セクサロイドは眠らない

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2002年07月09日(火) その一言で、僕は完全にたがが外れたようになってしまった。彼女が悲鳴を上げた気がするけれど。

大学に入って初めて付き合った女の子の事を、僕はよく覚えていない。

覚えていない、というのは、本当は正しくないのだけれども。

耳。

彼女は、耳。

随分と変な言い方なのだけれども。

とても綺麗な子だった。黒い真っ直ぐな髪が肩まで落ちていて。無口な子だった。

きっかけは何だったのか分からない。多分、学祭の準備とかで、サークルボックスで二人きりになった時が多かったから、とか。そんな感じでいつの間にか付き合い始めたのだと思う。

初めて抱き合った時は、僕も初めてで、どうしていいか分からず。ただ、不器用に彼女の体を撫で回していただけだった。僕は、彼女の長い髪を手で梳いて。その耳に口づけようとした時。僕ははっと息を飲んだ。

耳たぶが奇妙に変形していたから。

「変・・・、でしょう?」
彼女は、僕の手が止まった事に気付いて、そう言った。

「いや。素敵だ。」
僕は、なぜかその耳にひどく欲情して、耳たぶをそっと口に含んだ。

彼女がかすかに喘いだ。

僕は、耳たぶを舌で転がしながら、もう、それだけで頭がおかしくなりそうなぐらいに興奮していた。

「ねえ・・・。」
「ん?」
「お願い・・・。耳を。」
「耳?いいの?耳が?」
「噛んで。」

その一言で、僕は完全にたがが外れたようになってしまった。彼女が悲鳴を上げた気がするけれど。僕は、彼女の耳に歯を立てる。

人の耳って、案外固いんだ。

そんなことを思いながら。

舌で、歯で、彼女の耳を味わいながら。

僕は、彼女の悲鳴と同時に達していた。

--

それが最初のセックスで。

それからも、僕は彼女の耳を見ると、どうしようもない感覚に襲われる。「何か」を我慢できなくなる感じ。彼女をめちゃくちゃにしたくなる衝動。

--

ああ。何であの頃、気付かなかったのだろう。

いろんな事。

彼女の事。

彼女の耳の向こうにある、悲しみとか。

だけど、僕の前にはいつも彼女の耳があって。奇妙な形の耳たぶ。僕は、そこから先、彼女に踏み込めなくなって。

ただ、セックスを。

彼女だって、それを望んでいた筈だ。それは、若さゆえの、身勝手な解釈なんだろうか?

--

僕は、三年ばかり付き合って、その後、彼女と別れた。

付き合い始めた時と同じように、別れた理由が思い出せない。なんだったのだろう?些細な喧嘩?ダメだ。思い出せない。

それから、数年して、僕は社会人となり、新しい恋人を作った。今度の恋人は、ショートカットで、とても魅力的な耳をしていた。彼女がこんな素敵な耳をしていなければ、きっと、僕は彼女に気付かず通り過ぎていたであろう程の、凛とした耳。

「素敵な耳だ。」
と、僕は彼女を初めて口説いた夜に、言った。

「あら。ありがとう。実はね。ちょっとコンプレックスだったの。随分と目立つ耳でしょう?ピアスだって、恥ずかしくて付けられないのよ。」
「そのままがいい。ピアスなんかしないほうが、ずっと。耳そのものが素敵な装飾だ。」

僕は、その夜、彼女を抱いて、耳に優しく口づける。素晴らしい耳に敬意すら抱いて。

けれども、噛んだりはしなかった。

そういう類の耳ではなかったのだ。

そう。違う魅力。全く違う。

--

僕と彼女は、皆に祝福されて、結婚した。

僕は、すっかり幸福で。

彼女は、仕事を辞め、いつも僕の帰りを待ってくれる存在となった。本当に本当に幸福だった。

その幸福は、僕らの可愛い赤ちゃんが彼女のお腹に宿って、さらに増した。

「ねえ。私、髪、伸ばそうかしら?」
彼女が、赤ちゃんの靴下を編みながら、そんなことを言う。

「駄目だよ。絶対に、駄目。きみのその耳を隠したりしたら、僕、浮気するからね。」
「まあ。嫌な人。」
そんなことも、幸福の絶頂では、他愛ない冗談。

僕らは、産まれてくる赤ちゃんを思いながら、毎晩手を繋いで眠った。

--

そうして、待ちに待った、その日。

僕は、仕事中に電話を受けて、病院まで掛け付けた。

「おめでとうございます。女の赤ちゃんですよ。」
看護婦さんが笑いかけてくれる。

僕は、妻のそばに寝かせられている赤ちゃんを覗き込む。

そうして。

その素晴らしい耳を。

そう。

耳だ。

これは?

この耳は?

これは、妻譲りの耳じゃない。

この耳は、あの女の子の。あの耳だ。名前すら、もう忘れていた。

僕は、驚いて後ずさる。

「私の耳と似なくて良かったわ。」
妻がそんなことを言っている。

僕は、ろくに返事もできない。

つまらない妄想だよ、と思いながら。

もちろん、目の前の耳たぶは、ふっくらと張っていて、奇形なんかじゃない。きれいな、つややかな。そう、口に含みたくなるような。

思い出したんだ。

あの日。

大学三年の夏。

あんなにあの子が嫌がったのに、僕は、彼女の家を探し当てて。海に誘いたかったんだ。免許を取って、父親の車を借りて。だから、びっくりさせてやろうと。

あの子の家では、父親が出て来て。

「上がって待っててください。」
と言った。

父親は、酒でドロリとした目をして。

それから、僕にニヤリとして言った。
「うちの娘ね。耳がいいでしょう。耳が。誘ってくるんですよね。ね。あんたもそう思うでしょう?」

狂ってる・・・?

僕は、背筋がぞっとして。

それから、家を飛び出して。どこをどう走ったか。それっきり、僕は、あの子に会おうとしなかった。僕は、彼女を一方的に捨ててしまったのだ。

彼女の悲しみが。彼女の耳が。

追い駆けて来たのだと、その瞬間。


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