セクサロイドは眠らない

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2002年08月20日(火) どうしても都会に馴染めなくて、仕事を続けようと頑張るきみが痩せて行くのが辛くて。僕は、「結婚しよう。」と言った。

もうすぐだ。

もうすぐ、きみの景色に会える。

鈍行の列車の窓から吹き込む風が、僕の頬を撫でる。その風を感じることはできなくても、僕には、分かる。頬に伝わるもので。

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きみはいつも泣き虫だった。といっても、僕はきみの涙が大好きで。きみは、我慢強くて頑張り屋さんだから、そう簡単に辛いとか、くやしいとかで、泣いたりはしなかった。きみが泣くのは、いつも、嬉しい時。本当に、些細なことで泣くもんだから、付き合い始めの頃はしょっちゅう驚かされていたっけ。

たとえば、田舎のお母さんから届いた小包でも泣いたし、植えた花が芽を出しただけでも泣いた。そんなに泣くと目が溶けて流れ出しちゃうよって僕がからかったりするから、きみは鼻の頭を赤くしたまま笑ったりした。

僕は、きみが泣くのと同じぐらい笑うのも好きだった。

今、僕は、きみの骨が膝の上でカタカタと音を立てるのを聞きながら、電車に乗っている。早く行きたい。その場所へ。そうして、眺めたい。きみがいつも言っていた風景を。

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僕と、亡くなった妻が会ったのは、都会の真ん中だった。電車に乗ろうと切符の自販機の前にいるけれど、どれを選んでいいのか分からなくて、結局、おろおろと立ち尽くしていたから。僕は、そんなきみが可愛くて、思わず声を掛けたっけ。その時の涙が忘れられない。あんまり泣いて止まらなくなるもんだから、まるで僕が悪さしたみたいに思われたらとバツが悪かった。

後で、ようやく泣き止んだ彼女が、
「ごめんね。びっくりしたでしょう?」
と、かすれた声で言った。

「大丈夫?」
「ええ。一人で本当に心細かったから、誰かに声を掛けてもらったのがすごく嬉しくかったの。私ね、嬉しいとすぐ泣いちゃうの。」
「知らないやつに声を掛けられたら、警戒しなくちゃ。」

彼女は、笑った。

その瞬間、僕は恋に落ちた。

僕らは、週末毎に会った。

どうしても都会に馴染めなくて、仕事を続けようと頑張るきみが痩せて行くのが辛くて。僕は、「結婚しよう。」と言った。

彼女は、また、泣いた。

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「私の住む場所は、遠い遠い場所で、山の奥で、あなたもあきれるぐらいの田舎なのよ。」
彼女は、そう教えてくれた。

手紙で彼女の母親に結婚の承諾を得て、僕らは安物の指輪と、ケーキで、二人でお祝いをした。

「早く、お母さんに挨拶に行かなくちゃね。」
と、言っていた矢先だった。

僕の運転する車に、対向車がぶつかって来たのは。

最後、きみをかばった背中に強い衝撃が走ったのを覚えている。

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駅に降り立つと、そこからはもう、歩くしかない。

不器用な格好で歩くから、随分と時間が掛かる。

途中、道端に座って、ペットボトルの水を飲む。うまく飲めなくて、唇の端からこぼれてしまう。まだ、リハビリがすっかり終わらないうちに、僕は病院を抜け出してこの村に来てしまった。

夏休みだからだろうか。昼の暑い時間なのに、子供達が走ってくる。

「あ。誰かいるー。」
「知らんやつじゃ。」
「おじさん、誰?」

子供達は、僕を覗き込み、それから悲鳴を上げる。

「うわ。化け物じゃ。」
「ロボットじゃ。」
「逃げろー。」

そんな台詞は、もう随分と慣れた。

僕は、ゆっくりと立ち上がる。こんなペースじゃ、彼女の母親に会うまでに日が暮れてしまうよ。初めてなのに見慣れた風景を見ながら、僕はゆっくりと歩き続ける。

この道をずうっと真っ直ぐ行ったら、村で一つきりあるポストがあって、そこを右に曲がったら。

そこに立っているのは。

あれは、多分。

--

事故の後、意識を回復した僕に、医師は、「手を尽くしたのですが、残念ながらあなたの体は。」と、事務的に告げた。僕の脳は冷たい金属の体に納められていた。

「妻は?」
僕が最初に発した言葉も、不気味に響く人口音声だった。

「奥さんは、残念ですが・・・。」

僕は、その時、体中を振り絞って、悲鳴を上げようとした。だが、聞こえて来るのは、奇妙に響く金属音だった。

「だが、一つだけ。あなたの目ですが。」
「目?」
「それは、奥様の目です。」
「妻の?」
「ええ。お顔は、とても美しく傷一つなかった。微笑んでいるようでした。その顔にメスを入れるのはしのびなかったのですが、何とか目だけでも救い出したかった。ですから、勝手とは知りつつ・・・。」

僕は、医者の思いやるような眼差しを見て、うなずくだけだった。

「鏡を貸してください。」
僕は、その醜い顔を覗き込む。だが、そこにただ一つ、活き活きと明るく輝いているのは。そうだ。妻の目だ。黒目がちの、潤んだ。途端に、目から、一筋、二筋。あれよあれよという間に、拭いきれないほどの涙が人口の皮膚を伝った。

「馬鹿だなあ。泣くなよ。」
僕は、僕の目に向かって、言った。

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今、その老婆は、僕に向かって手を振っている。

あらかじめ、何度も手紙をやり取りして、僕らの事をしっかり理解してもらったから、大丈夫だ。

僕と彼女は、今、一つの光景を見ている。

僕の目からは相変わらず、涙が。

「本当に泣き虫なんだから。」
僕は、つぶやいて、残りの人生を過ごす場所を。そうして、ずっと懐かしく思って来た場所を。涙でかすんだ瞳ごしに見つめる。


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