セクサロイドは眠らない
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2002年08月11日(日) |
正直、寂しくてどうしようもない夜が続いていて、私は悲しくてしかたがなかった。彼が入って来て、泣いている私を見て、驚いて。 |
小さな喫茶店だった。
改装すればもっと若いお客さんも増えるのかもしれないけれど、私は、その古ぼけた店で満足だった。ずっと私を支えてくれたその店で、私は息子と私が食べるものを稼いできたし、そこから他へはどこにも行き場がなかった。
どこにも行き場がない、ということと、愛する、ということは似ているな。
と、なぜか常々そんなことを思いながら、私は、今日もその店で客にコーヒーを入れる。
「あの人も随分長いわねえ。」 いつもの友人が、カウンターで声をひそめて私に言う。
私は、唇に人差し指を当てて、首を振る。
陰気な客だが、客は客だ。陰口は許されない。こんな小さな店だけど、いや、小さな店だからこそ、守らなければならないルールというものもある。
その客は。だが、確かに。もう、何年目になるだろうか?いつも同じ時間にそこに座り、コーヒーを一時間かけて飲むと、出て行く。平凡な老人だが、表情だけが固くこわばり、いつだって、私を、この店を、憎んでいるかと思えるほどだ。
私のことを良く知っている友人は、軽く舌を出すと、いつものように、夫や子供の愚痴をひとしきりしゃべって、帰って行った。
入れ替わりに、中学生になる息子が入って来た。
「こら。表から入らないでって言ったでしょう?」 「うん。ごめん。あの。通信簿。」 「ああ。奥に置いておいて。」 「駄目だよ。今すぐ見てよ。ね。約束だろ。数学、全部5なんだよ。」 「しょうがないわねえ。」
私は、溜め息をついて、財布から取り出した数枚の紙幣を渡す。
「さんきゅ。」 息子は、あっという間にいなくなり、店には、例の陰気な老人と私だけが残る。
一学期、どの教科でもいいからオール5を取ったら欲しがっていたものを買ってあげる、なんて、うっかり約束したものだから。
私は、こちらを見ない客に向かって弁解する。老人は、聞こえてないのか、変わらぬペースで最後の一口を飲み終えると、いつものようにコーヒーの代金をカップの横に置いて出て行ってしまった。
私は、息子の説明は余計だったかしら、と思ったりもしたが、多分、彼は子供が好きなのだろうと思っていたから。
あれは、息子が小学生の頃、いつも注意していたのに、さっきみたいに店に飛び込んで来て、私に話し掛けてきたから、私は老人を気にして、彼の顔を見た。驚いたことに、老人はかすかに微笑んでいるように見えたのだった。だが、一瞬、微笑んだように見えた表情は、すぐさま、悲しみのような怒りのような表情に変わったから、錯覚だったのかもしれない。
--
この店を始めた頃は、私もまだ若く、夫と一緒だった。念願の喫茶店を作ると、だが、夫は、喫茶店ができた途端、あっという間にこの世を去り、私と店だけが残された。
私は、だからこの店を、夫との間にできた子供のように思い、一生懸命に切り盛りして来たのだ。
その中に、一人の学生が、いつからだったろう。常連になっていた。大学生だった彼は、毎日、毎日、通っては、私に日々の出来事を話してくれた。いつしか、大学生は社会人になり、そうして、結婚した。
それは、本当に偶然だった。
店がもうとっくに終わった時間。
私は、てっきり表を閉めたと思って、グラスを傾けていた。夫の命日だった。正直、寂しくてどうしようもない夜が続いていて、私は悲しくてしかたがなかった。
彼が入って来て、泣いている私を見て、驚いて。
そうして、私は次の瞬間抱き締められていた。
十二も年上なのに。
私は、彼の腕でつぶやいた。
「ずっと好きだった。」 彼は、私を強く抱き締めた。
なぜだろう。あの時、どうして拒まなかったのだろう?
