったの。」
「どうして?」
「誰かに愛された罰。」

僕の住む街を、二人で歩く。

彼女が見たいと言ったから。

「あんまり変わってないね。」
「覚えてるの?」
「うん。」
「変だな。きみ、本当に本当に箱の精?」
「本当だってば。」
「なんていうかな。小学校の時転校してった友達の女の子って感じがするんだよな。」
「そう?」
「ああ。前、会ったことがあるみたいな。」
「あ。分かった。で、その子の事、いつもいじめてたんでしょう?」
「うん。そんな感じ。」

僕は、照れて笑った。まったく、男の子ってのはしょうがない。気になる女の子の髪を引っ張り、先生に気に入られてる女の子のスカートをめくる。

「あの角を曲がると、コロッケ屋さんがあるのよね。」
「へえ。よく覚えてるなあ。」
「まだ、やってる?」
「うん。おばちゃん、元気だよ。」

僕らは、角を曲がり、コロッケ屋の前に立つ。

「おやまあ。めずらしい。デートかい?」
コロッケ屋のおばちゃんが、歯の抜けた口元で笑う。

「うん。まあ。」
「じゃ、サービス。ニ個、持ってお行き。」
「さんきゅ。」

僕は、彼女に一つ手渡す。

「ありがとう。」
アカネは、嬉しそうに受け取る。

「いつも、さっきのコロッケ屋か、あの先の駄菓子屋さんに行って、おやつを買って。それから、空き地に行ったんだっけ。」
「よく、知ってるなあ。」
「うん。あなた覚えてないかもしれないけど、私、ね。いつも見てたんだよ。」
「そうかあ。お前、おもしろいなあ。本当に?本当に、箱さすったら、また箱に戻っちゃうのかよ?」
「ええ。」
「信じられないよなあ。」
「ね。空き地、連れてって。」
「いいけどさ。」

僕は、アカネを連れて、彼女が言う、空き地へ連れて行く。

「ここ・・・。」
「ああ。長い事、子供の遊び場になってたんだけどな。」

ロープが張り渡され、「工事予定地」という札が立てられている。

「なんか知らないけど、パチンコ屋かなんかが建つんだってよ。」
「ふうん。」
「ここで、ずっと遊んでたのになあ。」
「秘密基地があって。」
「そうそう。」
「女の子は、入れてもらえなかったのよね。だけど、お姉さんだけは特別だったんでしょう?」
「ああ。姉貴は、ね。友達はいやがったけどさ。俺、自他共に認めるシスコンだから。」
「知ってる。」
「え?」
「全部、知ってる。」
「そうかあ。じゃ、あれは?中学ん時の・・・。」
「ごめんね。私がこの街で遊んだのは、小学校の一年間だけだから。」
「そっか。」
「帰ろう。」
「ああ。」

彼女は、コロッケを食べずに手にしっかりと持っていた。油が染み出して来て、手がベタベタしてるだろうに、宝物みたいに、握ってた。

もう、夕暮れだ。

部屋に帰ると、相変わらず、古ぼけた箱が置いてある。

「いいのかよ。」
「うん。」

何か言いたげで、でも、何も言わないアカネを、何となくこのまま行かせたくなかったけれど。

「ね。お願い。」
そう言われて、僕は、箱をそっとさする。

「ありがとう。」
瞬間、声と一緒に、アカネは消える。

--

なんだ、夢かよ。ビールの空き缶が転がっている。姪の写真も散らばったまま。

その瞬間、引っ掛かっていた記憶が転がり出して。

やばっ。

僕は、もう、すっかり真っ暗になった街を走る。

「工事予定地」と書かれているその看板をよく見れば、工事の開始は来週になっている。

僕は、辺りに人がいないのを確かめて、そのロープを越えて、空き地へ入る。僕らが遊び場にしていた空き地。奥のガレキの山は、ほとんど粗大ゴミの捨て場になっていて、以前から問題になっていた。僕は、その粗大ゴミをかき分ける。錆びた自転車やら、年代物の炊飯器やら。そういったものを一つずつ取り除いて行く。

あ。あった。

僕らが「ひみつきち」と書いた、木の切れっ端。

飛び出した釘に手を引っ掛かれながら、僕は、つぶれた小屋の残骸の中を這いずり回って。

見つけた。

古ぼけた箱。開けると、中から、抱き人形。抱き起こすと、目がパッチリと開くタイプの。

「おまえだったのかよ。」
僕は、笑う。

それから、シャツの裾で、汚れた顔を拭いてやる。

「ごめんな。忘れてた。」

僕は、箱を抱えて、家に戻る。

--

「あ。もしもし。ねーちゃん?」
「あら。どうしたの?」
「来週さあ。アカネの誕生日だよねえ。」
「うん。そうだけど。」
「俺も、ちょっと遊びに行ったるわ。」
「そりゃ、アカネ、喜ぶわあ。」
「プレゼント、持ってくから。」
「いいのよ。あんたが来てくれるだけで、アカネ喜ぶから。」
「いいから、いいから。」

僕は、電話を切り、姪と同じ名前の人形に話掛ける。
「俺、嫉妬してたんだよな。お前に。」

そうだ。小さい頃から、姉の後を追ってばかりだった。秘密基地にも、仲間は嫌がったけど、姉は連れて行った。母さんもあきれるぐらい、姉に甘えてばかりだった。だから、嫉妬したんだ。お前が来た時にね。それまでは外で一緒に遊んでくれてたのに、お前がうちに来てからは、姉ちゃん、お前の髪を梳かしたり、服縫ったりするようになって。外に遊びに行く時も、いつも抱いて歩くようになって。そんでつまんなくて。だから、こっそり隠しておこうと思った。すぐ出そうと思ってたのに。それっきりになってんたんだ。

決して裕福な家庭ではなかったし、商売やってて忙しかったから、母さんは姉に、
「あんたがあっちこっち持ち歩くから失くなっちゃったんでしょう。」
と言って、ちゃんととりあってくれなかった。

姉は、あの時、ずっと泣いてたけど。心配そうに見ていた僕には、「平気だよ。」って笑って見せた。

ずっと忘れてた。そんなこと。

だけど、姉は忘れてなかったんだろうな。

人形からは、ほのかにコロッケの油のような匂い。

「いじめたりして、本当にごめんな。」

まばたきする人形の口元が微笑んで見えた。


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