セクサロイドは眠らない

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2002年09月02日(月) 彼は、そうやって、ずっとずっと他人を拒絶して、一人で生きて行くのだろうか。どうして、彼は怖くないんだろう?

「ねえねえ。あの人、かっこいいよ。」
「あの人って?ああ。あの人。うん。見た目はなかなかいいけど、性格はどうなんだろうねえ。」
「性格よりも、私は見た目だよ。見た目。ああん。ああいう人ってもう彼女いるんだろうなあ。」
「ちょっと、アコ、静かにしなよ。にらまれてるよ。」

そう。あの時から。入社式の時から。私は、彼に憧れている。長身で、いつも微笑をたたえたような、その顔に。

--

入社して、ずっとその人に憧れていた。遠くから見て憧れているばかりだたった私が、この夏新しく始まったプロジェクトで彼の下に配置された時、私は、小躍りして喜んだ。

「良かったねえ。」
友人はあきれたような顔で私を見ている。

「だってだってー。こんなに早く一緒に仕事できるとは思わなかったんだもん。」
「だけど、タニグチさんって、ホモだって噂よー。」
「あ。ひどー。でも、ホモでもいいや。あれだけカッコ良かったら。おしゃべりできるだけでもいい。」

実際の彼の噂は、そう悪いものではなかった。特定の恋人がいる気配がないところから、ホモだとか、遊び回っているとかいう人間もいたが、仕事はきっちりするし、彼が女性と一緒のところを見たという人もいないところから、むしろ、仕事以外趣味も持たない、面白味のないやつという言い方をする人間もいた。

とらえどころがない、というのが一番合っているだろうか。

とにかく、どんな噂より、自分の目で確かめよう。

結果、私は、一緒に仕事をしてみて、ますますタニグチという男性に惹かれていった。

グループリーダーという立場の彼は、いつも、穏やかな口調で部下に指示を出し、いつもグループのメンバーが全員帰るまで、自分が先に仕事をあがったことはなかった。部下のちょっとした部分を見つけてさりげなく誉める様子などは、私はいつも嫉妬に駆られながら見ていた。

あれじゃ、放っておいたら誰かにとられちゃうよ。

私コは、焦りから、誰よりも遅くまで仕事をした。何度かは、タニグチと二人きりになることにも成功した。

「もう、しまっていいよ。」
タニグチの柔らかい声が掛かるまで、一心不乱に仕事をしていたふりをする。

そうして、
「あ。もうみんな帰っちゃったんですね。」
などと、わざと言う。

「きみ、ええっと。」
「キノシタアキコです。みんなにはアコって呼ばれてます。」
「キノシタくんは、家、遠いの?」
「電車で二駅です。」
「おくるよ。」
「いいんですか?」
「ああ。」

そんな会話の一つ一つが、全ては夢の中で交わされているような気分だった。

「自宅から通ってんの?」
「え。ああ。はい。一人暮ししたいんですけど、親が許してくれなくて。」
「そうか。いや。家族がいるっていいよ。一人は寂しいだろう。女の子は一人暮らしなんかしないほうがいいよ。」
「タニグチさんは?」
「僕?」
「誰かと一緒に?」
「いや。」

ああ。良かった。

安堵して。

恋人とかいるんですか?って訊こうと思ったけれど、胸がドキドキしているうちに駅に着いてしまって、
「じゃあ。明日。」
って、タニグチさんが笑顔で言うから。

「おつかれさまでした。」
って言うしかなくて。

タニグチさんは、駅まで押して歩いていた自転車にさっと飛び乗ると、行ってしまった。

いるよね。多分。そういうの、何となく分かる。見てても、物欲しげなところとか全然ないし。むしろ、満たされてるっていうのかな。何か、彼を支えるすごく大きくてあったかい存在があって、彼はそのせいでとっても安定してるっていうか。なんだか、そんな感じに見えるもの。

私は、帰りの電車に揺られながら、そんなことを思う。

--

「で?どうなの。タニグチさんとは。」
友人が、ビールをぐいっと飲んだ後に、開口一番訊ねる。

「どうって。どうにもなんないわよ。」
「やっぱりねえ。」
「やっぱりって。」
「だって、あれからいろいろ訊いたんだけどさ。タニグチさんって、ほんと、ガード固いっていうか。あれじゃ、ベッドの上で服脱いだって、指一本出して来ないだろうって噂よ。」
「やだ。そういうの、聞きたくないよ。」
「ごめん、ごめん。だけどさ。アコ、無理だって。やめとき。」
「いいじゃない。私、正面から勝負するから。酔ったふりして迫るとかじゃなくてね。ちゃんと、言う。絶対。」
「まあ、そこまで決意が固いなら、とことんいっちゃったほうがいいかもね。」
「うん。」

