セクサロイドは眠らない

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2002年09月13日(金) 「思ったんだ。きみの相手は、きみのそばにいてくれるような人じゃないけど、きみはずっとその人のことが好きなんだなって。」

「この前の子はどうしたんだよ?」
と聞かれて、
「煮え切らないから、やめた。」
と、答える。

そこそこの日常。仕事も、まあまあ。周囲からそれなりに可愛がられて、僕自身、甘え上手で。そんな人生をずっと送って来たから、その女の子の眼鏡の奥の素顔がちょっと可愛いなんて、なかなか気付くもんじゃなかった。

「資料、五部ずつコピーしておきましたから。」
って、帰り際、明日プレゼンやらないといけない僕にそう言って、にっこりと微笑む彼女が、妙に気になるようになったのはいつからだったろう。

「ありがとう。」
僕は、微笑む。

声を掛けてみようかな、とも、思う。

今、彼女はいない。大体、一年ぐらいしかもたない。付き合ってると、いろいろ面倒があることが分かって。それでも付き合うかどうかって考えると、何だかどうでも良くなって、別れてしまう。だから、あの子の事も、もうちょっと様子を見てからにしよう。

--

通勤途中、あの子を見かける。

昨年できたばかりのマンションから出て来るのを見かけて、僕は思わず、
「おはよう。」
と、声を掛けた。

「あ。おはようございます。」
「ここなの?住んでるの。」
「はい。」

彼女とは、あまり話がはずまなかった。どちらかというと、僕ばかりがしゃべってて、彼女は、へえ、とか、はい、とか、そうですか、とか。そんな事を言ってばかりだったから、僕はちょっと不安だったりした。多分、女の子のほうから僕に興味を持つ事に慣れてたから。

会社に着く頃には、僕と歩くのは少し迷惑だったかな、と思い始めた。

つい、つまらない事を聞いてしまった。
「彼氏とか、いるの?」

彼女は、はっと息を飲んだような気がした。それから、小さな声で、
「いません。」
と、答えた。

それから、
「あの。私、お茶の当番なんで、先行きますね。」
と言って、走って行ってしまった。

失敗したかな、と思った。最初から最後まで間違いな気がした。時間を巻き戻して、もう一度、彼女が住むマンションで出会うところからやり直したかった。

なんだろう。このモヤモヤした感じ。

--

しばらくは彼女と会わなかった。

それから、ある朝。

僕は、いつものように、朝、職場に向かっていると、マンションの入り口で彼女が立ってこちらを見ている。

「おはよう。どうしたの?」
「待ってたんです。」
「僕を?」
「ええ。」

その時は、なんだかすごく嬉しくて。この前の失敗を取り戻そうと心に誓った。

それでも、やっぱり彼女とはあまり会話が弾まなかった。相変わらず、彼女は、ええ、とか、はい、とか。だから、僕は彼女を笑わせようと必死になった。ひっきりなしに、話し続けて。彼女がクスクス笑ってくれると、ホッとした。

人は、不安だとおしゃべりになるんだな。

そんな事、二十四年生きて来て、初めて知った。

そうやって、毎日、一緒に通勤する日々。だけど、それだけ。彼女の閉ざされた心にうっかり足を踏み入れないように、気を付けながら、彼女を笑わせるために話題を探す。

--

一度、給湯室の中での会話が偶然聞こえて来て、僕は思わず耳を傾ける。

「・・・さん。婚約者が死んじゃったんだってね。」
「そうなの?」
「本当よ。」
「やーん。かわいそう。」

ああ。それで。彼女の暗い表情の説明が全てつく。

僕は、仕事中も彼女の横顔を盗み見て、勝手に同情して、勝手に胸を痛める。いいだろう?それぐらい。僕がきみを気に留めるのは、勝手だ。

--

僕らは、仕事帰り、小さな居酒屋で。

「なんで、誘ってくれるんですか?」
って、彼女が訊ねる。

「さあ。なんでかなあ。」
「私、口下手だし。」
「うん。」
「あ。ひどい。」
「だって、そうなんだろ?」
「そうですね。なかなか上手くしゃべることができなくて。」
「いいよ。その分、僕がおしゃべりだから。」

それでも、少しずつ。ほんの少しずつ。彼女は僕に心を開いてくれるのが分かる。

「前さあ、彼氏いるのって聞いたろ?」
「ええ。」
「あの時、ちょっと様子変だったよね。」
「ごめんなさい。」
「でさ、思ったんだ。きっと、きみの相手は、きみのそばにいてくれるような人じゃないけど、きみはずっとその人のことが好きなんだなって。」

彼女は突然泣き出して。それから、
「ごめんなさい。」
と、小さい声で行って、席を立って店を出てしまう。

僕は、また地雷を踏んだようだ。それでも良かった。そうでもしないと、彼女に近付けないから。

携帯が鳴る。遊び仲間からだ。
「どうしたの?最近、遊ばないね。」
と言われて、ああ・・・、と答える。

前は、嫌いだった。こんな風に誰かの気持ちを想って、心を乱す事。だけど、今は。

--

朝、マンションの前で、彼女が中年の女性から叱られて、頭を下げている。

ものすごく長い時間、くどくどとその女性は何か言っていた。

ようやく解放された彼女に、僕は、
「どうしたの?」
と、訊ねる。

「ゴミの出し方で。ちょっと間違えちゃって。」
「ああ。そう。」

彼女はものすごく青ざめて、気分が悪そうだったから、僕は近くの喫茶店に彼女を連れて行く。

「大丈夫?」
「ええ。もう、大丈夫。前から時々、注意されてて。」
「そうかあ。だけど、人間だもんなあ。間違える事だってあるよなあ。嫌なおばさんだよ。人間、ああはなりたくないねえ。」

僕は、彼女を励まそうと一生懸命しゃべる。

「あのね。あの人、そんなに悪い人じゃなかったの。ちょっと前までは。だけど、ここ最近。なんだか、ね。家庭内でいろいろあるみたいで。」
「だからって、きみに当たるのは筋違いだろ?」
「違うの。家の中がひどい事になって、周囲も、彼女を遠ざけるようになって。急に別人みたいになっちゃって。」
「何?同情?」
「わかんない。わかんないけど。私だって、あんな風になっちゃうかもよ。人って簡単に駄目になっちゃうかもよ。」
「ならないよ。きみは、ならないって。」
「どうしてそんな風に言えるのよ?私、今だって、立ってるのが精一杯なのに。なんでそんな風に信じられるの?いつかは、私だって、あのおばさんみたいになっちゃうかもしれない。あなただって、私を避けるようになるかもしれない。私だって、いついなくなっちゃうかしれないのに。」

彼女は、泣いていた。多分、自分でも気付いてなかっただろう、頬に伝う涙。

ずっと、悲しみを抱えてたんだ。

僕は、彼女の涙を見ながら、思う。

ようやく泣き止んだ彼女は、
「いくつ寝たら、解放されるのかなあ。」
と、独り言のようにつぶやく。

いくつ寝ても忘れる事はないかもしれない。だけど、そんなに簡単に誰かの事を忘れないで欲しい。誰かを好きなままでいるきみが、僕は、好きだ。前は、解答のある恋愛が好きだったけど、今は、答えが見つからないままの恋愛も好きだ。

そういうこと。

僕は、黙ってハンカチを差し出して、
「さ。仕事、行こう。」
と、声を掛ける。


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