セクサロイドは眠らない

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2002年06月24日(月) それまではその最中、人形のように横たわっていただけの私は、その夜初めて、自ら動くことを覚えた。

そのままで充分に幸福だったはずだ。

やさしい夫と暮らして。

「いってらっしゃい。」
と、送り出す。

「いってくるよ。」
と、夫は微笑む。

「今日も遅くなるの?」
「今日は・・・。どうかな。遅くなるようだったら連絡するよ。」
「ええ。」

夫を送り出してしまうと、私は、長い一日をもてあましてしまう。

夫の実家からは、「子供はまだか。」としきりに問われる。子供を切望しているのは、私も同じで。姑が「何が悪いのかしらねえ。あなた、随分痩せてるけどちゃんと食べているの?」と、私のことをジロジロ見ると、泣き出したい気分になる。

月に一度か二度の、夫とのその行為は、夫がすべて決める。

夫は几帳面だ。私の排卵日も月経も全部把握していて、その行為をすると決めた日の朝は、夫は出掛けに「じゃあ、今夜、ね。」と言う。夫にそう言われた夜は、早めに布団を敷いて、夫の帰りを待つ。

夫婦で愛を交わすのは、子供を作るためだけなのだろうか?と、思わないでもないが、全ては、夫に委ねて。短い時間で終わるその行為は、取り立てて気持ちがいいとも思えないでいたが、それでも、そういった夜は幸福だった。

多分、私はいつも寂しいのだ。

待つばかりで。

子供ができたらいいのに、と、漠然と思いながら過ごしていると、なぜかとても悲しくなって涙が出てしまうことがあった。

--

その夜、夫は、午前二時を回った頃にようやく帰宅して来た。
「遅かったのね。」
「ああ。」

夫は、その日は、アルコールが過ぎていたように見えたし、何よりも、随分疲れているようで、フラフラと寝室まで行くと、そのまま布団に倒れこんで眠り始めた。

私は、着替えだけでもさせようと、夫の服を脱がせた。

そうして、ふと、私の手が止まった。

夫の胸に刻まれたみみずばれに気付いたから。

私は、胸をドキドキさせながら、夫にパジャマを着せてしまうと、自分も夫の傍らの布団に入る。胸の動機は治まらない。なぜ、あんな場所に?まるで。そう。女の人の爪がつけたみたいに。

私は、朝までまんじりともせずに、夜を明かす。

--

「いってくるよ。」
夫は、相変わらず優しい。

「いってらっしゃい。」
「そういえば、昨日の夜・・・。」
「ええ。あなた、とても疲れてらして。」
「すまなかったな。あんなに飲むつもりはなかったのに。今日は早く帰るよ。」
「分かりました。」

私は、夫を見送りながら、寂しい気持ちでいっぱいになる。あなた、何か隠していらっしゃるの?

--

それから、私は、夫の身辺を探るようになった。今までは全く気にならなかった携帯の履歴をチェックするようになり、夫の手帳を盗み見た。

夫は注意深く振舞っていたが、それでも、私のようなぼんやり屋を妻にしていたから油断していたのだろう。

私は、ある一つの住所を入手した。

夫が一週間の出張に出た、その日。私は、高鳴る胸を抑えて、その住所が示す場所を訪れる。何の変哲もないアパートの一室。

その日は、そこまでが限界だった。私は、その部屋の主に会う勇気もなく、逃げ帰る。変なの。逃げるのは相手のはずなのに。

イソヤマ ミチコ。

名前だけを頭に刻む。

--

夫が出張を終えて帰って来た夜、私は、私達夫婦にとっては異例な行動に出た。夜の行為を、私から誘ったのだ。

夫は、驚いて私を見て。それから、微笑んで。

「知らなかったな。」
と、言った。

私は、その日、初めて、その快楽の本当の意味を知った。

「すごいな・・・。」
夫が驚いたように、それから、嬉しそうに私を攻め立てる。私は、知らぬ間に、声を上げていた。それまではその最中、人形のように横たわっていただけの私は、その夜初めて、自ら動くことを覚えた。

翌朝、夫は上機嫌で家を出る。
「今夜も。いいね。」
その一言で、私は、体の芯が熱くなって、耳を染めながらうなずく。

--

私は、あの女を訪ねる。

イソヤマ ミチコ。

なぜか、勝つ、と確信して。夫に愛されている自信を武器にして、そのアパートに乗り込む。

「ああ。あの人の奥さん?」
色白のその女は、女の私にでも分かるような色気を漂わせていた。

「ええ。入ってもいいかしら?」
「どうぞ。」

女は、お茶を出して来ると、投げやりなしぐさで煙草を吸う。
「言いたいことは分かってるわ。」

私は、頭に血が昇る。
「じゃあ・・・。」
「言っておくけど、あたしじゃないから。離れないのは。あいつだから。むしろ、どっか行っちゃってくれたらどんなにいいか。」
「だって。あなた。」
「お嬢さん育ちのあんたには分からないでしょうよ。きっと、あいつは、あたしにするようなことはあなたにはしないんでしょう。」
「あなたにするようなことって・・・。」
「一体、あんたでも相手ができるのかしらね?」
「失礼ね。その・・・、夜のことでしょう?」
「そうよ。男と女がすることよ。」
「それなら、私にだって。」
「あら。そう。本当に?本当に相手ができるって?あの男は狂ってるよ。この前の夜だって、別れるって言ったら、ライターの火を突き付けて来た。」

それから、女は、着ていたローブの前をはだける。
「見てごらんなさい。」

そこには、色とりどりの傷。痣。

「ねえ。あんたが相手をしてあげられるの?あんたが全部引き受けてくれるなら、あたしは喜んであの男の前から姿を消すわ。」

女は、向こうをむいて、残りの煙草を。

私は、フラフラとした足取りで、アパートを出る。

完全な敗北だった。

--

夜が、怖い。

夫が帰って来た。

「あなた、お食事になさる?」
「いいや。食事はいいよ。それより、先にきみを。」

夫の目つきは、どこかがいつもと違っていた。

「プレゼントも買ってるんだ。」
夫が抱えて来た包みを見て、私は目をそらす。

「ねえ。知らなかったんだよ。きみがそんな女だって、ね。だから、僕は遠慮してたんだ。」
夫は、笑いながら、包みから、一つ一つ、取り出す。それらの道具は、私には使い方は分からなくても、私を不安にさせるに充分だった。

「さ。こっちにおいで。」
夫の目の奥が光る。

私は、そこから動けない。


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