セクサロイドは眠らない

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2002年07月03日(水) 「私は、もう、子供も産めないの。」「欲しかったの?」「そりゃ、ね。恋人とも別れることになっちゃったし。」

僕は、ある日突然に皮膚病にかかった。

体中が痒いのである。

最初は、虫さされかな、と思い、仕事中にボリボリと掻いていたのだが、掻けば掻くだけ、なおも痒くなり、止まらなくなる。そうして、気付けば、血がにじむほどに掻いてしまっている。

これではとても仕事に集中できない。

困って、近所の医者に見てもらう。

「うーん。とりあえず、ステロイド剤出しておきますから。」
と言われて、はっきりした病名ももらえず帰宅する。

だが、塗り薬など役に立たない。

酒を飲んでも、風呂に入っても、体中が赤くなり痒くなるようになった。眠っている間も掻きむしっているのだろう。朝になると、パジャマやシーツにべっとりと血がついていることがあった。

今度は別の医者に行く。

「かゆみ止め、出しておきますから。」
と言う。

「あの。原因は?」
「よく分からないですねえ。アレルギー反応も出てませんしね。ま、気長に治しましょう。」

それでは困るのだ。

まだ、そんなに目立つわけではないが、体のあちこちにかさぶたが出来、仕事に集中できなくなり、始終イライラするようになった。

ついには、仕事を休みがちになった。

夜、電話が掛かって来ても、出られない。多分、恋人だからだろう。何度も何度も。イライラして、ジャックを抜く。携帯の電源も切る。

たかが、痒いぐらいで、と、周囲の理解を得られないのも辛い。

病院を転々とする。

たいした診察はしてもらえず、寝る時服用するかゆみ止めと、塗り薬をもらうぐらいだ。

一体どうしたんだろう。

深夜、いろんな病気の子供のドキュメンタリー番組を見て涙ぐむ。それは、子供が可哀想だからではない。あんな風に親身になって一緒に治療に励んでくれる親のような存在が僕にはいないから。

僕は、深夜、暗い気持ちで一人ひざを抱える。

まったくの健康体なのに、皮膚一枚が、僕の人生を台無しにするのだ。

--

その薬局は、どうやら、漢方薬やら、いろいろなものを扱っているらしい。

「これはいけませんね。」
白衣を着た男が言う。

僕は、はっとして、男を見る。
「原因、分かるんですか?」
「原因までは分かりませんが、いい薬があるんですよ。」

男は黒いビンに入った塗り薬を取り出す。

「僕みたいな人間、他にいるんですか?」
「そりゃあもう。いますよ。大人は大変ですからね。仕事をしていかないと食べていかれない。体が痒いのなんのって、いちいち有給を消化するわけにもいかない。」
「そう。そうなんですよ。」
「ですが、あなたみたいな人は確実にいます。ですから、この薬、ね。よおく、塗ってくださいね。皮膚の表面から少し入ったところに吸収されることで効果が出ますからね。」
「ありがとうございます。」

僕は頭を下げる。

僕は、その薬局で、まずは親身になって話を聞いてもらえたことが何より嬉しかったのだ。

早速、帰宅して薬を塗る。ヒリヒリとした痛みがあるが、逆にそれは、効果があるように思われて嬉しくなり、せっせと塗る。

僕は、かゆみから少しずつ解放されて行くのを感じた。

--

町を歩いていると、一人の女性が。はっと顔を上げて、僕の腕を見る。

「ねえ。あなた。」
彼女の表情に驚いて、僕は足を止める。

「はい?」
「その腕。」
「ええ。そうなんです。治療中でね。」

すっかり黒ずんでしまった、その腕。皮膚は、いろいろなものを感じなくなっている。

「ねえ。時間、ある?ちょっとお話したいの。」
「いいですけど。」

僕は、投げやりに答える。

「うちに来てもらえると一番いいのだけど。ああ。どうしよう。」
「いいですよ。どこにでも付き合います。」

僕は、本当にもう、いろんなものを失っていたから。あの薬を塗り続けた僕の皮膚の一部は、黒く固くなって。すっかり死んでしまっていた。会社も辞めた。恋人とも別れた。

あの薬局を探したけれども、もう、どこにもなかった。

薬の箱に書いてある電話番号は、使われていないものだった。

なんてことだろう。

だが、取り敢えず、かゆみから解放されただけでも良かったのか。

--

「ねえ。どこまでやられているの。見せて。」
彼女は、僕の腕を。それから、シャツを脱ぐように言って、体全体を。

「ああ・・・。ひどい。」
彼女は、はらはらと涙を。

「ねえ。見てくれる?」
彼女はそう言って、服を脱ぎ始める。

すっかり服を脱いだ彼女の、服に覆われていた部分の皮膚は真っ黒で。
「ね。私もよ。私も、こんな姿に。」
「どうして・・・?」
「あの薬のせいよ。あの薬は、皮膚の表面を焼いてしまうの。だけど、あのかゆみは、虫のせいなのよ。虫がね。皮膚の下で動くからかゆいの。あの薬での治療は間違いだったのよ。もっとも、皮膚の大半が薬でやられたら、虫は逃げ出しちゃうんだけどね。」

僕は、彼女のすっかり固くなった、銅像のような胸に触る。

「ねえ。何も感じないの。」
彼女は、つぶやく。

「可哀想に。」
「あなたこそ。」
「ずっと一人で?」
「いいえ。薬の成分を調べて。それから、同じような被害にあった人を探しているのよ。」
「他にも多いの?」
「多いわ。可哀想なのは、子供ね。それから、顔がやられちゃった女性とか。」
「ひどいものだな・・・。全然知らなかったよ。」
「私は、もう、子供も産めないの。」
「欲しかったの?」
「そりゃ、ね。恋人とも別れることになっちゃったし。」
「僕も、恋人と別れた。」
「そう・・・。」

だけど、そんなことで、僕らは抱き合ったりしなかった。

彼女は、多分この先ずっと、同じ被害を受けた人々のために闘うのだろう。

だけど、僕は?

そんなことをして、失ったものは戻らない。人の冷たい視線で受けた傷も癒えない。

「一緒に、やらない?」
彼女の誘いに首を振って。

僕は、家に向かう。

--

「ただいま。」
「お帰り、父さん。」

その、全身真っ黒の子供は、にっこりと笑って。目がきらきらして。

「遅くなってごめんよ。」
僕はその子を抱き締める。

この家で、誰にも邪魔されずに生きて行きたい。

あの日、雨の中で見つけた子供と一緒に。子供がどこから来たのかは分からない。だけど、僕らは、地球上の唯二人の人間のように見つけ合って、一緒に暮らすことにしたのだから。

今更、どこかの誰かへの怒りを糧に、何かをしようとは思わない。

欲しいのは、平穏で、偏見のない、日々。


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