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セクサロイドは眠らない
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| 2002年07月18日(木) |
こういうこと初めてなの、ずっと好きだったの、と震える体を僕はそっと抱き締めた。僕らは、そこで幸福だった。 |
その最中、僕ら四人はカラオケをしていた。
そこに集まっていたのは、同じ会社の同僚達。美しい男と、美しい女。そして、平凡な女と、平凡な男であるところの僕。
美しい男であるサトルは、なぜか入社した頃から僕に興味を持ち、いろいろと話し掛けてくるようになった。そうして、美しい女であるところのアサコと、平凡な女であるところのヒロミを連れて僕のところに遊びに来たというわけ。
ここは、シェルター。二ヶ月前に亡くなった親父は、借金と一緒に道楽で作ったシェルターを残してくれた。三年は充分に暮らせるだけの食料や燃料。それから、カラオケルーム。
その事をふと、サトルに漏らしたところ、サトルは大いに興味を持ったのだ。
二人の女は、当然、サトルの美貌に釘付けだろう。僕は、サトルのおこぼれに預かれたら光栄というわけだ。
はしゃぐ三人を見ながら、僕はボンヤリと水割りを。そう、昼間から水割りを。
その時だ。激しい振動と、地響き。
「何?ねえ。何なのよ。」 アサコが悲鳴を上げる。
「外、見てくるよ。」 サトルが立ち上がる。
「まあ、待てって。」 僕も急いでグラスを置くと、奥のコントロールルームに行く。
そうして、万事休すという顔で、皆のところに戻る。 「外には出るな。空気汚染が激しい。」
「何が起こったの?」 ヒロミが泣きそうな声で聞く。
僕は首を振る。 「分からない。」
サトルはイライラと歩き回る。
「まあ、落ち着けよ。」 「これが落ち着いていられるかよ。」 「とにかく、ここで一年ぐらいは何とか暮らせるからさあ。」 「じゃ、その後は?助かるかどうか分からないのに、ここでわずかな希望を持って生きていけと?」 「じゃあ、ここを出て行けばいい。」
アサコが慌てて取り成す。 「ね。ここはイチロウさんの言うことを信じたほうがいいんじゃない?」
サトルは、不機嫌な顔で、座り込む。
「こういう時は、精神的な消耗が一番怖いんだ。だから、無駄な争いは避けたい。一つ言っておけば、このシェルターの細部まで知っているのは僕だ。僕に何かあったら、きみ達は非常に困る事になると思う。」 「おいおい、脅しかよ。」
普段は気のいいサトルだが、こういう局面では自己本意な行動が目立つのは困ったものだ。
「私、イチロウさんがリーダーでいいと思うわ。」 アサコがすかさず言う。さすが。どちらに付いたほうが自分に有利か見抜く事ができるのは、こういった女の得意技だ。
「ヒロミさんは?」 僕は問う。
「それでいいと思う。」 静かな返事。
サトルは、部屋を出て行った。隣のベッドルームに行ったのだろう。
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外の情報が何も分からないままに、一夜が過ぎ、その次も。また、その次も。
次第に苛立ちが募って来る。
娯楽といっても、テレビもラジオも、ましてやインターネットもない。
親父が残したのは、囲碁の本やら、釣りの本ばかりだった。
「俺、出るよ。ここ。どうせ、ここで死ぬか、外出て死ぬかの違いだろ。だったら、外に出る。」 サトルが言い出した時は、皆がホッとした顔をした。
サトルの子供っぽい言動は、我慢の限界を超えていたし、サトルが出て安全なら、その事を我々に伝えに戻ってくれるだろうし。
サトルは、そうして、出て行った。
「ね。帰って来るかしら?」 「さあね。」 我々は、サトルが戻って来る事を待ち続けた。だが、結局一週間しても二週間しても、サトルは戻って来なかった。
「あいつ、裏切ったのね。」 アサコが叫ぶ。
「分からないだろう。出た途端死んじゃったかも。外の汚染は、まだ相当激しいみたいだから。」 そんな事を言ってなだめる僕のそばで、ヒロミは黙って、紙に日付を刻み、日々の記録を書き付けている。
サトルが出て行った今、今度はアサコの苛立ちが気になり始めた。僕が無関心を装う。美しい女のプライドを傷付けるのは簡単だ。その美しさを無視すればいい。
「ねえ。イチロウさん。今夜お話したい事があるの。」 アサコは、ついに痺れを切らして色仕掛けで迫って来た。
