セクサロイドは眠らない

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2002年06月25日(火) そうやったら、本当に人形が生きて、「おかあさん。」とでも答えてくれると信じているかのように。

僕は、今日も、ここから外が良く見えるように、ウィンドウのガラスを磨く。

外を歩く一人の婦人が、目をとめて、こちらを覗き込む。それから、連れの別の婦人と言葉を交わし、中に入って来る。

「どれも素敵なお人形ねえ。」
「ええ。ゆっくりご覧になってください。」
「ね。今にも動き出しそうよ。」

その婦人は、人形を一体一体取り上げては、話し掛けてみたり。連れの女性に、あれこれとささやいたり。

「ここのお人形、お値段ついてないわね。お幾らぐらいなの?」
「申し訳ございません。この人形は、どれも売り物ではないんです。」
「まあ。そう。なんて・・・。ああ。ごめんなさいね。なんだか、どの子も可愛らしくて。是非、うちにも一人、って思ったのよ。」
「お客様が謝ることではないです。悪いのはこちらですから。表にはCLOSEDのふだを掛けていたのですが、少し見えにくかったですね。」
「まあ、そうでしたの。嫌だわ。私ったら、お人形さん達を見て興奮してしまって、お店が閉まってるかどうかも確かめずに飛び込んでしまったわ。」
「人形達にも外を見せてやりたくて。」
「そうね。そうよね。」
「この子達、話し掛けられるのも大好きなんですよ。」
「分かるわ。今にも笑い出しそうな口元。ね。こんなに可愛いから、売りたくないのね。」
「ええ。まあ。僕の子供達ですから。」
「あら。男性でそんな風におっしゃるのって、変わってるわねえ。」
「もとは、全部妻のコレクションなんです。」
「そうなの。奥さんは?」
「育児に追われますよ。」
「そう。そうよね。本当の子供のほうが可愛いに決まってるわ。うちの孫もね・・・。」

婦人が連れの女性と楽しそうに話し始めるのを黙ってにこにこと聞きながらも、目は、僕の子供達を。

大丈夫だよ。誰一人、どこにもやらないから。

僕は、そっと目配せをする。

「ねえ。もし、この素敵なコレクションを誰かに譲りたいって思ったら、いつでも連絡くださいな。少々高くても、このお店丸々買い取るぐらいのことはできますから。」
婦人は、連れの女性に命じて、メモ用紙に連絡先を書かせる。

僕は、連絡先の紙を黙って受け取ると、二人のご婦人を、店の外まで送り出す。

外は曇って来たようだ。雨がウィンドウに線を描く。

今日は誰も来ないだろう。だから、人形達と静かに過ごそう。僕は、お茶を。それから、一人じゃ食べきれないほどのクッキーを皿に。

僕は、人形達から見えるようにして、先ほどの婦人が置いていった紙を破ってみせる。

--

以前、僕がまだ、人形に話し掛けることができないでいた頃。妻は、人形作家だった。テレビで、人形制作の模様が放映されてから、妻の作る人形は爆発的な人気を得て、僕は、妻の人形を客に売るのが仕事になった。

それまで貧しかった僕らは、多額の収入を得るようになり、生活は安定した。

だが、僕らは多忙過ぎた。

会話もあまりなくなった。

そんなある日、妻の妊娠が分かった。僕達は大喜びした。人形が売れるまでは、あまりにも貧しいせいで、子供を持つことをあきらめていたから。

それなのに。

僕は、妻がつわりで苦しんでいる時も、人形を作ることを強要し、注文を受け続けた。

そのせいかどうか。

子供は死産だった。

妻は、自分を責めた。僕も自分を責めた。それから、僕は人形を責めた。黙って冷ややかな顔をしている人形達。お前達が赤ちゃんが我が家に来るのを邪魔したんだな。もちろん、そんなものは、ただの言い掛かりだったのだが。

--

一年間、床に伏せっていた妻は、起きて人形作りを始めた。

「もう、人形はいいじゃないか。」
そんな僕の言葉に耳を貸さず。

妻は、一体一体、丹精込めて。最初の一体は、以前作っていたのとは比べ物にならないほどに活き活きとした表情をしていて。

それを僕に見せた時、こう言ったのをよく覚えている。

「ね?私達の赤ちゃん、きっとこんな風だったわ。」
優しく微笑んで。

僕も、その出来の素晴らしさに驚いて、早速、以前から妻の人形を好んでくれていた人々に連絡を取ろうとすると、妻は、言った。
「駄目よ。この子は、私達の子供ですもの。売っちゃ、駄目。」

それだけ言って、部屋に引きこもり、人形を。

もう二度と赤ちゃんが産めないと宣告されたのがよっぽどショックだったのだろうな。

僕は、だから、妻の好きなようにさせていた。

妻は、人形を。たくさんの人形を。全部に名前をつけて。話し掛ける。そうやったら、本当に人形が生きて、「おかあさん。」とでも答えてくれると信じているかのように。

夜は、妻の子守唄が、低く響く。

神もないものだ。

どんなに望んでも。人形は、人形だ。人間の子供にはならない。

時折、妻が僕に、人形のことを、まるで生きている子供のように教えてくれたりすると、僕は、調子を合わせこそすれ、内心は、困惑していた。

そう。ペットを我が子のように扱う人を見た時のような困惑。

妻は、そうやって、たくさんたくさんの人形を。いくら作っても、我が子は帰って来ない。

--

外は、雨が降り始めた。

人形達の顔も曇る。

「大丈夫だよ。誰一人、どこにもやらないから。」
僕は、人形達に微笑んで見せる。

人間というのは、不思議なものだ。

僕は、もう、この子達のうち誰か一人が欠けても、ワーワーと泣いてしまうんじゃないかと思っている。

この子はおしゃまだけど、お兄さん想い。

この子はわんぱくだけど、友達が多い。

この子は泣き虫だけど、誰か困っていたらすぐ手を差しのべる。

どの子も、可愛い。そう、可愛い僕の子供達。

妻は、今頃、天国で先に行って待っていた子の子育てを。僕らは、彼女がいなくなってしまっても泣かないで、一緒に楽しく暮らしている。そうして、午後はお茶を飲みながら、子供達が、ママの噂をするのに耳を傾ける。

こんな風に笑ってきみのことを話題にできるようになるには、僕ら随分時間が掛かったんだよ。

と、いうことも、きみは空から見て、知っているだろう。


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