私も、ビールを、ぐいぐいっと一気に飲む。本当のところ、私はかなり落ち込んでいた。

他の人、好きになったほうがいいかなあ・・・。

--

「・・・なんです。」
「え?」
「好き、なんです。」

自分でもびっくりするぐらい声がかすれて、うまく言えなかった。話があるからと、仕事帰りに誘った店で、ろくに味もわからない食事を終えた後、私は意を決して告白した。

「そうか。」
彼は、静かに言った。私の気持ちをちゃんと両手で受けとめて、その重さを探っているようだった。

「きみも、いくらか噂を聞いたと思うけど。僕は、誰かと付き合う気は全然ないんだ。」
「やっぱり・・・。」

私は、自分でも驚くほど落胆して、後から後から涙が溢れてきた。

駄目だったらあきらめよう。そう何回も言い聞かせて来たのに、実際に彼の口から聞く言葉は鋭利な歯で私の心を切り刻む。

「付き合ってもらいたいとか、そんなわがまま言いませんから。いっつも会って欲しいとか、彼女になりたいとか、そういうんじゃなくて。」
「だったら、どうしたいの?」
「分からない。けど、そばにいたいんです。」

彼は困ったように、黙ってしまう。

そんな時でさえ、みんなが見ていて恥かしいから、店を出よう。などと、彼は決して言わなかった。ただ、私が泣き終わるのを待って、そっとハンカチを差し出してくれる。

「今日はすみませんでした。奢ってもらったりして。」
別れ際に、頭をペコリと下げる。

「いいよ。なんだか、今日は心があったかくなったよ。アコちゃんのおかげだ。」
そういって、去って行く彼は、何だかとっても孤独に見えて。

なぜだろう。彼は、そうやって、ずっとずっと他人を拒絶して、一人で生きて行くのだろうか。どうして、彼は怖くないんだろう?

私は、胸が締め付けられるような思いで、彼を見送った。

--

翌週のことだった。

部長が、彼の提案を、自分の提案として発表した、それが、社内の提案賞を受賞したのは。賞金は五十万だった。

私は、知っていた。タニグチさんが、夜遅くまで練った提案を、部長があっさりと却下してしまったのを見ていたから。

ひどい・・・。

今日、彼はどんな気持ちでいるんだろう。

先週のことで気まずくて、今週一言もタニグチさんとしゃべっていなかった私だが、さすがにいたたまれずに、彼が仕事を終わるのを待って、
「あの。」
と、声を掛けた。

「どうしたの?」
彼の声はいつもと同じに柔らかだった。

「どうしてですか?」
「どうしてって。」
「部長のことです。黙ってていいんですか?」
「何を怒ってるんだい?」
「だって、これじゃ、あんまり・・・。」
腹が立ってくやしくて、私は泣いていた。

「よく泣くね。」
彼は微笑んでいた。

「帰ろう。」
と、言うから、私は黙ってうなずいて。

無言で歩く。

どこに行くのだろう?

聞くこともできずに、私達は歩いた。

辿り着いたそこは、彼のマンション。

「いいんですか?」
「いいよ。初めてだな。他人を連れて来たのは。」

私は、怒りもくやしさも吹き飛んで、ただ、彼の部屋に入れてもらえる光栄に、眩暈を覚える。

「彼女は、さ。寛大だから。知らない人間が来ても、受け入れてくれるんだよ。」

彼女?

何もない殺風景な部屋が広がっている。

部屋の奥には。

ぶよぶよとした、あれは?

巨大なピンクの豚。

彼は、ネクタイを緩めるのももどかしそうに、その豚の腹に体を投げ出す。

その表情は、安堵。放心。いや。赤ちゃんのように無垢な。

「先輩。私・・・。」

彼の耳にはもう何も聞こえていないようだ。

「あの。私、帰ります。」
そう言うけれど、私の足は凍りついたようにうまく動かない。

くすくすとも、きゃっきゃっとも、つかない笑い声。それが彼の声だと気付くまでに随分掛かった。

それから、私はようやく彼のマンションを出て、酔っぱらいのような足取りで歩き始める。彼を包む絶対的な幸福の理由を、私は知りたかったのだ、という事に気付くけれど、そこで見た光景はあまりに・・・。

「そりゃ、誰とも付き合う気はないってことよね。」
ふふふ。と、私は笑い始める。その声は、次第に大きくなって、ついには大声で笑いだして、私は止まらない。嫌だ。先輩のがうつっちゃったかしら。と思うのだけど、もう、その笑いは抑えることもできなくて。

私の笑い声が夜空に響いている。


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