僕は、耐えた。もちろん、僕は普通の男だ。こんな狭いところで女性二人と暮らしていたら、何も感じないほうがおかしい。だが、僕はいろんな事が怖かったのだ。バランスが崩れること。ヒロミの眼鏡の奥の静かな眼差し。ここを出た後の、僕の運命。
結局、今度はアサコが出て行くと言い出した。
「仕方ないね。」 僕は、相変わらず興味の薄い声で、返事をした。
そうして、アサコは出て行った。
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「二人きりになってしまった。」 僕は、ヒロミに向かって言った。
「ええ。」 「きみも出て行きたいかい?」 「いいえ。あの二人ほど、人生に対して希望を持ってるわけじゃないから。むしろ、ここのほうが居心地いいぐらいよ。」
僕は、ヒロミの言葉にハッとする。
そうだ。僕が平静でいられるのは、ここの居心地の良さのせいかもしれない。少なくとも、ここにいれば、僕は平凡な男である事を恥じることなく生きていられる。むしろ、他の人間をコントロールできる立場にあるのだ。
ヒロミは、僕を見る。
僕もヒロミを見る。
「ねえ。抱いて。」 ヒロミが、初めて、その瞳に隠した感情をあらわにした。僕は、うなずいて。
その、母親の体内のように狭い空間で、僕らは初めて交わった。
「私で、いい?」 ヒロミは、恥かしそうに言った。
「きみがいい。とても綺麗だ。」 他に比べる対象がいないその場所で、僕らは、お互いを最高に美しいと認め合って。
こういうこと初めてなの、ずっと好きだったの、と震える体を僕はそっと抱き締めた。
僕らは、そこで幸福だった。このまま、二人で手に手を取って、あと何ヶ月したら訪れるかもしれない死を待つ事が、僕には少しも怖くなかったのだ。
だが、そんな日は、あっさりと終わりを告げた。
シェルターは外からこじ開けられ、誰かが世界が核に汚染されていない事を告げるために僕らのシェルターに侵入して来たのだ。そうだ。まったくもって、それは侵入だった。
僕らは、事情を聞き、世界が無事である事を。地震のせいで、空気汚染を測るメーターが壊れてしまった事を、知った。
「助かったのね。」 ヒロミが喜びのあまり涙ぐんでいる。
なあ。ヒロミ。いいのか?僕ら、こここそが幸せになれる場所じゃなかったのか?
僕は、なぜかむしょうに腹が立ち、それから、そこを出る事への恐怖が襲って来た。
「駄目だ。出たくない。」 「何言ってるのよ。イチロウさん。」 「ここを出てしまったら、僕は平凡な男だ。きみもきっと去ってしまう。だから、僕はここに残る。」 「そんなの、嫌よ。お願い。一緒に行きましょう。」
全く情けない事だが、僕は足がすくんで動けなかった。駄目だ。絶対に。核爆発も起こってなかったのに、シェルターで震えていた人間を、きっと他人は笑うだろう。
「そんなに平凡が怖い?」 ヒロミが問う。
「ね。私の目を見て。私の目、誰が映ってる?ねえ。私の目は、世界中を映す事はできないの。今、目の前にいる人しか。そうじゃない?」 「・・・。」 「それに、あなただってそうよ。ここを出たら、幾らでも美しい人に会えるもの。私を捨てないと言える保証がどこにあるかしら?」
そうだ。僕は、心のシェルターにこもって。そうして、怖がっていて。
僕は、ヒロミの手を取る。
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それから数年後。
僕とヒロミは結婚して、可愛い赤ちゃんを。
結局、つまらない心配は必要なかった。僕は、ヒロミを。ヒロミは、僕を。それは、どこに行っても変わらない真実だったのだ。
時折、僕は夢を。
ヒロミが、僕を置いてシェルターから出て行く夢を。
僕は、悲鳴を上げて。
そうして、飛び起きて、そこにいるヒロミを見て、抱き締める。
「ねえ。私達、誰もがシェルターの中で、外の様子も分からずに震えているのは同じだと思うの。」 彼女は、そうささやく。
僕は彼女の強さを愛する。
「大きくなったら、息子とシェルターを作ろうと思うんだ。」 僕は、冗談混じりに言う。
「素敵じゃない。できれば、今度は、カラオケなんか要らないから、インターネットに接続できるようにしてね。」 彼女は笑う。
息子は、きょとんとして。そして、僕らを交互に見ながら一緒になって嬉しそうに笑う。
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