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セクサロイドは眠らない
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| 2002年07月05日(金) |
その時ふと、夫の帰宅が最近遅いことやら、疲れているのを理由にほとんど抱いてくれなくなったことを思い出す。 |
私は幸福だった。素晴らしい人と結婚出来て。
やさしくて、人望があって、背も高い。仕事もできるし、スポーツだって万能だ。
そんな人と結婚できて夢のようだった。
唯一、不満があるとすれば、彼の兄だった。
陰気で、夫とさして年齢が変わらないのに、幼い頃に大病を患ったとかで、随分と老けて見える。少し背の曲がった小柄な男に、見上げるような目で話し掛けられるとぞっとするのだった。
だが、夫は、やさしい人なのだ。そんな兄を慕い、大事に思っている。老いた両親と一緒に暮らしていることにも感謝している。だから、私も、夫の前で夫の兄の悪口など決して言えるものではなかった。
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今日も、夫が仕事に出掛けたのを見計らうようにして、義兄が訪ねて来る。
「あら。お兄さん。」 「ああ。ヤスエさん。ちょっといいかな。」 「え・・・。ええ。」 「これ、ね。うちの母から。佃煮を作ったから、持って行ってくれって言われてね。」 「まあ、いつもすみません。」
私は、お茶を出して、受け取った器を冷蔵庫にしまう。すると、もう、お互いに話すこともなくて、沈黙してしまう。私は、同じ部屋に義兄がいると思うだけで、身震いするほどに気味が悪い。背を向けていても、じっとりと視線が貼り付いているようで、落ち着かない。
当たり障りのない会話を二言三言続けた後で、義兄が 「じゃあ。」 と立ち上がるまで、イライラして時間が過ぎるのを待つ。
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「ねえ。あなた。」 疲れて帰って来ている夫に、私は我慢できずに話し掛ける。
「なんだ?」 「お兄さんのことなんですけど。」 「どうしたの?」 「今日も、佃煮持って来てくださったんですけどね。」 「ああ。お袋の手製だろ。うまいぞ。」 「あの。たびたび足を運んでくださるのも申し訳ないと思って。」 「いいじゃないか。あんな体だろ?滅多に出掛けることもなかったんだよ。最近じゃ、随分元気が出たみたいだってお袋も喜んでるしさ。」
夫は、とことん明るい笑顔で、私に言って。それから、私の背後から腕を回して来て、「な。僕の一人の兄弟なんだよ。」と言われたら、私は黙ってうなずくしかない。
「おいでよ。」 夫が、ベッドに誘ってくる。
私は、その話はもう終わったのだと悟って、仕方なく寝室に向かう。
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翌週も、また、義兄が訪ねて来た。
今度は、蘭の鉢植えを持って。
「これ。」 「まあ。綺麗。お兄さんが育ててらっしゃるの?」 「ええ。まあね。趣味と言ったら、これぐらいのものです。」
それから、小一時間ほど。蘭の手入れの説明やら、花の自慢話をすると、義兄は帰って行った。
私は、溜め息をついて。それでも、ピンク色の愛らしい花に罪はない。
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夫は、帰宅が遅くなるから先に寝ておくように、と電話をして来る。
最近、仕事が忙しいので、ろくに会話をしていない。
寂しくて涙が出そうになる。
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私は、何かどす黒い夢を。私は、泣き叫んでいる。
どうして、こんなことを?
