セクサロイドは眠らない

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2002年09月12日(木) 女は、自分が笑わない理由を、僕に話し始める。女が笑わない理由なんてどうでも良かったが、僕は、まどろみながらそれを聞く。

「なんで?私のどこが不満なの?」
目の前の彼女は呼び出した店で、大声を出す。

それから、顔をくしゃくしゃにして、ポロポロと目から・・・。

ああ。やめてくれ。僕は、顔をそむける。

「なんだって言う通りにして来たじゃない。」

だが・・・。

「あなたの言う通りの服を着て。」

違うんだ。

「じゃ、なんで、付き合うなんて言ったのよ?」

それはきみが・・・。きみが望んだんだろう?

僕は、黙って伝票を掴んで立ち上がる。

「ちょっと待ってよ。」
彼女が僕の腕を掴む。

「こっちを向いてよ。私の顔が見られないの?」

そうだ。見たくもない。そんな醜い顔など。歪んで、目からも鼻からも液体が流れ出してる。そういうのは、嫌なんだよ。

僕は、とうとう彼女を振り切って、店を出る。

--

何度目かな。またうまくいかなかったよ。僕にはどうにも手に負えないみたいだ。

「どうしたの?ぼんやりして。」
そう言われて、僕は
「疲れたよ。」
と、つぶやく。

「あなた、いつも疲れてるのね。」
女は無愛想に、言う。

「今日も、何もしないで、おしゃべりだけなのね。」
「ああ。」
「あなた、変わってるわ。」
「そうかな。」
「私のどこが気に入ってるの?」
「母と似てるところ。」
「あら。どんな方?顔が似てるの?私と?」
「さあ。良く見たら、全然似てないかもしれない。だけど、どこかが似てるんだ。」
「お母様、私に似てるなんて言われたら嫌かもよ。だって・・・。」

それから、女は、自分が笑わない理由を、僕に話し始める。女が笑わない理由なんてどうでも良かったが、僕は、まどろみながらそれを聞く。

あのね。私、昔は本当に無細工な子供だったの。誰からも相手されないで。親でさえ、顔をそむけたわ。同級生も、誰も友達になってくれなかった。大きくなってからも、恋人なんてできやしなかった。いろいろとからかわれてねえ。就職も、多分、顔のせいだわ。幾つも落とされて。だから、決心したの。ようやく私を採用してくれた会社で、私は必死に働いて、お金を貯めてね。それで、整形しようってね。

「それが、その顔?」
「ええ。そうよ。」
「それが、どうして笑わない理由に?」
「何回も整形を繰り返すうちに、笑うと顔が不自然に引き攣れるようになっちゃったの。だから、笑わない。私の顔は、完全に作り物の仮面よ。皮膚の下の筋肉では自然に動かせなくなっちゃった。」
「そう・・・。」
「だから、笑わない。客には不評よ。だけど、たまに、ね。あなたみたいな男がいるの。笑わないところが魅力だって言う男がね。」
「そうだ。笑わないほうがいい。」

僕は、その、作り物の顔を撫でる。

僕には、目まぐるしく変化する顔より、こんな風に表情の抜け落ちた顔のほうが好ましく思われるのだ。

それから、目を閉じて、思い出す。遠い昔。

--

僕は、泣いていた。

祖母が部屋に入って来て、
「泣いていると、お父様に叱られますよ。」
と、冷たい声で言った。

僕は、かまわず、泣いていた。

「今日から、これがあなたの面倒を見ますから。」
祖母は、そう言い残して、僕の部屋を出て言った。

僕は、振り返った。

そこには、ロボットが。人間の女の形はしているけれど、顔に表情はなく、のっぺりとした人口皮膚が機械の体を覆っている。

そんなもの、要らないと思った。死んだ母親は戻って来ない。

そのまま僕は、亡くなった母のドレスを胸に抱いて眠っていた。

途端に、焼けつく痛みで目が覚める。
「お前は、いつまでこんなものを。」

父は、何度も何度も僕を殴る。それから、母のドレスをズタズタにして、部屋を出て行ってしまった。

僕は、痛む頬を押さえて、立ち上がる。目を上げると、ロボットが僕をじっと見て、最初の命令を待っていた。

「これを捨ててきておくれ。」
僕は、始めて、その表情のない顔に話し掛けた。

--

「お母様の話を聞かせてよ。」
「本当の母は、僕が四歳の頃に亡くなったから、よく覚えてないんだ。」
「あら。」
「新しい母は・・・。そう。きみにちょっと似ていた。」
「お母様の事、好きだった?」
「どうかな。分からない。何でも僕の言う事を聞いて。どうかな。そんなもんだと思ってた。その日からは、それが僕の母だったし。」

--

あの屋敷で、僕は、そのロボットとほとんど二人きりで過ごすうちに、笑ったり泣いたりすることを忘れて行ったのだ。

あの事件があるまでは。

僕は、もう、十六になっていた。相変わらず、屋敷にこもったままで、父が買ってくれた書物で勉強し、ロボットを話し相手に生きていた。

その女の子は、どこから入って来たのか。

僕を見て、
「ああ。良かった。このお屋敷、人がいないのかと思ったわ。」
と、顔を奇妙な形に歪めた。

「きみ、誰?」
「私?近くに越して来たの。一人じゃつまらないから、お友達を探してるの。」
「そうか。」
「あなたは?学校にも行かず、こんなところで?」
「ああ。僕は、父に言われた勉強だけしていればいいから。いずれは、父の会社を継ぐんだ。だから、要らない勉強はしなくていいって。」
「へえ。あんたのお父さん変わってるのね。」
「父は・・・。父は立派な人だ。」
「それで、お母さんも、何も言わないの?」
「母は、いつも僕の言うことを聞いてくれる。」

その時、女の子は、母を見た。正確には、ロボットを。それから、不思議そうにそれを触って、突然、ケタケタと声を立てて。

僕は、驚いた。

女の子の顔がさっきと同じように奇妙に歪み、壊れたような音を立て始めたから。

「これ、何?変なお人形ね。」
女の子は、尚も声を立てる。

つまりは、それが「笑う」という事だと気付いたのは、随分経ってからだったが。

僕は、急に不安を感じ、女の子に飛びかかって行って。よせよ、とか何とか言いながら、その口を塞ぐと、今度は、女の子はキーキーと騒いで、今度は目から水を流し始めて。

それからは良く覚えていない。

祖母の声がして。

使用人が僕を女の子から引き剥がしたんだと思う。

--

あの時、気付いたのだ。僕は、人が泣いたり笑ったりするのを見ると、妙な不安を覚える。

「どうしたの?」
女は、相変わらず、口だけ動かして、僕に話し掛ける。

「何でもない。昔の事を思い出してただけだよ。」

そう。僕は、あの後、母を殺した。なぜかは分からないが、女の子の言葉を思い出し、目の前のロボットにむしょうに腹が立ったのだ。

「僕は、母を殺したんだ。」
ふと、そんな風に言ってみた。

女は、何も言わなかった。その皮膚の下にどんな表情が隠れているのかも、分からなかった。


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