だけど、遅かった。私は、その日から、彼を待つようになった。新婚の奥さんに心の中で詫びながら。
彼が何かを言ったわけではない。
その匿名と名乗る男の電話が、恋人の妻が病気で入院した事を告げた時、私は、恋人との別れを決意した。彼が泣いて私を抱いてきても、私は首を振り続けた。彼が来なくなった時、私はつわりの口を抑えて、初めて洗面所で泣いた。
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ある日。
珍しく立て続けに客が出入りし、その違和感を頭の隅に追いやって、私は忙しく働いた。
ようやく落ちついた時間に、その違和感の理由に気付く。
老人が来ない。
次の日も。
また、次の日も。
一週間が過ぎても、変わらず、老人は来なかった。
私は、小さな不安を抱えて、その夜も店を閉めようとした、その時。少し痩せた老人が、すっと姿を現したから。私はびっくりして、老人を招き入れた。
「どうなさったの?」 私は、老人にコーヒーを出し、自分は煙草の火を点けた。
「来られない事情があってね。」 老人の声は、弱々しくかすれていた。
「心配したわ。」 「そうか。」 「いつも来るお客さんは、みんな家族みたいなものですもの。」 「こんな私でも?」 「もちろん。」
ましてや、毎日欠かさず来てくれていたとなれば。
「あんたを憎んでいた。」 老人は、絞り出すように言った。
「そう・・・。」 私は、何と答えていいか分からなかった。
「息子を殺したのは、あんただから。」 「殺した?」 「ああ。」 「まさか、彼の?」 「そうだ。あの後、嫁は出て行って、あんたに捨てられてた息子は自殺してしまった。」 「あの人が死んだ?」 「そうだ。」
私が最後に愛した男。愛しい一人息子の父親。学生の頃からずっと通ってくれて、私はただ彼が私の入れたコーヒーを飲んで見せてくれる笑顔だけが、欲しいものだった。
「だから、あんたを憎んで。どんな女か見てやろうと思って。」 「だから、この店に毎日来てたのね。」 「ああ。息子が何を思って、ここに通い続けたか、あんたのどこを愛し、どこを憎んだか、全部知りたくてね。」 「そう・・・。」 「随分と長い時間を使ってしまった。」 「本当にね。で?何が分かった?」 「全部分かってしまったら、ここに来る理由は無くなる。」 「じゃあ、もう、全部分かっちゃったんだ?」 「そうだな。」
私は、煙草をもう一本取り出す。
「良かったら,教えてくれる?何が分かったか。」 「あんたをずっと憎んでいた。」 「・・・。」 「殺したいぐらい。どうやって殺したらいいかと。そんな事も考えていた。」 「・・・。」 「一人の少年を見た。息子に良く似ていた。とてもいい子だった。」 「・・・。」 「素晴らしい母親に育てられた子供だけが見せる笑顔を持っていた。」
私は、顔を見られたくなくて、立ち上がり、 「お酒になさる?」 と、訊いた。
「そうだな。」 老人は、答えた。
私は、グラスを二つ出して来た。
「なあ。ずっとずっと、一つのところにいるということは、愛とよく似た行為だと思わんかね。」
私は震える手で、濃い液体を注ぐ。
「ずっと、あんたを憎んでると思ってた。先週まではな。」 老人は、静かに言った。
「だが、事情があって来られなくなった時、初めて思ったよ。長い長い間、私がここに足を運んだ理由が。」 「なんですの?」 「息子が愛した女と、息子によく似た少年をずっと見ていたかったんだな。」
私は、老人が、酒を飲んで、次の言葉を言うのを待った。
「なあ。ずっとここにいたいと思ったんだ。そういうのを愛というんだと、なんだか急に気付いてね。」
私は、老人の乾いた手に、自分の手を重ねる。
「また、明日から毎日いらしてくださる?」 「ああ。来るよ。」
私もまた、長い長い間抱えていた感情がオセロゲームのように引っくり返って行くのを感じた。
老人は、 「今日はもう疲れた。そろそろ帰るよ。」 と。
「また、明日、ね。絶対よ。」
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次の日も、いつもの時間、あの席は空いたまま。
「ねえ。ここにいつも来てたおじいちゃんがいたじゃない?」 おしゃべり好きの知人が、いつものように噂話を始める。
「あのおじいちゃんさあ。隣町から毎日通ってたみたいよ。でね。先週、急に心臓の発作で倒れて、意識不明だったんだけどさ。昨日、夜、亡くなったみたい。」 「へえ。」 「偶然ね。知ってる人が教えてくれて、で、このお店に来てたおじいちゃんのことだって分かったから、すごくびっくりしてさあ。」
私は、洗い物が忙しくて、顔を上げられない。
「なんだか、いなくなると寂しいわねえ。」 友人は、しみじみとした口調でそんな事を言う。
「いるわよ。」 私は、答える。
「え?」 友人が素っ頓狂な声を出す。
「ねえ。母さん。」 その時、夏休み中の息子が、いきなり飛び込んで来る。
「こら。表から入るなって言ったでしょう?」 私は、息子をにらむ。
息子は、笑えるぐらい、陽に焼けて。
おじいちゃんが見てるわよ。お行儀悪い。
そうつぶやいて、空の席にうなずいて見せる。
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