と。誰かに向かって。
そこで、目を覚ます。
夫の心配そうな顔。 「どうしたの?怖い夢?」
汗びっしょりの私は、首を振る。 「覚えてないの。」 「そう?随分うなされていた。」
なんだったのだろう。
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次の夜も。
また次の夜も。
私が悲鳴を上げて起きるから。
夫は心配して、夢の内容を記録して、ちゃんと専門の場所に相談しに行こう、と言う。
私は、うなずく。
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次の夜。
そこは、知らない女の部屋。私は、ただ、そこに、体はなくて。だけど、部屋の様子が手に取るように見える。女は、ふっくらとした体つきで。顔は見えない。何やら手料理のようなものを並べている。
そこに夫が入って来る。
女はいそいそと、夫の手から上着を受け取り、ハンガーに掛ける。
夫と女は、笑いながら、女と向かい合って座る。
私はその瞬間叫ぶ。 「ひどいわ。いつも遅いって言って、こんな女のところに寄っていたのね。どうして、こんなことを?」
その瞬間、目が覚める。
夫が私の手を握っている。 「どんな夢だった?」
私は、首を振る。 「覚えてないの。」
「そうか・・・。」 夫は、心配そうに私を見ている。
私は、その時ふと、夫の帰宅が最近遅いことやら、疲れているのを理由にほとんど抱いてくれなくなったことを思い出す。
なんて嫌な想像。嫌な夢。私、どうかしてる。
私は夫に寄り添って眠る。
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相変わらず、義兄は、週に一度はやって来る。 「蘭は、どうかと思いましてね。」
ああ。そうか。蘭の鉢植えは、うちを訪ねる口実なのね。と、私は意地悪く思う。 「枯れてませんわ。大丈夫。」 「ならいいんですがね。あれは、それなりに難しい花でして。」 「この前聞いたとおりにしてますから。」 「なら、いいんですけど。」 「寝室においてるんですが、持って来ましょうか?」
寝室に入られてはかなわないと、私は、慌てて言う。
「いや。結構。結構。大丈夫ですよ。ちゃんと分かる。花が泣いてたらね。ここの花は喜んでる風だ。分かります。」 そう言って、義兄は、そそくさと帰って行った。
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その夜も、夫の帰宅は遅く、私は嫌な夢を。
夫が、女の肩に手を回し、胸に顔をうずめている夢を。
夢の中で、私の声は夫に届かないのだ。私は、泣いて。だけど、夫は笑っている。その女と。
そうして、誰もいない我が家へ戻る。
義兄が、いつの間にかキッチンにちょこんと座っている。 「申し訳ない。あれは、ああいう男なんです。」
泣いている私に、義兄はそう声を掛けて。私は、不思議と、義兄のことが嫌ではなかった。むしろ、この広い家で一人きりでいるのが嫌で、義兄のそばで泣いていた。しなびた腕が私の腕をさすっている。蘭の花の香りがあたり一面、立ち昇る。
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夫が、その日のうちに帰って来ることは、ほとんどなくなった。
私は、夜、誘われるように眠りに落ちては夢を見る。
女と夫が。
振り返る女を見て、私はまた、驚く。
その女は、夫の母親だった。
私はぞっとして。
倒れそうになった瞬間、誰かに支えられる。義兄の腕だ。義兄の腕は、小柄な体に似合わず力強くて。私は、腕にしがみついて泣く。
その瞬間、夫が私を揺すっているので、目が覚める。
私は、目覚めてもまだ、泣いていて。
夫は、私を抱き締めて。
「あの花よ。あの蘭の花。あれを壊しちゃって。」 「何言ってるんだよ。」 「ねえ。お願い。」 「分かった。」
夫が、部屋の外で鉢を壊す音を聞いて。私はまだ、放心状態で。
夫が戻って来て、言う。 「きみの言うとおりにしたよ。」
私は、涙が止まらずに。 「あなた、ごめんなさい。もう、我慢できないの。許して。」 「何言ってるんだよ。夢のせいだよ。何もかも。」 「お兄さんが怖い。この夢だって。」 「馬鹿だな。」 「助けて。あなたしかいないのに。ねえ。どこかに引っ越しましょうよ。お兄さんが来ない遠くに。」 「落ち着けよ。大体、あの兄を嫌うなんておかしいよ。兄さんは、僕にとってかけがえのない人なんだよ。兄さんは、きみを愛してる。」 「どういうこと?」 「僕は、きみを、兄さんと共有してもいいと思ってるんだ。だから、最近じゃ、兄さんに頼まれて、遅く帰宅して。」 「なに?何言ってるのか分からない。あなた達、狂ってるの?どうして、私を誰かと共有なんてできるわけ?」 「落ち着けよ。落ち着けったら。」
私は、何か薬を飲まされて、意識が朦朧として来る。
夫が誰かと電話をしている。 「ああ。大丈夫。鉢?ああ。無事だ。花は無事だよ。」
そうか。まだ、蘭は無事なんだ。これはまだ、全部蘭が見せる夢の中で。
目が覚めたら、私はきっと、健全で明るい素敵な夫に抱かれて目覚めるのだわ。
そんなことを思いつつ、眠りに引き込まれる。
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